左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

5年前のインドの旅(by Hikami)【長文】(その1)

ぼくは、インドに遊びに行ったのは、今年の夏(ラダック)で5度目。
 その前の4度目は、2004年12月22日〜2005年1月7日に、いわゆる「さまき隊」の仲間と行ったもの。
 少し遅れて参加した日上さんが、「インド旅行記-さまき隊inインド-」を書いてくれているので、それを再録しておきます。
 では、「インド旅行記-さまき隊inインド-」をお楽しみください。

●12月27日(月)1日目 -ほんとに来ちゃった大インド-
 初インドはともかく衝撃的でした。
 何がと言われるとそこにあるものすべてと言ってしまいそうです。
 まず空港について飛行機を一歩でたとたんに『息ができない?!』という感じがしました。そして靄みたいなものが周りにあって視界がはっきりせず、『いったい何なんだ?!』と思いました。たぶんお香だったんだろうと思います。
 その後もそのにおいに慣れないまま薄暗い空港内をさまよい、(「両替」がどこでできるか分からずさまよいました。見つかると『何だこんなところだったのか』という所にありましたが)exchangeでは最初100ルピー400枚にしてくれたのですが、私が「もっと細かいのが欲しい」と言うと、「まだ小さいのがいいの?」と変な顔をされました。
 500Rほどのお金を50Rに変えてもらいました。
 でも『小さい方が使いやすい』みたいなことを聞いていたので、もっと小さいのがあった方がいいかもと思い、「さらに小さくしてください」と言うとすっごい笑われました(ーー;)『まだ小さくすんの?!』みたいな感じで。
 さらに200Rのお金を10Rにしてもらいそこを離れました。
 でもしばらくしてexchangeでレシートをもらい忘れたことに気づいて、また取りに戻りました。『また来たの?』って顔されてしまいました(^^;)
 その後夜9時半頃でしたが、暗い中をいっぱい勧誘してくるおじさんたちを無視しながらバスを待ちました。手には玉井さんや左巻さんからのメール(メインバザールへの行き方が書かれているもの)を印刷した紙を握りしめてです。
 『地球の歩き方』を持ってたらきっといいカモだと思われると思って空港では表に出しませんでした。
 そうそう、この旅行にiPod miniを持って行ったんですが、(行き帰りの飛行機やバスで聞く用に)ここでこれをつけて、何も聞こえない振りをしました。役に立ちました(^^;)みんなあきらめ早かったです。
 待っている人が他におらず、もう最終バスが出てしまったのでは、、、と心配しましたが大丈夫でした。30分程で来たと思います。でも横に(軍隊の人だか何だか分かりませんが)いた人が私の方を見て思いっきりにらんでいるように見えて怖かったです。
 ようやく来たバスはものすごくオンボロで、『え?これちゃんと走るの?』って思うくらいでした。ゴーっとすごい音をたてながらバス停に入ってきました。で、バスが到着するとどこからか数人出てきて乗り込みました。ほんとにどこにいたんだろうあの人たちは、、、。私は運転手にニューデリー駅(ND駅)に行くか聞いて乗り込んだのですが、全然バスが出発しない。
 人が何人かバスに乗り込んでから(結局、20分位待ったと思うんですが)、バスはまたゴーっというすごい音とともに動き出しました。周りを見渡すと、どう見ても全員インド人。
 左巻さんのメールには「どっかのバックパッカーに話しかけて一緒にくればいいよ。」と書かれていましたが、やっぱりどう見ても全員現地人。
 『誰か降りてくれるの?ND駅で』と思いながらの発車。
 そして気づくと走り出したバスのドアは全開。
 手動でチケットを売るおじさんが閉めることになっているみたいなのですが、おじさんは閉めません。その気配すらありません。早く閉めないと!と思っていたら横から誰かが乗ろうとしてきます。
 『え?走ってる最中に乗ってくるの?』そう思った瞬間男の人が乗り込んできました。ゆっくりしたスピードでしたが、バスは全然止まっていません。みんなそんなこと気にもとめない様子。これが普通なのか…と思わずにはいられませんでした。
 あと、それからのバスの運転もすごかったです。
 なんか『スピード』とかの映画でも見てるような気分でした。(…見てるんじゃなくて実際に乗っているんですが)クラクション鳴らしまくりで前の車をあおりまくり。
 これでいいのか?公共のバスじゃないのか?って感じでした。
 そして走りだして数分、
 空港でするはずだった帰りの飛行機のreconfirmを忘れたことに気づく。
 あんなに時間があったのに、、、。まぁ忘れたものはしょうがないから『電話したらいいや』と思いなおし、運転手や他の人を眺めていることに。
 多分1時間も乗ってないと思うんですが、
 「ND駅だ」と言われて降りた場所に見えたのは、玉井さんがメールに書いてくれていた工事中のメトロの緑色の防護フェンスでした。書かれたものがあってちょっとほっとしたのですが、やはりほとんどみんな降りない!
