左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

“超能力”でスプーン曲げと学校

●“超能力”でスプーン曲げと学校
 物理化学と理科教育を専攻する大学院生だったときに、同時に非常勤講師で
中学校や高等学校で理科を教えていた。70年代半ばから公立中学校の理科教諭
になった。以後、東京大学教育学部附属中・高等学校の理科教諭に転じ、9年前
に大学に転じて今日に至っている。次は、そのぼくの目から見たニセ科学
学校と教員の様子である。


 理科を教え始めた当時は、高度経済成長の破綻で漠然とした不安感が醸成され
ていた頃だ。また、公害問題などで科学・技術への不信感も高まりつつあった。
当時、学校では「こっくりさん」が大流行していた。
 そんな1974年、ユリ・ゲラーが来日した。彼を呼んだのは日本テレビ矢追純一
ディレクターだった。
 まず3月7日にテレビでユリ・ゲラーの出演した番組の放送があった。視聴率は
30%近くあった。4月4日にも放送があった。両番組で彼がやったのは、“超能力”
によってスプーンを曲げることとテレビの画面を通じて念力を送ることで、止
まっていた時計を動かすというパフォーマンスだった。止まっていた時計が動き
出したなどの電話がテレビ局に1万2千件あったという。
 以後、NHK以外のテレビ局は視聴率がとれるということで「超能力ショー」を
頻繁にやるようになった。そこで活躍したのは千人にものぼると言われた超能力
少年少女たちであった。とくに有名になったのは関口君と清田君であった。
 『週刊朝日』74年5月24日号の関口君のインチキの写真を掲載した。関口君の
両親はインチキを認めたが、それは2回だけとして後は本物と主張。「悪条件が
重なるとできないことがある。仕方なしにインチキをしてしまった」。
 メディア界は肯定派、半信半疑派、否定派が入り乱れたが、インチキがあって
も「それでもスプーンは曲がる」が多数派だったようだ。


 インチキ発覚後、スプーン曲げという超能力ブームは急速に衰えていった。大
衆が飽きてしまったからだ。それでも、76年当時ぼくが勤め始めた学校の職員室
で「超能力はある!ない!」という話が出ることがあった。もちろんぼくは少数
派の否定派だった。
 「物体は力を受けると変形する」「力は物体同士の相互作用」「念力の存在は
科学的に根拠無し」という科学知識、そして「どう見ても簡単なトリックを使っ
ているとしか思えない」という判断がぼくの根拠だ。
 肯定派は、「科学ではわからないことがある」「子どもがインチキをやるはず
がない(たまたまインチキが見つかっても全部がインチキとは言えない)」
「“科学、科学…”という人は頭が固い」「不思議な体験をしたことがないんです
か」と言ってきた。
 「科学ではわからないことがある」に対して、今のぼくなら「科学ではわから
ないことがあるのはその通りだ。でも、少なくても、スプーン曲げについては科
学でわかることだ。科学でわかっていないことも膨大にあるが、わかってきたこ
とも膨大にあり、“岩のように確固たる真実の基盤は増え続けている。小さな真
実はそよ風に揺らいだり、新たな真実という嵐の中で壊れたりするかもしれない
が、基盤は生き残る。(アン・サイモン)”そういった真実の基盤でスプーンが
曲げを考えることができる」というだろう。当時も似たようなことを言っていた
と思う。
 また、「頭が固い」に対して、次の板倉聖宣氏の言葉を返すだろう。「手品と
超能力を区別するのは“実験”。本気で超能力現象だと主張するならその人こそ疑
問の余地のない実験をすべき。いいかげんな“ショー”や証言だけで“曲がった、
曲がった”と言い、科学的に解明すべきというのは聞くだけで嫌。“もしかすると
あるかもしれない”ではなく、“独断的に超能力現象を信じることから出発せよ”
という。普通の科学者より独断的で頭が固い」(要約。ものの見方考え方研究会
『ものの見方考え方 第2集 手品・トリック・超能力』(季節社))。
 当時、「そんな遠隔でも“超能力”で力を作用させられるなら、スプーンなんか
曲げていないで、スロットマシンのドラムでも思い通りに止めてみたら。あるい
は、もっと世の中に役に立ったりすることに使ってみてくれ。」とも言ったもの
だ。「そんなことができるなら、どうしてこうしないのか」というのは、真偽の
判定の基準の一つだ。


 さて、“超能力”とスプーン曲げを信じていても、肯定の立場で授業にかけよう
とした人はほとんどいなかった。ぼくは、当時、理科教育の雑誌の編集委員をし
ていて全国の様子がある程度わかっていたが肯定の授業の話は聞こえてこなかっ
た。聞こえてきたのは、否定の授業の話である。スプーン曲げは、初心者でもで
きる簡単な手品なので、スプーンに傷をつけておいたりしなくてもスプーンの素
材さえ選べば「てこの原理」で可能である。すると力学の授業の教材になるので
ある。


 30余年ほど前の中学校教員時代、“超能力”とスプーン曲げの話だけではなく、
教員同士で、教育の話、授業の話、生徒の話ができた余裕があった。持っている
授業時数は、今の中学校教員より多いかも知れない。クラスの生徒数も多かった。
“校内暴力”で荒れてもいた。それでも余裕があり、ぼくのような新任教員はベテ
ランの教員から学ぶことがたくさんあった。こうした余裕が今の学校現場から失
われていることは、「水伝」授業に走る教員が出る要因の一つと思える。


*『論座』誌に書いたものの一部を少し手直し*