左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

左巻健男が理科教育者として15年前に理科教育誌に書いた原発のこと

 2004年4月号から1年間、明治図書『教育科学 理科教育』誌に理科に関連したニュース解説記事を連載していた。
 次は11月号に書いたものである。

○わが国史上最悪11人の死傷者-美浜原発3号機事故
 8月9日午後3時22分、タービン建屋で二次冷却水の蒸気が噴き出し火災報知機が鳴った。ぺらぺらになった配管を内側からめくり上げるように噴き出した蒸気は、タービン建屋内を映し出すモニター画面を一瞬のうちに“真っ白”にするほどの勢いだった。高温、高圧の蒸気を浴びて肌や服がただれたようになった作業員のうち意識ある負傷者は、肌がただれ「痛い、痛い」とうめき声で訴えた(福井新聞)。
 1995年、もんじゅナトリウム漏れ事故、1999年、茨城県東海村のJCO臨界事故、2002年、東京電力原発トラブル隠し。この十年間だけを振り返っても、原子力の事故と不祥事は繰り返されてきた。
今回事故を起こした美浜原発は、関西電力が、電力会社として初めて建設した原子力発電所で、1号機は70年11月、2号機は72年7月、3号機は76年12月にそれぞれ運転開始、三つ合わせて166.6万キロワットの発電能力をもっている。この美浜原発に限っても、91年2月、2号機で蒸気発生器の細管破断事故が起き、国内で初めて緊急炉心冷却システム(ECCS)が作動。放射能を含む1次冷却水が2次冷却水系に大量流出し、放射能が大気中に放出された。3号機でも00年と02年に放射能を含んだ冷却水が漏れる事故が起きている。
他にも関電の1999年のプルサーマル用MOX燃料の検査データのねつ造発覚、今年6月の11カ所の火力発電所で3600件を超すデータ不正も記憶に新しい。
 そして今回死者5人(9月8日現在)を数える大事故が起こった。同様の事故は、すでに1986年、米国のサリー原発2号機で起きていた。タービン建屋内の配管が破断し、高温水が蒸気となって噴出。8人が蒸気を浴びて火傷を負い、4人が死亡している。このとき、国内7つの原発で同じ配管の肉厚検査をしたが、異常はなかったとされた。しかし、点検はなされていなかったのである。二次冷却水系の検査は、政府は電力会社まかせにし、電力会社はメーカーに丸投げし、メーカーも直接の検査には責任を負わないという無責任体制が原発という重大な危険をともなう施設の安全管理の実態だったのである。
 老朽化が進みながらも運転が続けられる原発。本来的には老朽化で点検はさらに緻密に全面的になされなければならないはずであるが、かつては3ヵ月くらい運転を止めて行なわれていた定期検査が、電力自由化のなか、90年代に入り、コスト優先になっているようだ。今では40~50日に短縮され、30日未満ですませてしまった例もある。運転しながら深夜におよんで定期検査の準備などがなされるようになっている。
 電力自由化の流れのなか、すでに原発は他の発電方式に比べてコスト的にも優位性は弱くなっている。昨年12月の関西、中部、北陸の3電力が、珠洲原発(石川県珠洲市)計画の「凍結」を地元自治体に申し入れたのはその例の一つだ。今まで電力会社が建設を表明しながら、経営判断に基づき計画を断念するのは初めてだった。需要の伸び悩みと、原発の長期にわたる資金や管理の負担に加え、自由化の拡大でコスト削減を迫られている電力会社にとって、過去の原発計画は大きな負担になりつつあるのである(朝日 2003/12/05)。 
 原発で致命的なのは放射性廃棄物の処理が子孫につけを回すしかないということである。
それに加えて、国や電力会社の「絶対安全」のかけ声のなかで、今回のような予測して対策も立てられたはずのことまで大事故になるという事態。さらに今年になって10年も前に使用済み燃料の再処理と直接処分についてのコストが、当時の通産省によって試算されながら隠されていたという原発の政策をめぐる秘密主義。そのデータは、核燃料サイクルは、使用済み核燃料の直接処分より2倍近く割高とする旧通産省(現経済産業省)の試算である。
 理科教育や環境教育でいえば、義務教育段階の理科の学習指導要領から「原子の内部構造」、つまり原子核や電子を完全に無くして原発の仕組みを全然理解不可能な低レベル教育をしながら「自然放射線」という言葉だけは入れてある。放射線を理解するには原子核やその分裂についての基本的な知識が必要だ。
 「エネルギー」概念も「仕事」抜きの曖昧な低レベルにしている。結局、科学的知識をもって自分なりにきちんと判断できるというより、子どもたちを恣意的なデータを元に「原子力は、リサイクルができる貴重なエネルギー資源」「地球温暖化対策の切り札は原発」「石油がなくなるから夢の原子炉-高速増殖炉へ」などと洗脳したいのだろう。その高速増殖炉は原型炉の「もんじゅ」がナトリウム漏れの事故を起こしてから、その技術的困難性や経済性、再処理問題をはじめとして重い問題を抱えて開発は行き詰まっている。先進諸国の中でわが国だけが推進政策をとっているが、これは夢のまま終わりを遂げることになろう。
 しかし未だ原発推進のために国や電力会社などは教育の分野にも多額のお金を出している。その金で小学校から大学まで様々なレベルでエネルギー教育を展開している。そこでは「石油は40年でなくなる」という“脅し”を元にした教育が多い。石油および非在来型石油資源は少なくても100年分はある。エネルギーの使い道のうち発電が占める割合は少ない。発電にしか使えないエネルギー資源では石油の代わりにはなれない。
 もっと科学的な理科教育や社会科教育をすることが必要だ。『新しい科学の教科書-現代人の中学理科』(3巻本と2巻本有り 文一総合出版)はそのための教科書の具体例だ。
そこには原子核分裂や放射線の基本的知識や科学技術と社会の関係もしっかり述べてある。