 一緒の場所で降りたのは2人のインド人。
 左巻さんが持つくらいの小さいリュックの人とほとんど荷物のない人の2人。
 「どうしよう…」と思ったけど話しかけてみることに。もちろん英語で。
 「Sorry, I want to go ND station. But I don't know. So I want to go together. OK?」という感じで聞いた気がします。
 必死だったんであまり覚えてないのですが。
 2人のインド人は首をかしげるようなそぶりを見せましたが、一緒に行ってくれるような感じでした。なので、ついていきました。
 (あとでこの首を傾げるのは「いい」という意味だと知りました)
 駅は全部で3つの陸橋があるようでした。まず上っていったのは一番左の陸橋。
しかし、駅の向こう側には渡れず、途中まで。それにしてもでかい駅。
 仕方ないのでホームを歩いて真ん中の陸橋へ。
 こちらは端までつながっています。
 駅を歩いている中でようやくインド人から口を開いてくれました。
 「どっから来たの?」→私「日本です。」
 「自分たちの兄も日本にいるんだ。茨城にいるんだ。
 ほら日本のビデオも持ってるよ。(といってビデオの入った鞄も見せてもらいました)日本のどこ?」→私「大阪です。」
 「で、駅に行ってどうするの?」→私「駅ではなくメインバザールに行きたいです。」 「じゃ、電車には乗らないんだね。」
という感じでした(日本語にすると。なんとか全部英語で会話できました)。
 『インド人に道を聞いて大丈夫なのか?』とも思ったんですが、『まぁ空港から帰ってくるようなインド人なら大丈夫だろう』という考えのもとに、彼らと一緒に行動しました。ほんとにいい、親切なインド人でした。ありがたかったです。
 駅を出たら周りは客引きの人だかり。
 「どこ行きますか?」なんて言う言葉(これは日本語)があちこちから聞こえます。
 (もうイントネーションがおかしくて耳から離れません(^^;))
 でも一緒に行動してくれていたインド人が全部ヒンドゥー語で断り、どんどん先へ連れて行ってくれます。その駅前のバスターミナルになっているようなところをぬけて、車通りの激しい交差点をインド人2人に囲まれて守られるようにしながら、ちゃんと反対側へ渡ってみると、その2人は「この通りがメインバザールだよ」と教えてくれて、「じゃ、いい旅を」と言って自分たちの目的地へと向かっていきました。
 本当に自分たちの行きたいところを後回しにして一緒にここまでつれてきてくれたことに感謝感謝です。
 しっかりと右手で握手をして分かれました。
 いやほんと、いいインド人でよかった。
 で、さらに先メインバザールには一人で。
 …両脇に店があるようですが、さすがに今は夜の11時半とかなのでやっていない。
 すごい人ごみを予想していった私はちょっとがっかり。
 でも道路はごみがすごいし、ウシの糞がものすごい。気をつけないと…。
 そしてしばらく歩いて(…10分以上歩いたように感じました)ようやく見つけた Vivek ホテル。『ここかー』とちょっと感激。
 とりあえず今11時40分くらい。
 中に入ってみる。左巻さんたちは『10時着くらいの電車で戻る』と言ってたけれど、ロビーには全然いる気配がない。中を見回すと奥に何か紙が貼ってあるようなところがあったので、何か書いていないか確認をしようと思って、それに近づくとホテルのスタッフから「Don't!」と言われ(た気がする。今だからか(^^;)noだったかな?)、部屋とった人だけしか通れないと言われました。しかたなく、宿の主人と思われる人に「『さまきたけお』という人を捜しているんだけど」というと、「そんな人は泊っていない!」の一点張り。「日本人がいない」とも。
 『えー?どうしよう。何て言えばいいの?』なんて思いながら、「3日前ならどう?」と聞くと、「ああ…3日前はいたね。2日前に出てったよ」と。
 で、「今日ここに戻ってくることになっているんで待たせてもらっていいですか」と聞くと、「No」と一言。
 「何で?」とかって話をしていたらその時!左巻さん、玉井さんが到着!!
 この時にどれだけほっとしたことか…。
 ほんとよかった。合流できて。
 その後はホテルの部屋を取り荷物置きに行く。
 部屋は4階。左巻さんたちの部屋は廊下つきあたり。
 で、私の部屋は…?と思っていたら、ホテルの人はベランダのようなところを進んで行く。ベランダだと思ったのは外に面した廊下だった。
 なんか歩いてたら崩れるんじゃ…と思えるような(ーー;)
 私の部屋はその廊下のつきあたり。
 廊下(兼ベランダ)を覗き込んだ左巻さんに「日上さん、部屋そこなの?」と言われました。そんなこと言っても選べないし…。
 とりあえず荷物を置いてビールを飲めるところ探しに行く。
 でも結局時間が遅すぎて飲めるところが見つからず、今日のところは『無事到着祝い』は、断念。でも私は『飲めなくても無事たどりつけただけで十分』と思いながらホテルへ戻りました。
 あ、そうそうここでインターネットをしにいきました。インドでの初メール。家に『無事到着した』と入れておきました。マレーシアでも入れたのに返事がなかったので、『本当にちゃんと見てる?』と思いながら、まぁどうでもいいのかなと。
(でも家に帰って聞くと、津波のこともあったし、父は「早く連絡をとれ」、「外務省へ電話しろ」などと母に言っていたそうです。そんなところに電話しても分からないと電話しなかったようですが)
 で、3人で30分ネットして部屋へ。シャワーが水しかでないそうで、水で頭を洗う。インドの気温は温かいわけではなく、やはり夜は寒いのでほんと水シャワーはかなり寒かったです。これで風邪を引いてしまいそうだと思いました。
