左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

北海道ぶらり旅(2018年8月 左巻健男)その5~博物館網走監獄はよかった!~

【15日】昨日、山の水族館の後、Uさんとは北見駅前で別れた。彼は釧路へ行くという。

 フラワーガーデン「はな・てんと」。はじめ行く予定に入れていなかったがUさんからのDMで今見頃という情報があったので。
 サルビアマリーゴールドケイトウ、白妙菊、ベコニア、ペチュニアが満開!。

 2枚目はペチュニア

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【15日】北方民族博物館。半透明の衣服は魚の腸でつくったって。

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【15日】オホーツク流氷館。かわいいお魚はフウセンウオ。低温室で凍ったタオルを持つ。

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【15日】博物館網走監獄はとてもよかった。」

 写真を一枚も撮らなかった。1日三回あるガイドツアーの最後に間に合うように行ったのだが50分面白かった。その後もいろいろ回った。

 読みたい本や調べたいことがでてきた。

 

【16日】9日から旅に出たがついに今日が最後の日。午後女満別空港から羽田へ。
 昨日は網走観光施設巡り1DAYパスで4箇所を巡った。
 なかでも博物館網走監獄がよかった。今まで網走は何度か流氷を見に来たくらいで、知床に行ってしまい、他の観光をしていなかった。監獄はツレとまた来たい。
 今日帰ったら22日まで本の執筆をして、また旅に出るかも知れないw。旅心が刺激されたよ。
 韓国釜山に行ってロシア産wカニを食べてくるのもいいな。

北海道ぶらり旅(2018年8月 左巻健男)その4~ワッカ原生花園をサイクリング~

【14日】サロマ湖ワッカ原生花園。サイクリング。

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【14日】日に焼けているが小樽でのサイクリングのせいだな。

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【14日】常呂遺跡。蚊にまとわりつかれながら森も散策。
  森を歩いた。たくさんの縄文時代などの遺跡が残っていた。11世頃まで土器が鉄器に変わっているが住居は同じような感じだったらしい。

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【14日】昼食。1100円。
  ここのオヤジさんの話が面白かった。寿司はまったくのゼロからだって。その前は遠洋漁船に乗っていたって。なぜロシアは4島を返さないかという地政学上の理由も納得できるものだった。

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【14日】山の水族館。何匹ものイトウに感動! オオウナギの顔。

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【14日】Uさんと2日間一緒だった。彼が「とても密度が濃かったです。今回行ったところにまた来たいです」と言われて嬉しかった。彼は次はツレさんとかな。札幌で一緒に飲んだときに彼の旅程を北見経由に変更して貰ったのだった。
 この2日間は鉄道の旅のはずがUさんの運転する車の旅になったが、ぼくは原理主義者ではないのでその場その場でベターな選択をしていることの結果だったのだ。
 ワッカ原生花園ではサイクリング中は雨が降らず、終わってから降ってきた。絶妙なタイミングだった。

 明日は網走。いつも網走は通り過ぎて知床に行っていた。今回は1日網走を回る。
 さっきその計画を立てた。
 北海道立北方民族博物館、オホーツク流氷館、博物館 網走監獄を回る。
 明日は網走泊。

 明後日(16日)は女満別空港から帰る。帰ったらまず微生物本の分担を書く予定。22日まで。

 22日は理科の探検(RikaTan)誌10月号の発送作業。その後また旅に出るかも知れない。今回旅心に火が点いた。

 北海道に次来るときは焼尻島、天売島にぜひ行きたい。今年また来る機会はあるだろうか。

北海道ぶらり旅(2018年8月 左巻健男)その3~当麻鍾乳洞、塩別つるつる温泉、北見の龍巳ホルモン~

【13日】昨夜の懇親会でUさんが車の旅に出るというので北見に一緒に泊まることに。岩見沢駅で合流し、Uさんの車で途中いろいろ寄りながら北見へ行くことにした。

 まずは当麻鍾乳洞。
 ぼくは鍾乳洞好きで日本三大鍾乳洞はもちろん行っているが外国のも行っている。
 ここのは方解石。半透明で美しい。

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【13日】イトムカとはアイヌ語の光り輝く水。水銀鉱山だった。

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【13日】塩別つるつる温泉。露天風呂最高!

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【13日】北見の龍巳(たつみ)ホルモン。12日、札幌飲み会で薦められた店。タクシーの運ちゃんに「予約されましたか?」と聞かれた。それだけ人気で混んでいることが多いのだろう。そして「安くておいしい」「煙モウモウ」と。

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北海道ぶらり旅(2018年8月 左巻健男)その2~電動アシスト自転車でぐるっと小樽港~

【12日】小樽芸術村 旧三井銀行小樽支店。浮世絵展。

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【12日】小樽で。サーモンカマ焼き定食。780円。ホタテは小ぶりだが活ホタテ刺し。

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【12日】小樽で浮世絵展を見て昼食を食べた後、電動アシスト自転車で港をぐるりと回った。今札幌へ向かっている。(小樽は何度か行っている。文学館で小林多喜二デスマスクを見たり。ただ水族館に未だだなあ。)

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【12日】17時~夜空のジンギスカンススキノ交差点店(→二次会)。※17時~22時半まで食べ飲んだ。

北海道ぶらり旅(2018年8月 左巻健男)その1~JR北海道&東日本パスで2日目に函館へ~

【8月9日】本の執筆でやや引き籠もっていたので、本日、JRの北海道&東日本パスで北海道鉄の旅に出発。荷物の大半は10冊の本w。着替え少々。
本日は八戸泊の予定。明日は八戸→青森→千歳か札幌泊の予定。
 千歳だと18時40分着予定。その後は未定。
 このパスは7日間連続で使う。

