左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

左巻健男「学校に忍び込むニセ科学」(10/22 教育社会学会シンポジウム用予稿)

                          学校に忍び込むニセ科学

 

         左巻 健男(法政大学教職課程センター)

 

1.ニセ科学への警鐘を開始した契機

 私は、公立中学校、東京大学教育学部附属中・高等学校(現東京大学教育学部附属中等教育学校)の理科教諭を長く勤めてから大学に異動した。専門は理科教育である。京都工芸繊維大学で、独自の理系アドミッション入試の企画・運営及び高大接続の研究を行い、同志社女子大学現代社会学部現代こども学科で初等理科の教育・研究を、法政大学生命科学部環境応用化学科で基礎化学を、そして法政大学教職課程センターで理系教職の教育・研究を行ってきた。
 東大附属時代に、理科教育を土台にして、『入門ビジュアルエコロジー おいしい水・安全な水』(日本実業出版社)を出した。そこで、様々な機能性を持つとされる水も検討し、世に怪しげな、しかし科学っぽい雰囲気で迫るニセ科学商品群と相対したのである。さらに、紀伊國屋本店で隣に平積みになっていた『水からの伝言』(以下、「水伝」と略)とも出会ったのである。「水伝」は、学校教育や環境活動の中に忍び込んでいるニセ科学の代表的なものである。
 その後、私は、雑誌『RikaTan(理科の探検)』誌編集長としてニセ科学批判の特集号を出したり、『暮らしのなかのニセ科学』(平凡社新書)を執筆するなどしてきた。

2.「水伝」を使った道徳の授業

 「世界初!!水の氷結結晶写真集」である「水伝」は、もともとは著者の江本氏の様々な「波動」商売の一環として自費出版のようなかたちで出版された。「波動」商売とは、「波動測定器」で診療まがいなことをする波動カウンセリング、よい波動を転写したという高額な波動水(波動共鳴水)の販売などである。それが、一般のオカルト好きの人たちだけではなく、教育の世界にも浸透していった。「水伝」に書かれていたのは、容器に入った水に向けて「ありがとう」と「ばかやろう」の「言葉」を書いた紙を貼り付けておいてから、それらの水を凍らすと、「ありがとう」を見せた水は、対称形の美しい六角形の結晶に成長し、「ばかやろう」を見せた水は、崩れたきたない結晶になるか結晶にならなかったということだ。水に、クラシック音楽とヘビメタ(ロック・ミュージックのジャンルの一つ)を聴かせると前者はきれいな結晶に、後者はきたないものになるという。つまり、水は「言葉」を理解するので、そのメッセージに人類は従おうというのだ。
 学校の教員のなかには、「水は、よい言葉、悪い言葉を理解する。人の体の6,7割は水だ。人によい言葉、悪い言葉をかけると人の体は影響を受ける」という考えは授業に使えると思った人たちがいる。子どもたちの道徳などで、「水伝」の写真を見せながら、「だから「悪い言葉」を使うのは止めましょう」という授業が広まった。

3.「EM菌」の団子を水環境に投げ込む「環境活動」

 「水伝」並ぶ学校に忍び込んでいるニセ科学はEM(通称EM菌)である。EMは有用微生物群 Effective Microorganisms の英語名の頭文字である。本当に有用かどうかははっきりしない。そう名づけただけだからだ。通称EM菌は特定の会社から販売されている商品名のようなものである。中身は乳酸菌、酵母光合成細菌などの微生物が一緒になっている共生体ということである。何がどのくらいあるかという組成がはっきりしていない。研究者が調べてみると肝心の光合成細菌がふくまれていないという報告がある。開発者は比嘉照夫氏で、EMの商品群はEM研究機構などのEM関連会社から販売されている。もともとは微生物による土壌改良材である。
 比嘉氏によると、EMは「常識的な概念では説明が困難であり、理解することは不可能な、エントロピーの法則に従わない波動〈縦波〉の重力波」が「低レベルのエネルギーを集約」し「エネルギーの物質化を促進」する、この「魔法やオカルトの法則に類似する、物質に対する反物質的な存在」であり、「1200℃に加熱しても死滅しない」で、「抗酸化作用・非イオン化作用・三次元(3D)の波動の作用」を持つとしている。
 そのEM菌を、子どもたちにプール、河川や湖、海に投入させるような活動が行われている。有機物のかたまりで環境負荷を高めてしまう可能性が強い。その延長線上では、健康のためにと「EMX GOLD」という高額(500mLで¥4500)の清涼飲料水を飲む「EM力を強化する生活」が待っている。

4.問われる科学リテラシー

 問われるのは、科学リテラシーだ。リテラシーは、もともと「言語の読み書き能力」だが、基礎的な科学知識の重要になった現代にあって、科学リテラシーが誰もが身につけてほしい科学を読み解く能力として登場してきた。私は、現代では、「読み・書き・そろばん」だけでは不足だと考えて、「読み・書き・そろばん・サイエンス」を主張している。
 しかし、科学リテラシーを持つのは簡単ではない。
  「水伝」には“言霊信仰”、「EM菌」には“何やらわからない謎な微生物への信仰”が持たれやすく、理性的な判断を曇らせる。
 社会階層的には知的なレベルが高いと思われる教員も、真善美の3つの区分が曖昧になっている。「善なるものは真」「美なるものは真」という思いがあるのではないか。
 事実をもとに科学的な手続きで検証してはじめて真なるものが確立するが、私たちの脳は、いちいち真なるものを追求しないで省力化する。断片をつなぎ合わせて直感的に判断することに馴れている。物事をクリティカル(懐疑的)に捉えることは面倒なので普通はそんなことはしない。しかも、教員は被教育者の頃も程々の優等生で、教科書の内容を覚え、試験でそれを吐き出して今日がある。
 真善美が曖昧だと、「教室の子どもたちの言葉遣いをよくしたい」「子どもたちに環境によい活動をさせたい」という“善意”が基底に強くあって、しかも、写真などを見て科学的なものだと思ってしまい、「水伝」や「EM菌」に絡め取られていく。
 ニセ科学の側は教育こそが自分らの主張の拡大の手段になることを知っている。教員を通して多くの子どもたちへの浸透を図る。そこで、“感動”と“善意”に弱い教員を主なターゲットにする。
 TOSS(教育技術法則化運動)もニセ科学学習指導案普及に大きな役割を果たした。教員が、現場の多忙化の進行の中、ネットでダウンロードしてすぐ使える学習指導案に飛びついた面がある。教科書の内容を覚えることで学校優等生だった教員には道徳や環境学習など教科書がない学習ではTOSSの学習指導案が頼りになった面もある。

5.おわりに

 「水伝」にしても「EM菌」にしても、大学2年生対象の調査で、それらを好意的に学習の経験をした者は、ほとんど小学校時代で、数%~10%程度であった。これを多いと見るか少ないと見るか。
 道徳が教科化されて検定教科書も作られるので、「水伝」や「EM菌」のようなあからさまな、強い批判があるものについては教科書には掲載されず、これらの授業は衰退していくかもしれない。しかし、「親学」や「江戸しぐさ」など、ニセ脳科学、ニセ歴史学のような新しいものが忍び込んでいることにも注意し批判していくことが重要だろう。