 でも出ないものはしょうがない。
 お湯のありがたさを思いながら…シュラフにくるまってすぐに寝てしまいました。


●12月28日(火)2日目 -インドさまき隊全員集合!-
 朝は6時頃起きてしまい、集合時間の7時半までゆっくり支度し、7時半頃下のロビーに降りて2人を待つも、5分、10分しても降りてこない…。
 『まさか、寝てるの?!』と思い、(特に玉井さんはインド眠り病にかかっているらしいので)4階へ戻って呼びに行くと、起きてはいて、用意をしている感じでした。
 朝ご飯はホテルの右前にあるDiamond Cafeで。
 カレーがたくさんあったけど、朝からカレーなんて全然食べる気がしない。
 (普段から夜ご飯カレーだった日に翌朝残り物があっても食べません)
 焼きそばのような『ガーリックチョオメン(でいいのかな?)』とTeaをいただく。
 インドでの初チャイはかなりあたたかくておいしく、食後に出されたのですが、食後にいいなーと思いました。
 そして3人でとりあえずコンノートプレイスに向けて出発。
 メインバザールの中をまっすぐではなく、私には初めての道を通って行くことになった。それにしても人が多い。昨日の晩とは全然違う。朝ご飯を食べている人もいるし、野良犬もたくさんいる。そして(野良牛と言ったらいいのかしら?)牛もたくさんいる。この牛!ほんとに『自由』に歩き回っていることにびっくり。話に聞くだけじゃやっぱり分からないと思いました。
 コンノートプレイスに着くまでの間かなりの客引きに声をかけられました。
 私と玉井さんはネパール人だと言われたりしました。
 (私はさらにネパールの映画スターだと言われました。…かなり微妙)
 『インド人はネパールを自分たちより低く見ている』ということを左巻さんから聞いていたのですが、明らかに日本語も使いながら声をかけてくるので
『分かって言ってるんだな』と思って、おもしろがりながらあしらってました。
 そういえば左巻さんは、「アメリカ(ハリウッドでしたっけ?)の映画スター」だと
朝 Vivek ホテルの人に言われたらしく、「あれだよ、007のジェームズボンドの!なんて名前だったかな」とかなりごきげんだったところに私がこんなことを言われたので、「ネパールだって!」と、かなりおもしろがられてしまい、後々何度も言われるはめに。まぁおもしろいからいいんですけど(ーー;)
 あと、途中日本人の名刺をだして、「この人は自分の友達だ。日本人に知り合いがいるから安心だろ」なんてことを言う人もいました。
 「どこかで拾ったんだろ」と左巻さん。無視して歩く。しばらく(…30分くらいでしょうか?)歩くと、結構大きなバス停がありました。
 バスに書かれている目的地や時刻表から全てヒンドゥー語。
 (まぁ当たり前かもしれませんが。英語があってもいいのになぁって)
 またインドへ来るなら、『読む』ことぐらいできた方がいいなぁと思いました。
 その後コンノートプレイスの中心の方へ。
 左巻さんが飛行機で知り合った人が『コンノートプレイスで耳かきしてもらって22ドル取られた』という話を聞いていたので、耳かき屋を探そうと思ったら探さなくてもむこうから声をかけてきました。ほんとインド人の勧誘はすごい。
 9時頃天文台へ到着。どう使うのかよくわからない建造物ばかり。すごい大きな日時計もあり、メモリがとても精巧に刻まれていました。他の建造物にも目盛りがありました。この目盛りを使い、何をどうやって調べていたのか…。
 「時代は天文学だった」という玉井さんの言葉がとても印象に残っています。
 ジャイプルの方にはインド最大の天文台ジャンタルマンタルがあるそうで、それもぜひ見たいなぁと思いました。
 次は国立博物館へ。途中出店の服屋がズラーっと並んでいる通りを通ったり、土産物屋が並ぶ通りを通ったりしました(これは確かジャンパス通り)本屋もあって、料理の本が目につきました。『欲しいなー』と思いましたが、かなり分厚くてでかい。断念。
 また、途中インド門が遠くにかすかに見える通りを渡りました。多分日本だったらきれいに門が見えたと思うのですが、なにぶん空気が煙っているのできれいに見えませんでした。
 『ずっと続くのかな…この天気』って、天気じゃないんですが。
 『きれいにすっきり晴れてほしいなぁ』と、そう思いました。
 国立博物館では表にアショカ王の勅令が書かれた、かなりでかい石が置かれていました。こんなにでかい石にこれだけの文字を彫るのも大変だったと思うのですが、それよりも彫ることが決まってから(勅令内容が決まってから)『どれだけ時間がかかったのかなー』とか、『どうやってこの勅令内容が国内に伝わっていったのかなー』なんてことを考えてました。だってあんまり時間かけて彫っていたら、いつまでたっても勅令が伝わらないですよね。
 国立博物館の中では仏像を見たり、遺跡の説明を見たりしました。
 中学校で習ったモヘンジョダロのことも書かれていましたが、ハッペン?とよむのかよくわかりませんが、こちらの遺跡についての方がたくさん取り上げられていました。
 私が気に入ったのは印章です。すごく精巧に彫られていて欲しかったのですが売られていませんでした。女の人の骸骨もあって、どうやって埋葬されていたかが示されていました。3時間ぐらいここにいましたが、私は全部見れませんでした。
 全然時間のこと考えずにゆっくり見ていたので。
 石渡さんたちが昼過ぎに到着することになっているので、1時半頃博物館からホテルへ戻ることになりました。何で戻るか考えてオートリキシャー?とも考えましたが、「バスにしよう!」との左巻さんの言葉でバスに決定。
 「コンノートプレイスまで行けばいいか」とそちらへ向かうバス停へ。