 いつもだと青春18切符五能線只見線を楽しんでいるが今回このパスを知り、北海道をメインに鉄道の旅をしようと思った。当初は札幌で中古の自転車を買ってサイクリングしようかなと思ったが、天気が悪そうなので止めた。

*本当は家を始発で出ようと思っていたら寝坊し、さらに忘れ物で駅から引き返したりして新宿発が8時5分。電車が遅れたりしていていったいどうなることか。(^_^;) 
*今宇都宮を出て黒磯に向かっている。次は氏家。

 

【10日】函館で昼食。ウニ飯とイカさし。

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【11日】長万部行き(1両)に乗った。長万部でかに飯。

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左巻健男が若い頃に書いた「知的生産者は発信する」

※どこに書いたものか、わからなくなっているが、今から30年くらい前のことだろう。インターネットではなくパソコン通信が盛んだった。 

 

 自分は知的生産者?

 ぼくは,何十冊の本をつくってきただろう!
 主なものを何冊かあげろ,と言われたら,この2,3年でもざっと10冊はあがる.幸いなことに出たものはほとんど増刷を繰り返しているし,最近出たものも好評である.他に中学理科・高校化学の教科書編集委員(東京書籍)をしている.世に問うている知的生産物があるのだから,ぼくも知的生産者の端くれということだろう.
 ということで「知的生活術」を書く資格はありそうである.
 ぼくは「知的生活」は,やっぱり「ヒト」の問題にいきつくと思う.

 

 何か得意技を!

 何かしらの得意技を持って「○○のテーマだったら誰それ」と言われるようになることだ.たくさんの情報の中で光りをはなってはじめて,「商品価値を有する原稿が書けるのではないか」と雑誌や本などの原稿依頼がくることが多いようだ.
 得意技を持つには,その分野の学習はもちろしだが,問題意識をもって子どもたちと取り組むことが一番だ.
 情報を発信する相手は,ほとんどの場合同業者だ.だから,子どもたちと格闘したことだったら失敗の記録だって共感してもらえるように書くことができる.

 

 仕事は忙しい人に頼め!

 ぼくはよく「何時原稿を書いているんですか?」と質問をうける.「ほとんど学校ですませている」と答えると驚かれる.(どの学校でもぼくと同様にできるとは思えないが.)
 何か原稿を書くことを依頼すると「忙しくて駄目」と断られることが多い.本当に現場は忙しい.それは確かだ.そこに新しい仕事をプラスすれば,どこかで「手抜き」をしなくてはやっていけないかもしれない.雑誌に原稿を書いたり,本を出したからって格別教師としてエライわけではない.ぼくたちは,大学のように「業績」で評価されるわけではない.
 本を出してもミジメな実践しかできていない教師もいるかも知れない.ぼくも授業後反省してしまうことも多い.本を書かないでその分実践に力を入れたほうがよいかも知れないのだ.
 しかし,理科教育などの情報を発信してくれる人もいなければなるまい.
 ぼくは,本をつくることが「趣味」だから,誰かがやってくれるのを待つよりは,「こんな本があればいいのに!」という思いを持ったら,早速実行に移してしまうほうなのだ.
 学校の仕事はできるだけ勤務時間内に片づける.そのためには,仕事に軽重をつけて,かつテキパキと処理しなければならない.
 幸いなことに,ぼくは新任のときから8年間勤めた埼玉県大宮巾立春里中学校時代に学年集団から仕事の処理術を学ぶことができた.「何でもかんでも同じレベルで一所懸命やるというのではなく・・・ダラダラやらないで,4時半ごろには終えて,みんなで帰ったものだった.」(拙著『おもしろ理科授業入門』18~19頁)
 やったのは,教育についての議論である.そこで,ぼくは仕事を手早くやる癖がついた.そのポイントは「100%主義ではなく99%主義」というあたりであろうか.ときにはミスをして笑ってごまかしているが.

 

 発信することでネットワークができる

 人間関係下手のぼくは「会社員ではやっていけなくても教師なら何とかなるのではないか」と教師になった.
 ぼくは大学1年生のころ,工業高校学力劣等生出身としての劣等感のため級友たちと話すらできなかった.そのぼくが今では日本全国に友人・知り合いをたくさん持つようになった.ときには講演もする.
 誰しも自分の存在主張はしたい.「自分はここにいますよ」と.
 ぼくは,それをサークルニュースでやった.それから,サークルに実践レポートを持っていって叩いてもらった.そのとき気をつけたことがある.それは,「他人に読んでもらえる中身にしよう.読んでもらえるように文章もいきいきと書こう」ということだ.
 そうするには自分の理科授業を通り一遍のものではなく,少しは工夫したものにしなければならない.まずは実践の中身だ.教育界には形式的な文章が氾濫しているが,そんなものは書いた本人ぐらいしか読まないのだ.
 サークルニュースのための情報やおもしろ理科投業の情報がほしかったからいろいろなサークルに顔を出したものだ.本もよく読んだ.そうして,科学教育研究協議会埼玉支部はもちろん,千葉支部,東京支部の中心メンバーと顔見知りになった.
 毎年夏の科教協全国研究集会にも拙いながらも実践レポートをもって参加した.そのときには,勇気を出して全国の著名な実践家のみなさんに声をかけてお話するようにした.みなさん,ぼくが,『理科教室』誌にときどき実践記録などを書いていたお陰で,ぼくの名前を知っていてくれた.
 ぼくの発行していたサークルニュースを見て「教師になったばかりなのによくやっ
ている」ということで『理科教室J誌の編集委員に推され,その後約10年間勤めることになった.(最近,中村敏弘著「教育実践検討サークル」国土社)を読んだ.昔も今もすぐれた教師たらんとする若者は,地道に学習しつつ発信していたということがよくわかる.)
 今では,自分の存在主張をずるのにサークルや研究同体の場だけではなく,パソコン通信やインターネットでも可能である.ぼくは,パソコン通信ニフティサーブ)の「化学の広場」の「教育」会議室(FCHEMT2番)や「日常」会議室(FCHEMH6番)「教育実践専門館」の「理科の部屋」会議室(FKYOIKUS5番)に出入りして,たくさんの人と知り合い)になっている.
 そこで「世の中には優れた人たちがたくさんいる」と実感している.何人かとは一緒に本を書いた.今後,電子ネットワークはますます重要になるだろう.これからは,ぼくはこれを利用して本づくりをしようと思っている.

