左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

17年前、高校理科教員の左巻健男が書いた書評

 昔のメールを見ていたら、97年11月ころに岩波書店『科学』誌編集部 林衛氏とやりとりをしていました。彼から、次の本の書評を依頼されてやりとりをしていたのです。


(1)書 名

 戸田盛和
 マクスウェルの魔
 古典物理の世界
 みすず書房 1997年
 A5判 192 ページ 2000円(本体)

(2)

 私は、ほぼ全員が大学に進学する普通科高校の化学教員である。
 その私が、本書を読もうという気になったのは、この本をぱらぱらとめくったら物理のテキストにつきものの数式が見あたらなかったからだ。正統な物理学者にして、”おもちゃ博士”の異名をとる著者のこと、数式を使わなくても物理の世界の本質を示してくれるだろうという期待感があった。私のような学力レベルが高くない者にも、読みすすめて行けそうだったのである。
 一般に高校理科の教員でも、いくら「基礎」とうたっていても化学や物理の本に数式が並んでいると読みすすめていけないようだ。


 本書は、『物理読本』シリーズの第1巻目(全4巻)で、この1巻では、「有史以来の科学の発達から古典物理学にいたる物理学の変遷」を扱っている。


 話は、「なぜ昼夜があるのか」からはじまる。この問いに答えながら科学での「模型(モデル)」の意味や自然を理解する方法などをごくさりげなく導入している。
 そして、話は、ガリレイを契機にしてニュートンに至って確立したニュートン力学の世界へ。ガリレオによる地上界と天界の差別の撤廃、ニュートンによる時間空間概念などを、科学者の個性を紹介しながら展開している。もともとニュートン力学は、量子力学のように「人間離れ」していないとはいえ、著者の筆致を追っていくとニュートン力学が示す世界像がイメージされていく。
 「ズーム」というコラムに紹介された「宇宙原理」や「オルバースのパラドックス」などの話も、興味をかき立ててくれる。


 次は、熱力学で、「マクスウェルの魔」がある。ここで、欲を言えば、「エントロピー」概念を、その導入段階で、もう少しイメージゆたかに記述していただきたかった。私自身が熱力学を苦手にしているせいもあるが、4章「熱の流れと時間の矢」、5章「マクスウェルの魔」になると、少々読むのに手こずったからである。


 私のような、高校物理の知識も忘れかけている物理素人でも、5時間程度で読むことができた。そして、古典物理の世界像を大まかにつかむことができた。一般に、物理の普及書というと本の題名は興味を惹くものだが読み始めると出だしはやさしくわかりやすいけれど、すぐに一般人の教養レベルを超えていってしまうものが多いと感じている。本書は、熱力学の記述にもう一工夫あればと思うが、最後まで読みすすめることができた。本書は、理科の教員にとっても、科学好きの一般の人にとっても既存の知識の再構成に役立つのではないかと思う。


 実は、本書を読んだのには、もう一つ理由がある。それは、この『物理読本』シリーズの「すこし長いまえがき」に関心をそそられたからだ。
 そのまえがきに込められた読者へのメッセージは、大きく次の2つであると思う。
 *知的文化としての科学を楽しもう。
 *根本に戻って、大きなことを問い直そう。


 ちょうど、私は、現場での仕事以外に中学理科や高校化学の教科書づくりに追われる生活を送っていた(今も送っている)。理科離れが言われる状況の中で、中学理科や高校化学の教科書も、根本を忘れ、枝の先のような小さいことにとらわれていないかという思いはいつも頭をかすめていく。


 著者は言う。「たとえば義務教育が何のために必要かというと、それは私たちの社会を住みやすくするために必要な共通の知恵と知識を育てることにあります。・・・社会を維持するためには少なくともある程度の共通の価値観とバランスがとれた共通感覚が必要であり、このことは、文化についても科学についても技術についてもいえることです。」
 しかし、教育界は、「個性化」の名の下に「共通の知恵と知識を育てる」ことから遠ざかりつつあるように思われる。今後ますますその傾向は大きくなるだろう。著者は、そのような状況もふまえて、本書を執筆しようとしたのではないか。


 高校では、理科はすべて選択科目だ。理科だけで計13種類もある。物理、化学、生物、地学は、それぞれIA(2単位)、IB(4単位)に分かれる。
他に総合理科(4単位)、IB科目に続いて学習する物理、化学、生物、地学のⅡがある。卒業に必要な最低単位はIA科目を2科目の計4単位である。


 本書に内容的にかかわるのは物理IBである。主にニュートン力学電磁気学が内容である。物理IBは、抽象度の高い概念と計算の連続ゆえに嫌われているようである。
 ついでに理科の選択状況を見ておこう。全国で、最も選択者が多いのは化学で、次が生物である。さらに物理、地学と続く。
 では、化学が一番選択者が多いからと言って喜べるかというとそうではない。化学が一番選択者が多いのは、「物理ほど計算ばかりではないし、生物ほど暗記ばかりではない」という雰囲気と、大学受験で理系にも文系にも使えそうだという実利あたりが、大きな理由のような気がしている。化学を選択し、勉強をすすめると「物理のように計算があり、生物のようにいっぱい覚えることがある」ことに嫌気がさしていく生徒たちも少なくないのだ。”化学的爆発”をはじめ、物質に則して「物質の世界」にいざなおう、と努めて授業をしていてもである。
 高校物理では、なおさら物理的世界像をイメージさせながら計算にも取り組むという授業が求められるだろう。


 読んで思ったのは、著者のメッセージは本書で完結するものではないということだ。科学にかかわる者は、それを自分のものとして受け止めて、いろいろな方法で科学の思想を次代に伝えることが必要なのだ。私には何ができるかを考えていきたいと思う。


 次には、このシリーズの「2 ミクロから、さらにミクロへ−量子力学の世界」に挑戦しようと思っている。(左巻健男 東京大学教育学部附属高等学校教諭)


 林氏にあてたメールの送信日付→(1997/11/27 Thu 12:37:21)


*あの頃は、林衛氏はよく仕事をしていたと思います。(その後過労から心身がやられてか退職になります。退職後の当時のやりとりも残っていますが、林氏のために封印しておきたいと思います。)