左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

ブルーバックス版検定外高校理科教科書なるもの(『新しい高校化学の教科書』など)

 以前に書いた文章が出てきたので再録しておきます。


ブルーバックス版検定外高校理科教科書なるもの
 2006年1,2月にブルーバックス版の検定外高校理科教科書が発行された。
 『新しい高校化学の教科書』『新しい高校生物の教科書』『新しい高校物理の教科書』『新しい高校地学の教科書』の4巻である。
 「検定外」とは何か。どうしてブルーバックス版か。
文部科学省でのある出来事
 中学校・高等学校の教員をしながら実践的に理科教育を研究してきたことを活かそうと大学に移った。
 中高の教員時代から、東京書籍発行の中学校理科教科書などの執筆者・編集委員をしている。何と言ってもわが国では検定教科書の影響は強い。その教科書を学習指導要領の問題点を少しでもクリアしたものにし、よい資料を入れたりしてわかりやすいものにしようと学習指導要領の枠内で精一杯知恵をしぼり工夫したつもりだ。
 しかし、2001年のある日のこと、私は「このままでは国が滅びるかもしれない」と危機感が襲った出来事に遭遇した。
 その日、私が編集委員・執筆者をしている中学校理科教科書の教科書検定の結果が申し渡されたのだ。3割削減されたと言われる学習指導要領に準拠しながらも、「いくら何でもここまでは教科書から削除はされないだろう」と思って、教科書に入れた内容がいくつも削除とされたのである。たとえば、今まで中学校理科教科書といえば表紙の裏あたりに見開きであった「元素の周期表」は削除になった。質量パーセント濃度は削除で、高校の教科書にしか扱えない等々。
 私は「元素の周期表」は、社会科での地図に相当するもので、物質の世界がたった100種類にも満たない原子の種類(元素)でできあがっていることを示す物質の世界のガイドであると思っている。質量パーセント濃度は小学校算数で学んだパーセントという割合の考えを溶液に適用したものだ。今や環境問題を考えるのに、パーセントどころではなくppmやpptなどの割合を知っておく必要がある時代だと思う。しかし、質量パーセント濃度は中学校理科教科書で扱ってはならないというのだ。実験の試薬の準備も、今までは「10%塩酸」としたところを「うすい塩酸」としなければならなくなった。
○つまらない、役に立たない理科を改善しなければ
 理科を一つの山に例えれば、そこに登って上から見下ろすといろんな自然界が見える。しかし、学習指導要領と教科書検定は、その見下ろせる山の上の方を全部削りとって平地にした」のだ。
 たとえば、生物の世界は進化の事実を元にしてつながりをもって把握できる。しかし、「進化」を中学校や高校生物Ⅰから削除してしまった。中学校理科では、植物は種子植物しか学ばない。シダ、コケ、ソウ類などを学ばなくしてしまった。動物はセキツイ動物だけで昆虫など無セキツイ動物は学ばない。これで生物の世界が見えるようになるだろうか。
 原子については中学校理科では全く、電子や原子核といった内部構造を学ばなくなった。
 そして高校理科には全員必修の科目はない。かつては中学校理科で学んでいたことのうち、高校に移された内容がメインの理科総合Aや理科総合Bだけでも高校を卒業可能である。
 学校で学ぶというのは子どもと教師がいっしょになって山をよじ登って新しい世界が見えるためではないのか。自然の秘密を探っていくという授業を通して新しい納得の世界をつかむことが大切なのだ。断片化した理科では、納得ではなく暗記の学習になってしまう。本来的には、理科というのは生きることの最も重要な知識となるはずなのだ。それなのに、つまらない、役にたたない、自然界をみて、疑問もうまれない感動も生まれない、そういう理科教育にならざるをえない方向に学習指導要領や教科書検定が進めていると思うのは私だけであろうか。
○「検定外」理科教科書のインパク
 私は、この状況に風穴を開けようと世に検定教科書とは違う具体物を投げ込んでみようと思った。それが「検定外理科教科書」である。「検定外」とは、学習指導要領に縛られない、教科書検定を受けない、という意味だ。
 有志2百人とまず中学校理科教科書を2002年1月からスタートして、1年間ほどで『新しい科学の教科書』(3巻 文一総合出版)を発行した。インターネットのメーリングリストを活用して、たった一年間で意見を出し合って作れる。それだけの力量が日本の教師にあることを実感した。
 幸いなことに『新しい科学の教科書』3巻は科学関係の本としてはベストセラーになった。現在では、この3巻は『新しい科学の教科書 第2版』になっている。一般の読者が多いのだが、それぞれの巻が私立中学校を中心に70校程度で準教科書として使用もされている。また、3巻を2巻に構成し直した『新しい科学の教科書 化学・物理編』『新しい科学の教科書 生物・地学編』が出ている。
 『新しい科学の教科書』の後、小学校と高等学校でも検定外教科書をつくろうと有志と動き出した。小学校版は、『新しい理科の教科書』(学年別4巻 文一総合出版)として発行された。
 これらは次期学習指導要領の作成の際に文部科学省の重荷になってほしいと願っている。具体的に存在している成果物がある。それらを本質性やわかりやすさなどで超える学習指導要領をつくって欲しいのだ。
 高校版はブルーバックス版でやろうと考えた。高校ではよく文理分けがされるが、文理を問わず、普通高だけではなく工業高や商業高でさえも、つまり高校生なら誰でも「全部理解しなくてもいいから、このくらいは一度学んでおこう」という内容を展開しようと思った。それにはハンディでどこでも読めるサイズのブルーバックス版もいいのではないかと思った。
 思えばブルーバックス版でやろうとスタートして3年という月日がかかった。メーリングリストで分担執筆した原稿を査読し合い、編者が全体を見通してまとめ直ししたりしてきたからだ。
 学校で使う教科書の体裁はないが、読んでわかることを第一にして展開したつもりだ。高校生のみなさんにも、一般の科学を学び直そうとする人々にも役立つものになると思っている。高等学校を卒業した人はこの程度の科学リテラシー(科学の教養)をもってほしいというのが私たち編者や執筆者の願いである。