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3つの原発事故調・元委員長らにインタビュー(JASTJ)を読んだ!

日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ
3つの原発事故調・元委員長らにインタビュー
https://jastj.jp/valid/valid_06/top/
を読んだ。

 

以下は左巻健男による抜き書き。

 

政府事故調元委員長 畑村洋太郎 氏】
例えば、外から水を入れても中まできちんと届いていなかったのではないか、ということがしきりに言われる。事実そうであったと思う。メルトダウン原発に関係している人なら当然起こっていると思っているのに、言葉さえ使わせない。国民の頭の中を言葉でコントロールしようとして見事に果たした。

Q 日本の社会とか文化は原発のような巨大技術を動かせるほどの成熟度をもっているのでしょうか?
畑村 持っていないですよ。答えは簡単。具合の良い所だけつまみ食いして明治維新以降 150 年ほどやってきてうまく行っちゃった。その一番すごいのが高度成長期です。~実態は自分たちの方に経験がないし考えもない。でも、お金を払えばそれだけの知識や技術を流してくれる。相手も日本がそれほど強くなるとは思わないから、まあいいだろうと出してくれた。後は日本が力をつけて相手をやっつけちゃう。それでうまくやってきた。

Q また原発事故はあると考えていますか。
畑村 あると思っています。ヒューマンファクター、つまり勘違いで事故が起きたというのがスリーマイル事故、チェルノブイリ事故は方式を試したくなった人が自分流で試そうとして起きた。次に起きたのが今回の津波です。その前に警告的に地震で起きたのが柏崎刈羽原発の事故でした。ちゃんと順番に起きている。それもそんなに間を置かずに、10 年おきに起きている。では、それから学んだかというと、本気で学んではいない。

【国会事故調元委員長 黒川清 氏】
世界でも多くの関係者が国会事故調の報告書には関心を持っていて、多くの講演にも呼ばれた。2013 年には 3 回世界を回って話をしてきました。国際原子力機関IAEA)の担当者もそのことに興味を持っていて、経済産業省に「なぜきちんと避難訓練をしないのか」と質問したことがあるといっていた。そしたら「シビアアクシデントは起きませんから」と答えが返ってきたので、「日本は不思議な国だなあと思っていました」と言っていました。ところが日本では誰もそのことを問題にしてこなかった。国内外の専門家はみんな知っていたし、日本の関係者もメディアも知っていた。でも言わなかった。それが問題なのです。

Q 国会事故調は事故原因として津波だけでなく地震の可能性にも言及し、委員だったサイエンスライター田中三彦さんらは解散後も調査を続けています。
黒川 ~日本は地震大国だ。世界で起きるマグニチュード 4 以上の地震の 40%は日本で起きている。そこに 50 何基もの原発を抱えているのだから、日本として検証する責任がある。私が言っているのは、地震の可能性を否定できないと考える謙虚さが必要だ、ということだ。

原子炉だって車の運転と同じで、実体験が大事なのに十分にやっていない。大学の研究もたこつぼ化が進んで、研究のアウトプットも低下している。いまのままでは日本はだめになっていくだろう。もっと自分たちの問題として考えないと‥。会社や役所といった組織にべったりとくっついている限りは、本当の改革はできないだろう。

Q 日経新聞に連載された先生の「人間発見」を読ませていただきました。そこで先生が「出る杭は打たれる」ではなく「出る杭は育てる」と言われていた点が今日の話とも通じていて大変興味深かったです。

民間事故調元プログラム・ディレクター 船橋洋一 氏】
Q 官邸と東電の間で問題になった完全撤退については、民間事故調だけがその可能性があったことを指摘しました。
船橋 ~実は我々はそれほどの決定打を出せてはいない。他の事故調は、東電の言い分として「撤退ではなかった」と書いているが、証拠は示していない。そこで我々は、証拠がないならそれをそのまま信じることは難しいと主張した。状況証拠的に、なぜあのとき清水社長が夜の 7 時くらいから朝の 3 時頃まであれほど何度も枝野幸男官房長官を追いかけたのか。清水さんは記憶にないと言っているが、枝野さんはインタビューで「完全撤退の意図があった」と明確に証言している。しかし東電からは何の説明もない。

これまでの安全対策は、パフォーマンスばかりだった。SPEEDI にしても 120 億円以上つぎ込み、「これだけやりました、世界一です」と宣伝する仕掛けにされただけだ。実際には使わなかったという厳然たる事実が、そのことを物語っている。
米国が事故対策にロボットを貸すと伝えてきたときも、「自分たちでやります。技術大国ですから」という態度だった。電力会社も反対する。本格的なロボットを作るというのは、本格的な事故が起きる可能性を認めることになるからだ。「安全だから必要ない」として、最後は安全神話というブラックホールに落ち込んでしまう。どうやってそこから抜け出すのかを考えなくてはいけない。
あとはやはり技術革新、イノベーションが重要だ。しかしイノベーションがあると、現状が不十分だということが証明されてしまう。だから反イノベーションになる。絶対安全神話というのはそれだ。この問題を本当に克服したのか。技術大国とか経済大国とか戦後ずっと言ってきたが、本当に決定的なところでどれだけ本当にイノベーションをやって来ただろうか。