 来たバスは運のいいことにメインバザールまで行くと。
 たった5Rでメインバザールへ戻ることができました。
 戻ってから石渡さんたちを待ちながら、やはりDiamond Cafeで昼食。
 左巻さんは気になるようで時々ホテルへ見に行かれていました。
 ここで私は初めてのインドカレーに挑戦!選んだのはEgg CarryとPlane Nann 。そしてもちろんTeaも。これがまたものすごくおいしい。
 たまご大好きなのでたまごが食べたくてたまらなかったのですが、丸ごと1個揚げられてあるたまごが2個も入っていて、それをナンにはさんで食べるともう感激でしたv(**)v
 ゆっくり昼食をとって休んだ後、ホテルに戻ると、ちょうど石渡さんたちが到着して部屋を取っているところでした。私たちも昨日のお湯のでない部屋からお湯の出る部屋に変えてもらって、(でも私の部屋はお湯がでなかった…)荷物の移動などをした後、石渡さんたちの明日からの電車のチケットを取りに行くことに。初めて行くチケットセンターは“天井が低い”というのが第一印象。あと、人が少ない…。
 左巻さんは、「昔は日本人がいっぱいいたんだけど」と。インドへ来る日本人が減ったんでしょうね。代わりに韓国人が増えたそうです。
 石渡さんたちがチケットを取ったりしている間、その辺りをうろうろして、外へ出て写真撮ったりしてました。
 駅の待合室…というか、掲示板などがある広場にはかなりの人が。
 大阪で言う梅田の地下街みたいでしたが、やはり空気はくすぶっている…。
 チケットセンターに戻ると石渡さんたちはまだチケットをとれていない様子。かなり時間がかかるんだなぁと思い、眺めていると、別のカウンターへ行ったり、またもとのカウンターへ行ったりしています。
 時刻表がなくてヘルプデスクに列車番号を調べてもらわなければいけないらしい。
 『面倒な…。』と思いながら待っていました。
 ようやくチケットがとれて帰ろうとした時、
 入り口左横のインドの地図に皆の目が留まりました。
 左巻さんは「ここがレー・ラダックで…」と色々な場所の説明をしてくださり、「レーはいいよ!」と。話を聞くと本当によさそうで、ぜひ行きたいと思いました。
 チケットセンターからの帰りはメインバザールを通らずに、一本横道の路地を通って帰ってみることになりました。
 これは絶対に一人じゃ行っちゃいけないと思いました。真っ暗な道もあったし、一人で行ったら襲われそうだと思うところもありました。そしてその細い路地をビュンビュン飛ばして行くバイクたち。かなり危ないです。
 7時半頃に夕食ということで『Metropolis』というレストランへ。
 こちらは高級店のようで、何でも高い!(でもこの先もっと高級店に何度も入ることになる)私はさっき4時頃まで昼ご飯を食べていて、おなかがすいていなかったので何も注文せず、ビールonlyで。でもつきだし(ってインドでもそう言うのかな?)の大きくて薄いパリパリのおつまみは食べていました。高橋さんがバターナンをくださいました。…このとき絶対にインドダイエットは成功しないことを確信。『こりゃだめだ。絶対太る…』と(ーー;)
 その後9時半くらい、ホテルに戻ると、青野さん、小出さん、相馬さんの姿が!!
 これで全員集合です。とりあえず全員が無事に到着しました。
 そこで青野さんたちが部屋を取って荷物を置いた後、全員の無事到着を祝って、こんどはDiamond Cafeでビールを。
 私はこの旅ではいつもの左巻隊と違って、『少しは飲むのを控えることになるだろう』と思ってきたのに全然でした。まぁお酒は大好きですが…。でもこの日は疲れもあったのか、ビールばかりのんで食べてなかったからなのか、かなり睡魔に襲われ、私はDiamond Cafeでうとうとしてました。それでもビール2杯は飲んだような…。
 何杯飲んだかとか全然覚えていません。…恐ろしい。
 この時ドルジーという、かなり日本語ペラペラのネパール人がかなりご機嫌で(酔っているせいかと思ったら、しらふでも同じでした)話しかけてきてとてもたくさん話をしていたように思うのですが、私はもうとりあえず眠くて何を話していたのかは…
 ドルジーの言葉は耳を右から左へスルーしていきました(ーー;)すなわち覚えてません。でもこれだけペラペラ話せることにすごいなぁーという記憶は残っています。
 で、この後皆はネットしに行くみたいでしたが私は眠いので部屋へ戻ることに。
 でもシャワーはあびたくてあびると…水!目が覚めました(*0*)
 でもやっぱりすぐ寝ました。


●12月29日(水)3日目 -いざVaranasiへ-
 チケットセンターに8時に行く為に7時半出発のはずだったけれど、10分遅れで出発。ND駅へ。チケットセンターにはすでに並んでいる人が結構いて、最後尾に並ぶ。…といっても並んでいたのは相馬さん1人で、他の5人はちょっと離れた机でこれからの旅程を決める会議。『どう都市を回るか』『何日泊るか』などを話して決定。
 でもそんなに簡単に事は進まず…(ーー;)まずは並んでいた相馬さんの順番が来て
「Varanasiへ行く寝台列車に乗りたい」と言うと、「ヘルプデスクで列車番号を調べてから来い」と。調べてもう一度並び直し。なんて効率悪い。
 この時点ですでに8時半過ぎていました。
 途中で石渡さんや鈴木さんが様子を見にきました。「あれ?まだですか?」と。
 ほんとそうです(ーー;)で、ようやくチケットを申し込む順になり、色々尋ねていると、予定の中の一つの電車が6人分空いてないようで、旅程を変更しなければならなくなりました。またもや列車番号調べに玉井さんがヘルプデスクへ。
 でも他の電車のチケットを取る間に調べられたので並び直しせずにすみました。