※追記※(以上は「極限のゆとり教育」時代の話。今は次のようになっています。)


■「ゆとり」教育から理数教育充実の時代へ


 わが国の教育課程は、約30年前から「ゆとり」教育へと転回しました。その教育課程については、さまざまな方面から批判が相次ぎました。私も検定外理科教科書『新しい科学の教科書』を対案として出す活動を行いました。
 「ゆとり」教育は、「生きる力」やそれを支える「新しい学力観」(自ら学ぶ意欲や、思考力、判断力、表現力などを学力の基本とする学力観)を育てることを狙いにしていましたが、実際は単なる学習量を減らしただけの代物で、狙いが達成できるような教育課程ではなかったのです。
 こうして小学校・中学校の新学習指導要領が2008年3月に告示されました。すでに小学校は新しい教育課程が実施されています。
理科の場合、国際的にも通用する理科教育として充実させるために授業時間数の増加、教育内容の増加がはかられました。
ここに至ってわが国は理数教育充実の時代になったように見えます。


■小学校・中学校理科時間数の変遷


 戦後の小学校・中学校の理科時間数を見てみましょう。
1学年 2学年 3学年 4学年 5学年 6学年
実施年度(告示年)
1971(68)68  70  105  105  140   140
1980(77)68  70  105  105 105 105
1992(89)/ / 105  105  105  105
2002(98)/ /   70   90   95  95
2011(08)/ /   90 105  105 105
表1:小学校 理科時間数の変遷
     1学年  2学年  3学年
1972(69)    140   140   140
1981(77)    105   105   140
1993(89)    105   105   105〜140
2002(98)    105   105    80
2012(08)    105   140   140
表2:中学校 理科時間数の変遷
*この数字の見方ですが、授業は年間35週行うことが標準。そのため、35時間で、週1回の授業になる。たとえば105時間は年間を通して週に3回の授業になる。68時間など35で割り切れない場合は、学期によって授業時間が変わったり、他
教科と交互に授業があるなど変則的になる。