日本の再生可能エネルギーは間違いなく遅れている。政府は 2030 年に原発 20%という計画を作っているが、相当甘い。再生可能エネルギーについては、今まで十分に旗印も目標も掲げられなかった。気がついてみれば、あっという間に中国の方が圧倒的に進んで逆転してしまった。もはや手遅れと感じるほどだ。

船橋 今回の事故対応でまったくリーダーシップがなかったかというと、あったと思う。東電から情報が上がってこない、2号機がメルトダウンに向かうというパニックになっていく。そうした中で、東電に乗り込んで対策本部を作ろうというのは、菅さんから出てきた。あの状況で最悪のシナリオを考えたとき、もし東電が勝手に撤退してしまったら、その結果は悲惨な事故になる。乗り込んでいって「命かけてやってくれ」といったのは、いろいろ批判されたが、一番の危険に対応していこうというリーダーシップだ。

左巻健男著『面白くて眠れなくなる人類進化』PHPの「はじめに」と「おわりに」

 左巻健男著『面白くて眠れなくなる人類進化』PHPを何気なく読み始めたら面白くてwついついかなりを読んでしまった。
 本書を書くに当たって何か月か生命の歴史や人類史を学んで、頭の中で内容構成が発酵したときに執筆開始したことを思い出す。


 愛称“ルーシー"という猿人/ピルトダウン人骨捏造事件/私たちのなかに生きるネアンデルタール人/現代人にそっくりな少年の原人/ヒトと類人猿の分かれ道/五本指は原始両生類から始まった?/恐竜と同時代を生きていた原始哺乳類/“イーダ"の化石/顎を獲得して生物の巨大化が始まった/三葉虫と目の誕生/私たちの祖先はナメクジウオ?/最古の生命の痕跡を発見した日本人…

アマゾン→ 
http://www.amazon.co.jp/dp/4569827608/ref=cm_sw_r_tw_dp_ZF1Awb197APYJ
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 はじめに

 人類進化は、面白い。


 人類進化をテーマにするにあたって、まずは、「私たちはどこから来たのか」という根本的な問いをたてました。その問いに答えようとするとき、どのように話をくり広げたら、さくさく読めて、面白くて、ためになる本になるだろうかと考えました。

 現在の私たちの体には、サルなど霊長類からヒトへの進化にとどまらず、四十億年前から続く、太古の生物の歴史が刻まれています。そんな奇跡のような道のりを、一冊を通じてたどってみたいと思ったのです。

 そこで、本書では次のような方針をとることにしました。


◎Part1から順に、現代から最初の生命の登場へとさかのぼっていこう。
◎Parl1は、最初の人類から現代人まで。Part2は、私たちの祖先が陸上に上がったあたりから最初の人類の手前まで。Part3は、最初の生命の登場からヒレに骨をもった魚まで。
◎各Partのなかでは、古い時代から新しい時代の順序にしよう。
◎節目節目のトピックスを中心に、やさしく(もちろん面白く)語ろう。
◎ゲノム(全遺伝情報)解析などの方法には深入りしないで、あっさりとその成果を説明してしまおう。


 ここで、本書を読むときに基礎になる考えを示しておきたいと思います。私たちの祖先をたどっていったときの道筋を表すと、いくつもの枝分かれがあります。その枝分かれのところには、それぞれの共通の祖先が存在しています。

 たとえば、「約七百万年前に人類はチンパンジーとの共通の祖先から分かれ、進化してきた」というのはその一つの例です。
 ヒトもチンパンジーも、その共通祖先から分かれてから、同じだけの時間をかけて、それぞれ進化してきました。その間に、それぞれが環境の限られた条件に適応l、特殊化の道を歩みました。チンパンジーは森の生活に適応し、一方、ヒトは森の生活を捨て、高度な道具を使うようになりました。
 ですから、「今のチンパンジーが進化したらヒトになるのか」といわれたら、ノーと答えるのです。これは、現在生きているあらゆる生物にあてはまります。

 人類の進化を学ぶことは知的なエンターテインメントでもありますが、地球に生命が誕生し、私たち人類にまで進化してきた軌跡を知ることで〝私たちが今なぜここにいるのか″という問いへのヒントを示してくれます。
 私は人類進化の専門家ではなく、小学校・中学校・高等学校の理科で何をどう教えるかを教育・研究している理科教育の専門家の一人です。
 中学・高校の教員時代、初めて本格的に教えるときに必死に学びながら教えていましたが (基本的に大学教員の今でも同様)、本の執筆も同じです。執筆しながら、新しい知見にワクワク・ドキドキしました!
 読者の皆さんにも、その知的興奮が伝わったら非常に嬉しいです。

 左巻健男

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 おわりに

 私が編集にたずさわった理科教育の著書のなかに
「生まれてきたのは丸もうけ、これまで生きてきたのも丸もうけ、これから生きる分は、なおさら丸もうけ」
 という言葉を入れています。「教師のための精神衛生法」という項目です。
 地球の誕生、そこでの生物の誕生と進化、人類の誕生、自分の誕生といった宇宙史のなかに自分の生を位置づけて、渋谷治美さんの言葉を紹介したものです。落ち込みそうになったとき、思い起こすとよい言葉だと思ったのです。
 そして、この言葉を実感できるような教育を進めていくことが、理科教育の立場に立った生命尊重の教育として大切だと思いました。
 だから、ある日の講義で、私は、前田利夫『いのちの起源への旅 137億年』(新日本出版社)を参考に、中学校・高等学校理科の教員免許をとるのに必修の科目「理科教育法」で、人類の歴史を語っていました。
 前田さんの本にならって祖先をさかのぼって、現代人から旧人、原人、猿人、初期猿人へと人類の起源を探り、霊長類・哺乳類、カンブリア紀大爆発、三十億年間の単細胞時代、生命の起源へと二コマ連続の講義を進めたのでした。
 「私たちはどこから来たのか?」 という問いは、将来、理科教員として理科のどの分野の子どもたちの学びにたずさわろうとも、教員以外の道に進もうとも、一度は立ち止まって考えたい価値をもっていると思ったからです。