 そうそう玉井さんはジャマイカ人になったり(JAしか合ってないし)、余計に6歳程年を取ってしまったりしてましたね(1が7にされたり)(^^)…ほんと時間かかりました。
 さて、何とかチケットが取れ、朝食を食べに行くことに。
 駅前の2階建ての食堂へ。
 「10人なので広い所…」と言って左巻さんが連れて行ってくれました。この店は2階からさらに上に行ける階段(というかはしご)があって、上から人が降りてきたりしているのを見るとすごくのぼりたくなって、相馬さんとそのはしごのところへ行ってみると、
上からこっちはだめだと怒られてしまいました。…厨房だったようです(ーー;)
 のぼりたかったなぁ。
 私はグリンピースマサラ(グリンピースは現地語でしたが)とバターナン。
 グリンピースがなんか白くて緑じゃなかったんですが…。日本のと違うのかな?
 バターナンはやはりすごくおいしかったです。
 ここでチケットに記載されている内容に間違いを玉井さんが見つけたようで、早く食べ終わられた玉井さんと青野さんが取り替えに行ってくださいました。私たちも後から再度チケットセンターへ。この変更に行ったことが今後のインドの旅を大きく変えました。
 そうです。『When there is no doctor』 という1冊の本との出会いです。
 あの本は今手に入れたい本No.1ですね。(結局帰ってしばらくしてからでしたが…買ってしまいました(^四^))
 とにかく迷信やら言い伝えだと思われる内容が載っていて、それらの絵に対して「Don't!」と太字で書いてある、私にしたら「当たり前だろ!」と言いたくなるようなものばかりですが、…本当に治ると思われているんでしょうね。
 肩の脱臼は腕をつかまれ足で入れられている絵とか、見事に折れている腕の骨をガシンと手ではめ込まれている絵とかもありました。あれ?でもこれDon'tって書いてたっけ?? 確認しました(撮った写真で)書いてないです。
 正しいんですかね、これは(ーー;)でもされたくないなぁ…。
 とにかくおもしろい本でした。
 かなりの暇つぶしになりました。
 1時半の電車出発までオールドデリーに行くかという話だったんですが、石渡さんたちも行かなくていいということだったので、取りやめて6人でビールを飲みに行くことに。 行く時間だけ決めて、とりあえずホテルを出る準備をしに部屋へ戻りました。
 Metropolisへ行き、皆に合流しました。
 そして12時半過ぎて駅へ。でも書かれてあるホームには違う電車が…。なんと反対側のホームにいました。勝手に変わることもあるんですね。同じ時間に出発だったみたいなので、間違って乗ってしまった人もいるんじゃないかな?石渡さんたちは大丈夫だったかな?
 で、ほぼ時間通りに1時半Varanasi行きの電車出発。2等のスリーパーと呼ばれる寝台特急ですが、通路に平行に並んでいる側のシートで青野さんと相馬さんと3人で最初の2時間飽きもせず、外を見っぱなしでした。ちょこちょこ写真撮りながら。
 そうそう座り方は日本でもよく子供が座っているような感じでした。
 靴脱いで窓の方見て座る座り方。…まぁ、あぐらかいたりもしましたが。
 そういえば車内販売もありました。売っている人たちの声がすごく独特で忘れられません。「チャイチャイ(これはチャイ屋さん)」ってだみ声(でいいのかな?)なんです。みんな。チャイは一杯2Rか3Rほどでした。
 そして次の駅で乗ってきたインド人の子供3人(5人家族のようでした)と話しをしたりもしました。ラシー(男の子)とサーチー(女の子)ともう1人、4歳くらいの小さな男の子のブランシーの3人兄弟でした。写真を撮ったり、サインもらったりしましたが、このサイン!英語の筆記体をかなりスラスラと膝の上で書いてくれました。そしてもちろんヒンドゥー語でも。『かっこいー』と思ってしまいました。
 5時半頃、あるジャンクションでその家族は降りて行ってしまいました。青野さんは降りていったその子たちに窓からおいでおいでをして、日本のジャンクフード(笑)を3人にあげていました。3人は嬉しそうに去って行きました。
 そのあとは隣の人(というか3段ベッドの中の同じ場所の人)に、辛いけどおいしいスナック菓子をいただきました。かなりあてに良さそうなお菓子でした。
 そうそう途中トイレに行ったんですが、聞いていた通り、下に(線路に)落ちるというものでした。初めてです。こんなのに乗ったのは。どんなものかと思いましたが使えないことはなくてよかったです。
 そうそう、SLに乗ったのも初めてでした。他の人は「昔はそうだった」とか話してましたが。インドに来て初めてことがいっぱいだなと改めて思いました。
 その隣の人たちも降りてしまって、結構自由にベットを使えました。頭にヘッドライトをつけたりして、皆で本読みタイム。ヘッドライトは便利だと思いました。持って行ってよかったです。
 私と相馬さんは女の人だからと一番上の段を使わせていただきました。天井までの空間が私にはゆとりがあったのですごく使いやすかったです。いつもよりさらに早いけどこの日は9時頃に寝てしまいました。


●12月30日(木)4日目 - 母なるガンガー -
 車内がかなり寒くて目が覚めてしまう。この時4時。
 まだみんな寝ているみたいなのでもう一度眠ったら、今度は2時間後くらいに「もうすぐ着くから」と起こされてしまいました。でも6時半になっても着く気配なし。
 とにかくのどが痛くてうがいをしに行く。この旅に私は『のどスプレー』を持って行ったんですが、ものすごく役に立ちました。あれはおすすめアイテムです。
 結局Varanasiに到着したのは7時半でした。
 外へ出ると、石渡さんたちが!
