左巻健男著『面白くて眠れなくなる人類進化』PHPを何気なく読み始めたら面白くてwついついかなりを読んでしまった。
本書を書くに当たって何か月か生命の歴史や人類史を学んで、頭の中で内容構成が発酵したときに執筆開始したことを思い出す。
愛称“ルーシー"という猿人/ピルトダウン人骨捏造事件/私たちのなかに生きるネアンデルタール人/現代人にそっくりな少年の原人/ヒトと類人猿の分かれ道/五本指は原始両生類から始まった?/恐竜と同時代を生きていた原始哺乳類/“イーダ"の化石/顎を獲得して生物の巨大化が始まった/三葉虫と目の誕生/私たちの祖先はナメクジウオ?/最古の生命の痕跡を発見した日本人…
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はじめに
人類進化は、面白い。
人類進化をテーマにするにあたって、まずは、「私たちはどこから来たのか」という根本的な問いをたてました。その問いに答えようとするとき、どのように話をくり広げたら、さくさく読めて、面白くて、ためになる本になるだろうかと考えました。
現在の私たちの体には、サルなど霊長類からヒトへの進化にとどまらず、四十億年前から続く、太古の生物の歴史が刻まれています。そんな奇跡のような道のりを、一冊を通じてたどってみたいと思ったのです。
そこで、本書では次のような方針をとることにしました。
◎Part1から順に、現代から最初の生命の登場へとさかのぼっていこう。
◎Parl1は、最初の人類から現代人まで。Part2は、私たちの祖先が陸上に上がったあたりから最初の人類の手前まで。Part3は、最初の生命の登場からヒレに骨をもった魚まで。
◎各Partのなかでは、古い時代から新しい時代の順序にしよう。
◎節目節目のトピックスを中心に、やさしく(もちろん面白く)語ろう。
◎ゲノム(全遺伝情報)解析などの方法には深入りしないで、あっさりとその成果を説明してしまおう。
ここで、本書を読むときに基礎になる考えを示しておきたいと思います。私たちの祖先をたどっていったときの道筋を表すと、いくつもの枝分かれがあります。その枝分かれのところには、それぞれの共通の祖先が存在しています。
たとえば、「約七百万年前に人類はチンパンジーとの共通の祖先から分かれ、進化してきた」というのはその一つの例です。
ヒトもチンパンジーも、その共通祖先から分かれてから、同じだけの時間をかけて、それぞれ進化してきました。その間に、それぞれが環境の限られた条件に適応l、特殊化の道を歩みました。チンパンジーは森の生活に適応し、一方、ヒトは森の生活を捨て、高度な道具を使うようになりました。
ですから、「今のチンパンジーが進化したらヒトになるのか」といわれたら、ノーと答えるのです。これは、現在生きているあらゆる生物にあてはまります。
人類の進化を学ぶことは知的なエンターテインメントでもありますが、地球に生命が誕生し、私たち人類にまで進化してきた軌跡を知ることで〝私たちが今なぜここにいるのか″という問いへのヒントを示してくれます。
私は人類進化の専門家ではなく、小学校・中学校・高等学校の理科で何をどう教えるかを教育・研究している理科教育の専門家の一人です。
中学・高校の教員時代、初めて本格的に教えるときに必死に学びながら教えていましたが (基本的に大学教員の今でも同様)、本の執筆も同じです。執筆しながら、新しい知見にワクワク・ドキドキしました!
読者の皆さんにも、その知的興奮が伝わったら非常に嬉しいです。
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おわりに
私が編集にたずさわった理科教育の著書のなかに
「生まれてきたのは丸もうけ、これまで生きてきたのも丸もうけ、これから生きる分は、なおさら丸もうけ」
という言葉を入れています。「教師のための精神衛生法」という項目です。
地球の誕生、そこでの生物の誕生と進化、人類の誕生、自分の誕生といった宇宙史のなかに自分の生を位置づけて、渋谷治美さんの言葉を紹介したものです。落ち込みそうになったとき、思い起こすとよい言葉だと思ったのです。
そして、この言葉を実感できるような教育を進めていくことが、理科教育の立場に立った生命尊重の教育として大切だと思いました。
だから、ある日の講義で、私は、前田利夫『いのちの起源への旅 137億年』(新日本出版社)を参考に、中学校・高等学校理科の教員免許をとるのに必修の科目「理科教育法」で、人類の歴史を語っていました。
前田さんの本にならって祖先をさかのぼって、現代人から旧人、原人、猿人、初期猿人へと人類の起源を探り、霊長類・哺乳類、カンブリア紀大爆発、三十億年間の単細胞時代、生命の起源へと二コマ連続の講義を進めたのでした。
「私たちはどこから来たのか?」 という問いは、将来、理科教員として理科のどの分野の子どもたちの学びにたずさわろうとも、教員以外の道に進もうとも、一度は立ち止まって考えたい価値をもっていると思ったからです。
そんなときに、本書を執筆することになりました。
最後になりましたが、本書が少しでも面白くためになるものになっているとしたら、最初の読者である編集担当の綿ゆりさんのおかげです。その声に従って書き直しをしたり、追加したりして進めました。感謝申し上げます。
二〇一五年十一月二十日
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