 そんなときに、本書を執筆することになりました。

 最後になりましたが、本書が少しでも面白くためになるものになっているとしたら、最初の読者である編集担当の綿ゆりさんのおかげです。その声に従って書き直しをしたり、追加したりして進めました。感謝申し上げます。

 二〇一五年十一月二十日

 左巻健男

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隠岐  大地と生態、人とのつながりを求める旅

※昨年の夏も旅した隠岐。「RikaTan【理科の探検】2014年 夏号 夏だ!リアル理科探検に行こう 自然を 観る 知る 遊ぶ 旅」特集用に書いた文章を紹介しておきます。

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                    隠 岐

 大地と生態、人とのつながりを求める旅

 左巻 健男
 SAMAKI Takeo

◎今でも隠岐諸島を全部回るのは大変

写真1:西ノ島の魔天涯 その天辺から、海から、国賀海岸からハイキングでも楽しんだ

 隠岐についてあまり知らない人、調べたことがない人には日本海に浮かぶ絶海の孤島というイメージがあるかもしれません。しかし、隠岐は孤島ではなく、人が住んでいる島で島前(どうぜん)の3つの島と島後(どうご)と呼ばれる計4つに分かれ、それらをふくめ、なんと大小180 の島からなっています。
 そのうちの島後(隠岐の島町)はとくに大きく、同じ日本海にある佐渡の半分より少し小さい程度です。ふつう隠岐に行くといえば、本州に近いということで島前と呼ばれる3つの島ではなく島後(とくに西郷港)に行くことを意味します。島後には大阪伊丹と出雲との間に路線のある隠岐空港があり、また船便もフェリーや超高速船があります。今年3 月1日からは超高速船「レインボージェット」が就航し、西郷港-松江の七類港間を約70 分で結んでいます。

 この半世紀、隠岐はアクセスが便利になりました。
 半世紀前に隠岐を旅した岡田喜秋はその著『日本の秘境』のなかで、「近頃の日本の観光地は、3 日見ぬ間に変わっていく。」とその変貌ぶりを嘆きながら、「隠岐ノ島は名の通り、はるかな隠岐にあって今でも荒浪とたたかって生きているのが精一杯のように見えた。」と述べていました。1956 年には、バスはわずか1台しかありませんでした。鳥取県境港からわずか500 トンという小さな船で西郷港まで8 時間以上かかったのでした。

 今でも、島前、島後の4つの島を旅しようとすると、半世紀前の不便さほどではないのですが、かなり大変です。島根県教育委員会の小学校理科の講師で島後に伺ったとき、隠岐の全小学校からの参加者がいたのですが、島前から島後に集まるより松江市に集まる方がラクと言っていました。

隠岐の魅力はなんといっても雄大な景色
 隠岐世界ジオパークに認定されています。ジオ=地球ですが、目の前に広がる絶景の地質・地形だけではなく、不思議な生態系、地元独特の文化もふくめて、大地がどうやって生まれたか、人と自然はどうつながっているかを、まるで探検するように学べる場所だからです。

写真2:通天橋

 隠岐の絶景を見るポイントは、隠岐で約600万年前に始まった火山の活動です。
 島前諸島は変わった形をしています。真ん中に高い山があり、その山が海に囲まれ、その外側に島がならんでいます。1 つの円い島だったのですが、大規模な噴火が起こった結果、約500万年前にかけて中央部が大陥没して海が進入、島前カルデラができたのです。
 落ち込まないで残った部分が、島前カルデラの外輪山のように3つの島が残ったのです。さらに侵食も受けて現在の地形になっています。

 この火山活動のときの岩石は、島前・西ノ島の北西岸の国賀海岸の数10キロメートルに渡る雄大な断崖でよく見えます。西ノ島の摩天崖は巨大なナイフで垂直に切断したような高さ257メートルもの国内有数の崖や国賀浜にある天然の洞門の通天橋と同じ岩石でできています。

 知夫里島(ちぶりじま)の「知夫の赤壁(ちぶのせきへき)」と呼ばれる高さ200メートルの断崖にも同じ外輪山の岩石が露出しています。
 噴火して高温のしぶきになった火山砕屑物にふくまれていた鉄が酸化し、赤い色になったものです。ということはこのあたりに火口があったということです。

◎島前の3 つの島を各一泊で回ってみた
 島前の3つの島も旅したいと思っていたところ、島後にある島根県隠岐高等学校から「高校生に講演を」という依頼があり飛びつきました。それからです。飛行機の便、フェリーの便の時刻表を見ながら計画を立てました。島後の知夫里島知夫村)、西ノ島(西ノ島町)、中ノ島(海士町)を1 泊ずつして島内を回ろうと考えました。島前3 島間での移動は隠岐観光の内航船、島前-島後間の移動は隠岐汽船のフェリーや高速船が利用できます。
 各島内は、レンタル自転車、島内観光バス、定期観光船を活用して回りました。車が運転できればレンタカーもよいでしょう。