 みんな無事にVaranasi到着できました。
 ここではまたもやリキシャーの客引きの嵐。
 左巻さんは金額に納得しないと言って「だめだ!No!」と言ってすたすたと歩き出してしまうのを見た人たちがそれを制して交渉に入りました。白髪のおじいさんがいろんな人をどけてどんどん話してきました。「とりあえずIndian Bank に行きたい」と言っていたんですが、合意して乗り込んだオートリキシャーになぜかさっきのおじいさんも乗ってきてその運転手に色々と指図しています。何だこのおじさんはという感じでした。
 で、もう一度どこへいくらで行くかという話をすると、なんかさっきと違うことを言うので、左巻さんが「降りよう」と言い、歩いて行こうということになりました。
 でも石渡さんたちは4人でシェアしてリキシャーに乗って行くと。
 待ち合わせ場所だけ決めてちょっとの間お別れ。6人は歩いて大通りの方へ。
 すると後からどんどんついてくる運転手たち。
 その中にようやく言い値で乗せてくれる運転手がいたのでそれに乗り込む。
 ミラーの周りにカバーをかけていたりと、ちょっとおしゃれでした。
 この後から色々なリキシャーの内装を注意深く見るようになったんですが、みんな自分のリキシャーをほんと自分の好きなように飾り付けしたり、神様の絵を貼ったりしているみたいでした。それを見るのもおもしろかったです。
 で、待ち合わせ場所のIndian Bankに到着。
 でも石渡さんたちは先にリキシャーに乗ったはずなのにいない。…しばらく待ってもこない。
 この待っている間、私は隣でお父さんとスクールバスを待つ2人の女の子と話をしたりしました。すごく可愛い姉妹でした。
 写真を撮ってみせてあげるとすごく喜んでくれました。で、私も一緒に3人でも撮ってもらいました。やがてスクールバスがやってきて2人が行ってしまう時、ミルキーの飴(バナナ味です!!)をあげました。2人は喜んで手を振って学校へ行きました。
 で、この時点で30分程待っていたんですが、石渡さんたちはまだ来ないので、左巻さんは何人か先に行って、宿をとってこようと提案。私と小出さんも一緒になって3人で宿へ。ここで途中路地へ入って進んで行ったんですが、10分程歩いてガンジス川に出ました。…これがガンジス川。とにかく大きい。
 川の水が流れているのかどうか分からないくらい、とてもゆっくり流れていました。
 今は乾季なので水量がかなり少ないようですが、それでもその大きさに感動しました。 ガートと呼ばれる階段を下りて、川の上流へ。…15分くらい歩いたでしょうか?