■小学校の理科教育


まず、低学年自然あるいは理科がないのは致命的な弱点です。
 1992年実施(1989年告示)の教育課程から、小学校低学年の理科(と社会)がなくなりました。新しく生活科が設置されましたが、それは理科をふくんでいるとはいえない代物でした。もっとも自然に対して積極的に関わり、感受性も知性もゆたかに育つ時期に理科や自然に関わる教科がないままのです。
 かつての“砂車”に見る非科学的で操作主義的な内容は要りませんが、自然についての基本的な体験やごくごく基礎的な知識(自然をとらえる基本的なことばや論理)を身につけさせたり、物をつくったり、動物を飼ったり、植物を育てたりする活動は、言葉や数の認識をつくる上でも重要です。その具体的な提案として、私は、有志と『しぜんのきょうかしょ』2巻を作成しました。『みのまわりのふしぎ見つけよう』と『みぢかな生き物となかよくなろう』(文一総合出版 2011.3)です。
 小学校低学年の時期は、もっとも未知への探究行動性が強く、感受性も鋭い時期です。その時期の理科につながる自然の学びが欠落していることは、わが国の理科教育の致命的な弱点だと考えます。
 「いったい、それを学んでどう科学的にゆたかに自然を捉えられるのか」という疑問が生じる内容があります(たとえば、5年の「電流の発熱」の太さと発熱、6年「電気の利用」の発電・蓄電など)。「科学の方法」の断片を重視することで、科学的にゆたかに自然を捉えるよりは、「比較」、「関係づけ」、「条件制御」や「推論」などのほうに重点がおかれているようです。「物に電流を流せば発熱する」ということよりは、電熱線の太さで発熱量が違うことを何の手がかりもないので学ばせます。手回し発電機による発電量をコンデンサキャパシタ)に蓄電して比較させます。小学校ではもっと基礎的基本的な概念・法則をしっかり学ばせることが必要ではないでしょうか。
 わが国の小学生は、他教科と比べて「理科の勉強は好き」という割合は74.5%で他教科より高いが、「理科の勉強が生活や社会の役に立つ」という割合は57.6%で他教科より低く、理科に対する重要性の認識は低いという調査結果があります(2003年度小・中学校教育課程実施状況調査:国立教育政策研究所)。
 学校設置者の市区町村の財政悪化で学校備品費が削減されている地域も多く、教材・設備費が不十分という状況にあります。「理科支援員」制度は、小学校高学年だけ、しかも全国の小学校の1割強程度の配置です。それも「仕分け」対象になり廃止の方向です。
 小学校教員の多くは、これまでのやさしいことだけ学習する「ゆとり」教育でも理科に苦手意識をもち、指導力不足が問題になっていました。今後、たくさんの内容が付加された新教育課程に対応して、たのしくわかる理科の授業を展開していくためには、勤務の環境改善、教員をサポートする仕組みの整備、教材教具の整備と理科の予算の増額、理科関係の研修会への参加の環境整備など理科教員の周囲の条件整備を早急に進める必要があると思います。


■中学校の理科教育


中学校も、小学校に1年遅れて2012年4月から全面実施になるのですが、2009年度からは補助教材を配布し、改訂学習指導要領で付加された内容を学んでいます。中学校の教科の中で、理科は、授業時間数と内容が大幅に増えました。高度で抽象的な概念をどう理解と納得をさせながら学ぶことができるようにすることが大切です。そのための授業の工夫を行うための教材研究などの時間的なゆとりや機会が弱いままで、ただたくさんの内容を覚えさせるだけの教育になる恐れがあります。


■高等学校の理科教育


理数は、中学校と同時期2012年4月から改訂教育課程を前倒し実施になります。高校理科で設置される科目は、「物理基礎」、「化学基礎」、「生物基礎」、「地学基礎」(各2単位)」、「科学と人間生活」(2単位)、「物理」、「化学」、「生物」、「地学」(各4単位)、「課題研究」(1単位)です。
現行教育課程と比べて学習量は大幅に増えます。
 高校生は、最低必ず、「基礎」の付く4科目から3科目、あるいは、「科学と人間生活」を選択する場合は、それと「基礎」の付く3科目から1科目を履修しなければなりません。
 高校理科教育は今でも認知面でも情意面共に問題を抱えていますが、今後、小学校・中学校の教育課程と合わせて、国民の基礎教養をどうしていくかという観点からしっかり考えていかなければなりません。