写真3:知夫赤壁

 ぼくは、最初に着いた知夫里島ではホテルで電動アシスト自転車を借りて島を回りました。放牧されている牛が道路上にもいて、なかなかよけてくれません。

 車だと動けなくなってしまいますが、自転車でも実感できました。知夫里島のリピーターとなっている観光客は、牛しかいない、何にもない、ぼけっとできるのがいいということですが、西海岸にある国指定名勝・天然記念物の知夫赤壁など見どころがあります。

写真4:明屋海岸

 次の西ノ島は、北岸約13 キロメートルにわたる国賀海岸が見どころです。定期観光バスで陸路から、また観光船で海から迫力ある摩天崖を楽しみました。

 さらに自転車でも国賀海岸に行き、通天橋の奇岩を見ながら魔天涯へ向かうハイキングをしました。
 中ノ島でもサイクリング。約100 メートルの断崖の続く明屋海岸で屏風岩などの絶景を楽しみました。

隠岐空港玄武岩の台地にある
 約500万年前以降、火山活動は収まりましたが、島前・島後の所々で、小規模な玄武岩質の火山の活動がありました。隠岐空港のある大地は、約55万年前の玄武岩の溶岩でできています。

 フェリー航路で島後の西郷港に入港する直前の岬に隠岐空港がある台地が見えます。そこに上部の直径は約300 メートルのお椀のような形の巨大なくぼみの崖が見えます。これは、火口の東半分が吹き飛んだ爆裂火口です。手前側は侵食でなくなってしまったと思われます。

隠岐でいちばん古い岩石「隠岐片麻岩」
 隠岐片麻岩の見た目はさまざまで、白黒の縞模様を持つ物や、白一色、薄緑、赤混じりのまだらなどがあるため、簡単に見分けることはできません。

 現地の岩石を見分ける目をもった人に教わると、かなりあちこちにあります。砂利や埋め立てにもよく使われているとのことです。

 元々は砂岩、泥岩や玄武岩など地表近くの岩石が、プレートの沈み込みによって地下深くにもたらされ、そこで熱と圧力を受けてできたものです。ふくまれている鉱物の分析から3億5000万年前~2億5000 万年前の間の地層が元になっていることがわかっています。その当時は、いくつかの小大陸が衝突して合体し、大きなユーラシア大陸ができあがりつつあるところでした。隠岐片麻岩は、ユーラシア大陸がどうやってできたかを知る鍵をふくむ岩石なのです。

◎ユニークな生態系
 隠岐には、暖かい気候を好む植物と氷期の生き残りの植物が同居するなど不思議な植生がみられます。たとえば、島後の久見海岸では、氷河期時代の生き残りの植物であるシロウマアサツキが海岸に自生し、南方系のシャリンバイ、トベラ、大陸性のダルマギクなどと共存しています。海辺に亜高山性のオオイワカガミがみられたりします。

 玉若酢命(たまわかすみこと)神社の境内には樹齢2000 年と推定される「八百杉(やおすぎ)」があります。隠岐にはこのような日本海型の杉の巨木が数多くあります。

 また、隠岐にしかいない生き物、つまり隠岐の固有種があります。オキタンポポ、オキノアザミ、オキシャクナゲ、オキノウサギ、オキサンショウウオなどです。

 オキサンショウウオは絶滅が危惧される希少種です。島後の壇鏡の滝が流れる渓流で見つけることができるかもしれません。

 こうした希少種だけでなく、北方系・南方系・高山性・大陸性のさまざまな植物が共存する生態系はとても興味深いです。

◎トレッキング好きは鷲が峰へ
 島後の鷲ヶ峰は、標高560 メートルの流紋岩質の岩山です。樹齢300 年を超える約800 本の天然林( 自然回帰の森) が存在します。屏風岩を展望できる場所があります。屏風岩は、柱状節理の断崖です。

写真5:トカゲ岩

 鷲ヶ峰近くの岩山の側面には、トカゲの形をした奇岩、トカゲ岩が見られます。全長約26メートルで、大きなトカゲが岩山をよじ登るように張りついています。

◎独自文化のはじまりは黒曜石
 隠岐には黒曜石が産します。隠岐の黒曜石は3万年も前から本州に運ばれていました。島後の久見海岸では、小さな黒曜石を拾うことができます。
 すぐ近くにある八幡黒曜石店の加工場を見学できます。店主の八幡浩二さんは、古代の黒曜石の加工技術に優れていて、黒曜石を加工したお土産を販売しています。

 隠岐の黒曜石は縄文時代には重要な交易品として、本州にも運ばれていたことがわかっています。

 隠岐には古墳・遺跡がたくさんあります。創建が平安時代以前にさかのぼる神社もあります。
 その昔、隠岐は「島流しの場所」になっていました。たとえば後鳥羽上皇後醍醐天皇が流されました。牛突きの行事は、後鳥羽上皇に楽しんで貰おうと島民がはじめたものです。

 隠岐には、歴史的な見どころが多数あります。こうした隠岐の文化・人間生活の背後にある隠岐の地形・地質と生態系のつながりを考えてみたいものです。

写真6:玉若酢命神社の八百杉

さまき たけお
法政大学教職課程センター教授
隠岐では毎日おいしい海の幸が食べられます。自転車で回りながら雄大な自然を楽しんだ後は、隠岐酒造の「隠岐の誉」と海の幸が待っています。次はツレと一緒に回ろうと思います。

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自宅でeラーニングで受講できる教員免許状更新講習

 左巻健男は、初等理科についてeラーニング講師をしています。以下をご覧ください。


☆自宅で受講・自宅で試験・1講習から受講可能☆


教育工学研究協議会 教員免許状更新講習 eラーニング講習
http://sainou.or.jp/e-learning/


良くわかる。初等理科実験支援 6時間
http://sainou.or.jp/e-learning/course/04.html

俺は教員生活で授業以外の仕事はもの凄いスピードで処理していた

教師のための精神衛生法~教師生活で心をやられないようにするために~  

http://samakita.hatenablog.com/entry/2018/07/08/233323  

 への追記ツイッターまとめ。

*今は、ただ仕事の処理速度をあげてもどうしようもない仕事量がある場合もありそうだ。以下は未だそれで対応できたいい時代だったということかもしれない。

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 教員が超多忙状態から抜けられず辞めたい等というTwをいくつか読んだ。

