左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

教師のための精神衛生法~教師生活で心をやられないようにするために~

 左巻健男『理科の基礎・基本 おもしろ授業入門』明治図書2002から。


① 一番恐ろしいこと
 現場は忙しい。忙しさにまぎれて,思考停止の状態をつづけてしまう。そんな危険性に満ちているのだ。これは恐ろしいことだ。だから,“何でも一所懸命”ではなく,ときには上手に手を抜いて,何をやるべきかをよくよく考えねばならない。


② 落ちこみやすい人に
 現今の状況は,まじめな人ほど,落ちこみやすい。悩む,というのはとても人間的なことだ。私たちは,悩みながら大きくなってきたのである。ぼくなど「あんなことをやってしまった,こんなことを言ってしまった」などとほぞをかんで,一人自分の部屋で床をどんどんたたいたりしている。それでいいんだと思う。悩みをばねにして,次にがんばるのである。


 落ちこみやすい人は,白黒をはっきりしないと気がすまない人に多い。「完全」「理想」を基準にして悩んだりする。
 明るく居直らなきゃだめなんだ。世の中には妥協しなければならないこと,しかたがないとあきらめなければならないことがたくさんある。これをズルズルと妥協してしまうというのは問題外だが,自分ができる範囲で,できるレベルでしかやれないということを認識する必要がある。前進するためには,妥協も,あきらめも,時には必要なことがある。


 落ちこみやすい人の予防策の決定打は,“小さな達成感を大切にする”ということだ。
 「完全」「理想」からものを見るのではなく,自分のレベルからものを見るのである。1日一つでいい,小さくて達成感のあることをやるのだ。


 例えば,
 ○プリントをつくる
 ○予備実験をやってみる
 ○今度の授業は,ここのところで勝負してみようかなどとがんばってみる
 ○ちょっと心配している子に声をかけてみるなどなどに,“ヤッター”という気持ちをもつことである。


 世に,ニコニコ健康法なるものがある。楽しくてニコニコするなんてのは当たり前だが,この健康法は,無理してもニコニコするのである。ニコニコすることで,世の中,楽しくなって健康になる,というのである。小さな達成感でニコニコしよう。


③ 「たかがとされど」の考え方
 教育という営みの,ワンパートを受けもつにすぎない理科教育。たかが理科教育である。そのたかが理科教育でメシを食い,生きがいを得たり,悩んだりしている。いったん「たかが」とつきはなしたうえで,「されど」と見直すと,ゆとりをもって理科教育を考えられるだろう。


 森毅さん流に言うなら,ぼくたちは,「たかが学校」で「たかが教師ごとき」をやっていて,「たかが理科」を教えているわけだ。教育委員会や管理職にガタガタ言われようが,そんなことは,自分の人生を自分でつくっていく大事業にくらべれば,たいしたことはないんだ。「たかが理科」ぐらい自分の主体性をもって授業をやりたいんだ ということになろうか。


 ちょっとした失敗をやらかしても,「たかが」と明るく居直りたい。小さな失敗をつみ重ねることが,大きな致命的な失敗をしないですむ最善の方法である。小さな失敗でもやった本人にとっては,「重大事」に思えるものだが,他人はそんなに「重大事」と見ていないものだ。

 

 

④ 頭がボケないために
 千葉康則さんは,『年齢をとらない頭の本』の中で,

 「頭のボケやすい人の職業は,役人,国鉄の職員,学校の先生,警察官,単純反復労働をしている工場勤務の人だという。ここにあげた職業は,みんなワンパターンの労働におちいりやすい。というのも,創造性とか直感力とかいうよりも,真面目さを必要とされるからだ。かんたんにいえば利益追求というような挑戦を必要としないものである」 

  と述べている。


 ふつうの教師生活を送ってしまうと,思考能力はどんどん落ちていくのである。
 それならどうしたらよいか。

 千葉さんは,

「要所要所では,自分の意見をはっきり表明し,拒否する態度をとるべきなのだ。また,指示されたとおりにやるのではなく,つねに自分のやり方,工夫をとり入れるように心がけることだ」「玉砕するか挫折するかの二者択一の選択をするよりも,ゲリラ人間になるはうがいい。周囲に順応しているようにみせながら,実質的に自分の考え方を実現していく人間である。……ふだん社会にでているとき“真面目”な人ほど,会社や家庭をはなれたら“不真面目人間’’になることだ」

  と言う。


 たんなる勤勉,たんなる一所懸命では,頭がぼけるのである。その点,教科書を横目でみながら授業を構想して実践するということは,おもしろくかつ創造的かつ精神衛生上いいことなのだ。


 時の流れに身をまかせ,知らんうちに齢を重ね,ボケ頭しか残らない人生よりも,その場その場を楽しみながら,まず自分が成長できて,ついでに子どものためになり,結果として社会のためになる生き方のほうが,いいんじゃないだろうか。


 どうせ,ぼくたちは理科の教師。仕事は,かなりの部分を「理科の授業」でしめている。この仕事がつまらなかったら,ほかに趣味を見つけるか,部活でもがんばるか……しかない。やはり,「理科の授業」をおもしろがってやっていこう。それには,いろいろ制約がある。でも,その制約を気にしつつ,あるいは克服してやっていくというのも適度の緊張感があっておもしろいんじゃないか。


 最後に,落ちこみそうなとき,思い起こすとよい言葉を。
 地球の誕生,そこでの生物の誕生と進化,人類の誕生,自分の誕生といった宇宙史の中に自分の生を位置づけて,

 「生まれてきたのは丸もうけ,これまで生きてきたのも丸もうけ,これから生きる分は,なおさら丸もうけ」 

  (『唯物論』59号(東京唯物論研究会)所収の渋谷治美「唯物論的人間学の試み」より)と唱えるのである。