 おかしいと気づいた左巻さん。なんと行き過ぎていた様子。川に出た時点でもうすでに目的地のホテルを通り過ぎていたようでした。数分後無事『久美子ハウス』というホテルに着き、泊れることに。
 大きいリュックをロビーで保管しておいてもらえることになり、身軽になって青野さん達の所へ戻ることができました。ダシャーシュワメードという、待ち合わせていたガートで合流。石渡さんたちは私たちが歩いて行くものだと思って、他を見て回ってもらいながらIndian Bankに来たようでした。
 昼ご飯はダシャーシュワメードロードにあるレストラン。
 「地下にあるレストランで前にビールを飲んだ」と話す左巻さんはそこへ行きたかったようでしたが開いておらず、斜め前にあった2階にあるレストランに入りました。
 私はここでもタマゴカレーとナンを食べました。やはりおいしい(^v^)
 で、食後トイレへ行った時、誰かが入っていて外で待っていたんですが、そこは厨房の入り口の横で、眺めていたら入っていいよと言われました。
 『やったー』と、中に入って行ってナンを焼く窯を見せてもらって、作っているところも見せてもらいました。
 大きめの球状になっている生地をきれいに平べったくしていって、最後に何か盾みたいな物に布を巻いた道具にその生地を押し付けて、その取っ手を持って窯の中に貼付けていました。焼き上がると、2本の長い鉄か何かでできた串を使って器用に取り出していました。見てるのもすごくおもしろかったですが…やってみたかったなぁ。「やらせてほしい」と言えばよかった。店をでる少し前にもう一度厨房へいきました。
 今度はカメラを持って。残念ながらナンの注文がその時はなかったようで、ナンを作っているところは写真には撮れませんでしたが、店の厨房で働く人たちの写真は撮れました(^^)
 その後私たちは川沿いを散歩。しばらく下流へ歩くと火葬場があり、どんどんと煙が出ている。私と青野さん、相馬さん以外はどんどんと近くへ歩いていく。現地人が下は身内だけだと言っていたけれど…。ここでは泣いている人は全然いない。横では凧揚げをして遊んでいる子供がたくさんいる。自分の祖父が死んだ時火葬場でどんなだったかを思い出して、すごく変な感じがしました。あの時みんなすごく泣いていて、私もすごく泣いていた。これが宗教の違いなんだなと思いました。
 燃やしている所で燃えてしまった布から真っ黒になったドクロが見えていたり、横に落ちた黒こげの骨(多分少し肉がついているのでしょう)をかじるイヌがいたり、何とも言えない空間でした。
 そして石渡さんや鈴木さんたちは今日もうVaranasiを出発するのでここでお別れでした。次に会うのはいつの日になることか。
 元気にもう一度会えることを祈ってお別れを。
 私たちはこの後一度久美子ハウスへ。ドミトリーになっている3階へ行くと、久美子さんがある男の人に「あんた、ベット代わったげなさい」と言って、私と相馬さんにベットをあてがってくださいました。
 青野さん、小出さんは屋上で寝るとか話してました。みんな荷物を置いて屋上へ。
 上では楽器をやっている人が数人。楽器はシタールという弦楽器や太鼓のようなもの、笛みたいなものと、色々ありました。屋上からはガンジス川がよく見え、隣の建物にいるリスや猿も見れました。
 そして座り込んだ左巻さんはこの夏トムラウシでやっていたように(礼文島でもしてましたが)頭にタオルを巻きだして一息。私はカメラを取り出し、この写真を一枚。
 1時間程休憩した後、お寺の参道を歩こうと、散歩開始。
 この参道でおもしろいもの発見!ポンポン船です。名前は知っていましたが実際に見たのは、私は初めてでした。私は一つ購入。青野さんや相馬さん、玉井さんも買っていました。
 さらに歩いていくと、すごいたくさんの人と車とリキシャーで身動きの取れない状態になりました。ここで「もう疲れたね」ということで、さっきの閉まっていたレストランへもう一度行ってみようということに。行ってみると、なんと開いていました!
 でもメニューを見て色々考えていると…ない!ビールがない!
 左巻さんはレストランを出ようとしましたが、他の皆はもう「いいじゃないですか」と。そこで左巻さんは不服ながらもコーラやペプシで休憩。
 タンドリーチキンも頼んで…これは間食かな。その後隣で食事をしていた家族が頼んでいた、Chole Bhatureというプクーっと膨らんだナンのようなものを、わざわざ隣の人に「それってどれですか」と聞きにいって注文。でも私たちのところへ来たものは隣の人のよりも膨らんでない気が…。『他の人のものはよく見える』ということだったんでしょうか?
 レストランを出て、まずは久美子ハウスまで戻り、そして今度は上流へ散歩。
 ここで私は初カイトを体験しました!小さい子から大人までほんとにたくさんの人がカイトをあげていたんですが、それを私がどんな顔して見ていたか、自分では分かりませんが、相当やりたそうな顔してたんでしょうか?(^^;)
 「やってみる?」と言ってやらせてくれました。凧揚げ初めてだったんですが、すごくおもしろかったです。
 借りた糸を返すと、色々なテクニックを見せてくれました。ぐるぐる回したり、ヒューと落としてバッと上昇させたり。いやー練習したんだろうな、と思いました。
 朝間違えて行ったところまで行ってひき返してきました。
 そうそう、朝船を造っているところを見たんですが、少し作業が進んでいました。
 引き返す時、とても明るく街灯がついていることに気づきました。
 それがものすごくきれいで、そうみんなに言うと、「あれはナトリウムランプ」と青野さんが教えてくださいました。日本ではトンネルなどに使われているようですが、それとは全然違うように思いました。
 久美子ハウスへ戻った後、屋上で寝るという青野さん、小出さんの為に他の宿泊者も巻き込んでテントづくり。この作業はすごくわくわくして楽しかったです。これぞ左巻隊っていう感じで。洗濯物を干すのに使っていた金属の枠を柱にしたりして、出来上がったテントはかなりいい感じでした。
 私も相馬さんも「ベットよりこっちがいい」と屋上で寝ることを選択。
 左巻さんと玉井さんも久美子さんが寝袋を貸してくれるというので、やはり屋上で寝ることに。中に入って明かりをつけると山小屋にいるみたいでした。
 そして蚊がやはりたくさんいそうなので、ガンガン蚊取り線香をたいておきました。
夕食もここで食べることに。6人で夕食を食べていると、シタールをしにここに来ているという青年が「一緒に食べていいですか」と入ってきました。
 Varanasiには結構たくさんの人が音楽やヨガをやりにきているようで、長いこと滞在している人もいるようでした。
 夕食後もう暗くなってきた川沿いにたくさんの明かりがありました。
 『何かな?』と思ってよく見ていると、ガートにたくさんのろうそくが並べられているのでした。そう言えばさっきたくさん並んでいたかな?