 中高教諭を26年間やった俺からは20~40年前くらい前の現場と今の現場はだいぶ違うんだろうなと思った。

 俺は新任ですぐ組合に入り、その後分会長や支部青年部長もやって管理職にある意味盾突けたのは大きいかな。管理職を恐れない20歳台教員だったw。
 
 それと当時は少なかった大学院出で理科教育に一寸自信もあったし、理科サークルには幾つか参加して授業力もあげていたので、校内で理科を自由にやれた。

 当時同僚に「理科はいいわねえ、おもしろい実験があって」とか「この学校に毎日喜んで学校に来ているのは左巻さんくらい」といわれた。
 部活(ソフトテニス)ももっていたし生活指導部だったがメインはあくまで授業だと思っていた。

 雑務的なことは徹底的にスピーディに処理した。
 授業メインでいろいろ工夫したので年上の理科の同僚に「左巻さんはいいよなあ、力があるから。自分は教科書を教えるだけで精一杯」と愚痴られた。

 新任の後半に理科教育雑誌の編集委員になった。時々そこに記事を書くようになった。
 公立に8年勤務後、東京大学教育学部附属中・高等学校教諭に異動できたのはそんな業績も認めてくれたからだろう。

 教員生活は徹底的に理科教育をメインに回っていった。
 東大附属から京都工芸繊維大学教授に異動するまでソフトテニスの顧問だったが試合引率でも試合を見ないで理科の本を読んでいた。申し訳なかったが俺が顧問なので部活が存続できた。それを部員によくいっておいた。
 理科の授業以外のことは8割主義とかでやっていた。
 学級は自分が楽しいと思うことで活動。

 仕事は完全を目指さない。
 目指すのは速さだ。見直さない。管理職に見て貰って指摘されたら直せばいいと真っ先に通知表とかをつくって出した。
 例えば通知表所見はもの凄い集中力で3時間程度で記入したかな。

 密かに8割主義で笑って誤魔化すをモットーにしていた。鬱になりやすい心を持っていたので後悔はしないようにした。終わってしまったことはもういい、少し反省して前へ進むしかない。

 俺はそれで中高教諭をやってきたから「学校の仕事を一生懸命しない」といわれた。そう、俺にとっての雑務は本当に短時間で片付けるんだよ。
 「外の仕事ばかりしている」とも。これは本や雑誌、検定教科書を書いたりしていたからか。

 俺は現場にいたとき職員室に遅くまで残っているのは「仕事ができない人」と思っていたよ。
 こんな俺のアドバイスでは今多忙に苦しんでいる人には役立たないかな。俺は授業がよければ(生徒の学ぶ権利を保障する授業)生徒との関係、学級もよくなると思っているんだ。

教師のための精神衛生法~教師生活で心をやられないようにするために~

 左巻健男『理科の基礎・基本 おもしろ授業入門』明治図書2002から。


① 一番恐ろしいこと
 現場は忙しい。忙しさにまぎれて,思考停止の状態をつづけてしまう。そんな危険性に満ちているのだ。これは恐ろしいことだ。だから,“何でも一所懸命”ではなく,ときには上手に手を抜いて,何をやるべきかをよくよく考えねばならない。


② 落ちこみやすい人に
 現今の状況は,まじめな人ほど,落ちこみやすい。悩む,というのはとても人間的なことだ。私たちは,悩みながら大きくなってきたのである。ぼくなど「あんなことをやってしまった,こんなことを言ってしまった」などとほぞをかんで,一人自分の部屋で床をどんどんたたいたりしている。それでいいんだと思う。悩みをばねにして,次にがんばるのである。


 落ちこみやすい人は,白黒をはっきりしないと気がすまない人に多い。「完全」「理想」を基準にして悩んだりする。
 明るく居直らなきゃだめなんだ。世の中には妥協しなければならないこと,しかたがないとあきらめなければならないことがたくさんある。これをズルズルと妥協してしまうというのは問題外だが,自分ができる範囲で,できるレベルでしかやれないということを認識する必要がある。前進するためには,妥協も,あきらめも,時には必要なことがある。


 落ちこみやすい人の予防策の決定打は,“小さな達成感を大切にする”ということだ。
 「完全」「理想」からものを見るのではなく,自分のレベルからものを見るのである。1日一つでいい,小さくて達成感のあることをやるのだ。


 例えば,
 ○プリントをつくる
 ○予備実験をやってみる
 ○今度の授業は,ここのところで勝負してみようかなどとがんばってみる
 ○ちょっと心配している子に声をかけてみるなどなどに,“ヤッター”という気持ちをもつことである。


 世に,ニコニコ健康法なるものがある。楽しくてニコニコするなんてのは当たり前だが,この健康法は,無理してもニコニコするのである。ニコニコすることで,世の中,楽しくなって健康になる,というのである。小さな達成感でニコニコしよう。


③ 「たかがとされど」の考え方
 教育という営みの,ワンパートを受けもつにすぎない理科教育。たかが理科教育である。そのたかが理科教育でメシを食い,生きがいを得たり,悩んだりしている。いったん「たかが」とつきはなしたうえで,「されど」と見直すと,ゆとりをもって理科教育を考えられるだろう。