 要点:

*1995年、もんじゅナトリウム漏れ事故、1999年、茨城県東海村のJCO臨界事故、2002年、東京電力原発トラブル隠し。この十年間だけを振り返っても、原子力の事故と不祥事は繰り返されてきた。2004年8月9日午後3時22分、わが国史上最悪11人の死傷者-美浜原発3号機事故が起こった。

*二次冷却水系の検査は、政府は電力会社まかせにし、電力会社はメーカーに丸投げし、メーカーも直接の検査には責任を負わないという無責任体制が原発という重大な危険をともなう施設の安全管理の実態だったのである。

*老朽化が進みながらも運転が続けられる原発

電力自由化の流れのなか、すでに原発は他の発電方式に比べてコスト的にも優位性は弱くなっている。

*国や電力会社の「絶対安全」のかけ声のなかで、今回のような予測して対策も立てられたはずのことまで大事故になるという事態。

通産省によって試算されながら隠されていたデータ。核燃料サイクルは、使用済み核燃料の直接処分より2倍近く割高とする旧通産省(現経済産業省)の試算。

*理科教育では「エネルギー」概念も「仕事」抜きの曖昧な低レベルにしている。結局、科学的知識をもって自分なりにきちんと判断できるというより、子どもたちを恣意的なデータを元に「原子力は、リサイクルができる貴重なエネルギー資源」「地球温暖化対策の切り札は原発」「石油がなくなるから夢の原子炉-高速増殖炉へ」などと洗脳したいのだろう。

高速増殖炉は原型炉の「もんじゅ」がナトリウム漏れの事故を起こしてから、その技術的困難性や経済性、再処理問題をはじめとして重い問題を抱えて開発は行き詰まっている。先進諸国の中でわが国だけが推進政策をとっているが、これは夢のまま終わりを遂げることになろう。

原発推進のために国や電力会社などは教育の分野にも多額のお金を出している。その金で小学校から大学まで様々なレベルでエネルギー教育を展開している。