 森毅さん流に言うなら,ぼくたちは,「たかが学校」で「たかが教師ごとき」をやっていて,「たかが理科」を教えているわけだ。教育委員会や管理職にガタガタ言われようが,そんなことは,自分の人生を自分でつくっていく大事業にくらべれば,たいしたことはないんだ。「たかが理科」ぐらい自分の主体性をもって授業をやりたいんだ ということになろうか。


 ちょっとした失敗をやらかしても,「たかが」と明るく居直りたい。小さな失敗をつみ重ねることが,大きな致命的な失敗をしないですむ最善の方法である。小さな失敗でもやった本人にとっては,「重大事」に思えるものだが,他人はそんなに「重大事」と見ていないものだ。

 

 

④ 頭がボケないために
 千葉康則さんは,『年齢をとらない頭の本』の中で,

 「頭のボケやすい人の職業は,役人,国鉄の職員,学校の先生,警察官,単純反復労働をしている工場勤務の人だという。ここにあげた職業は,みんなワンパターンの労働におちいりやすい。というのも,創造性とか直感力とかいうよりも,真面目さを必要とされるからだ。かんたんにいえば利益追求というような挑戦を必要としないものである」 

  と述べている。


 ふつうの教師生活を送ってしまうと,思考能力はどんどん落ちていくのである。
 それならどうしたらよいか。

 千葉さんは,

「要所要所では,自分の意見をはっきり表明し,拒否する態度をとるべきなのだ。また,指示されたとおりにやるのではなく,つねに自分のやり方,工夫をとり入れるように心がけることだ」「玉砕するか挫折するかの二者択一の選択をするよりも,ゲリラ人間になるはうがいい。周囲に順応しているようにみせながら,実質的に自分の考え方を実現していく人間である。……ふだん社会にでているとき“真面目”な人ほど,会社や家庭をはなれたら“不真面目人間’’になることだ」

  と言う。


 たんなる勤勉,たんなる一所懸命では,頭がぼけるのである。その点,教科書を横目でみながら授業を構想して実践するということは,おもしろくかつ創造的かつ精神衛生上いいことなのだ。


 時の流れに身をまかせ,知らんうちに齢を重ね,ボケ頭しか残らない人生よりも,その場その場を楽しみながら,まず自分が成長できて,ついでに子どものためになり,結果として社会のためになる生き方のほうが,いいんじゃないだろうか。


 どうせ,ぼくたちは理科の教師。仕事は,かなりの部分を「理科の授業」でしめている。この仕事がつまらなかったら,ほかに趣味を見つけるか,部活でもがんばるか……しかない。やはり,「理科の授業」をおもしろがってやっていこう。それには,いろいろ制約がある。でも,その制約を気にしつつ,あるいは克服してやっていくというのも適度の緊張感があっておもしろいんじゃないか。


 最後に,落ちこみそうなとき,思い起こすとよい言葉を。
 地球の誕生,そこでの生物の誕生と進化,人類の誕生,自分の誕生といった宇宙史の中に自分の生を位置づけて,

 「生まれてきたのは丸もうけ,これまで生きてきたのも丸もうけ,これから生きる分は,なおさら丸もうけ」 

  (『唯物論』59号(東京唯物論研究会)所収の渋谷治美「唯物論的人間学の試み」より)と唱えるのである。

6年前、しんぶん赤旗の読書欄「本と人と」に左巻健男登場

6年前、しんぶん赤旗の読書欄「本と人と」に載った。
左巻健男『面白くて眠れなくなる化学』PHP
担当の記者はとてもいい人だった。

*板橋ホタル館問題で松崎区議を応援したことで共産党が遠く離れた存在になってしまった。共産党に反省して貰いたいが…。無理だろうな。

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比嘉照夫氏は田畑に塩を入れるとEM菌の原子転換力で肥料に変わるって…

【EMで塩が肥料に】WEBエコピュア 122回でEM菌比嘉照夫氏は田畑に塩を入れるとEMの原子転換力で肥料に変わるという。
「この結果から言えることは、10a当り2トンも塩をやると、基肥も追肥も不要ということになります。」


具体例として「鎌倉の小泉農園で行っている畝間の塩の施用方法です。この方法なら塩害を起こすことは全くありません。」と紹介。


それで比嘉氏のいうことを忠実に実地している小泉農園で実際はどうだったのか?


小泉農園:2018年6月26日 トマトの通路へ塩追肥
今年のトマトは、元肥に入れた塩が多かったようで、だいぶ塩害を出してしまいました。
10a当たり2tの塩は多過ぎのようです。
アブラムシの繁殖区も多く、ほとんどのミニ、中玉トマトの葉先に枯れが出ています。


EM信者の小泉農園は負け惜しみ。「しかしながら、塩のおかげで味は濃くしっかりとした甘さのトマトになりました。
この失敗をバネに、課題を克服して次につなげたいと思います。」


小泉農園はEM整流結界にも取り組んでいます。
きっと小泉農園は、収量や質が通常栽培の何十倍もあることでしょう。その結果を知りたいです。


小泉農園のEM整流結界ではもちろんEM菌比嘉照夫氏が推薦するEMXGOLDやEMセラミックやリチウム電池も活用しているのかな?


ぼくはEM農法やEM整流結界で収量や質が何倍何十倍にもなるなら農家はなだれをうってEM農法に変えるだろうと思う。しかし、実際はマイナーな存在だ。ぼくが某JAで講演したときに参加者に聞いたらEM菌を知っている人は少なかったよ。


そしてEM研究機構も社員数がばんばん増えて最高時の2百名台を遙かに超えているはずだと思う。
しかし、そこの会社案内は2年間更新無し。
拙ブログで指摘しているがEM菌がここ数年批判側に攻撃的なのはEM菌使用が衰退しているからだと思う。本当にいいものなら批判側をスルーする。