 この後、一人旅をしているという、農工大の学生だという女の子(同い年だった!)と左巻隊で話をしました。左巻さんは輪の真ん中の鍋で燃えているたき火の番をしながら。下(2階)は下でインド音楽もかなり流されていて盛り上がっていました。その女の子は「私はやらないんで」と言って一緒に話をしてましたが、私たちは屋上へ来て正解だったと思いました。住み分けですね。
 そしてこちらはじっくり彼女にND駅にあった「Don'tの本」の説明をして盛り上がりました。そうそうこのときにこれまで見てきた子供たちの話、教育の話になりました。
 私は前から『海外青年協力隊に理数科教員として参加したい』という話をしていたので、(言ったの去年の屋久島旅行中だったなぁ)
 ここで、左巻さんに「協力隊で行ったら、教えるのはあんな制服着ているような子たちじゃなくて、『1Rちょうだい』と言ってくるような子たちだよ。」と。
 そして、「それでも行きたいと思う?」と聞かれました。
 私は少し間をおいて「思います」と答えました。この一瞬の間で、私の中では何かがすっきりしました。今まで『ただ行ってみたい』という気持ちだけでした。どう言葉にしていいのか分からないのですが…。それがどういう子供たちに接することなのか、どういう気持ちが必要なのかということが少し分かった気がしました。勉強を教えるんだという気持ちだけじゃだめなんだと。まぁこれは日本の教育でもそうなのでしょうが。
 こんなことを考えられただけでもインドに来てよかったなぁと思いました。
 その後、就寝準備。
 ほんと、お酒が焼酎や三岳があったらなぁと思わずにはいられない夜でした。
 明日は『日の出を見よう』ということで、目覚ましをかけるのを忘れないように。
 この日は10時半ぐらいに寝てしまいました。


●12月31日(金)5日目 -そして新たな1年が!-
 5時頃、辺りに鐘の音が鳴り響いているのに気づき、起きてしまう。でもまだ早いからごろごろして1時間ぐらい過ごす。6時過ぎてもう寝てられないと、起きる。辺りはまだ暗い。
 でも30分くらいするとだんだん明るくなって、昨日のたき火の跡なんかもよく見える。
 屋上へ上がってきた人にテント前で記念写真を撮ってもらう。
 日の出といっても、何だかすごく高い位置から太陽が見えている。
 下を見ると…何だか白いものが川岸に浮いている。
 「何かなー」と話しているうちに「子供の死体じゃない?」という話に。玉井さんがカメラのレンズを通してみると…やはりそうみたい。
 私がトイレへ行っている間に皆は外へ出てしまった様子。屋上から見るとみんなその白い物体の近くにいる。すぐに私も外へ。
 7時頃、船に乗って川を巡る。いろいろなKingfisherが近くでよく見える。沐浴をする人、洗濯をする人、ガートを掃除する人…色々な人がいました。
 川の向こう岸では骨が。
 『…人間かな?』と。あれ脊椎でしたっけ?
 これまでのインド以外での骨発見の様子とは少し違った感じでした。人間の骨なんだからあたりまえか…。さすがに誰も持って帰ろうとはしませんでした。写真はみんな撮ってましたが(ーー;)
 あと、昨日たくさん鳥が集まっていたようなところへも行ってみたけれど、何も分かりませんでした。
 そして戻ろうと皆でボートに乗り込んでいると、もう一組家族連れのインド人がこちら側に来ていました。皆でこれから沐浴をする様子。宗教上では川の対岸は不浄の地らしいので、『これってどうなんだろう?』と思いましたが、さっきまでいたガートが並ぶ方よりも、こちらの方が水は絶対にきれいだと思うので、科学的に(というか私たちの常識的に)は正しいなぁと思いました。
 まぁ、船に乗って反対側へ行けること自体、この人たちはかなり裕福なんでしょう。
 8時過ぎ、朝食の時間なので久美子ハウスへ戻る。
 朝食はかなりの量の食パンとゆで卵。…そしてすごい色のイチゴジャム。
 2階で食べている人たちの食べている量はかなりのものでした。よく食べるよな。
 食後、テント内の洗濯ロープだけは元の場所に付け替え、たき火の跡は片付け(といっても私じゃないですが)、この久美子ハウスで飼われているネコと遊んだり(テントの上に乗ったネコを下からつついてみんなで遊んでました)。
 テントの外ではシタールや太鼓の音がし始め、にぎやかに。
 支度をして10時頃出発。市場でものすごくしっかりしたおばあさんからグァバとへんな実を購入。てんびん片手にかなり商売上手な感じでした。いくつなんだろうなぁ、あのおばあさん。そして大きな通りに出てからオートリキシャー探し。
 今度はブッダ初転法輪の地、サールナートへ。何と今回1台に6人乗りをすることに。かなり窮屈。青野さんは半分外にはみ出ている。笑っちゃいけないけどかなりおもしろくて、今でも思い出し笑いしてしまう。
 そして途中ガソリンがないとガソリンスタンドへ。カメラを取り出すと自分たちを撮ってくれと店員2人が並ぶ。すごくいい笑顔で写ってくれました。
 このリキシャーのおじさんはまた戻ってきてくれると言い、時間を言って分かれました。近くに考古学博物館があったんですが、今日はちょうど休館日。…なんて間の悪い。
 大きなストゥーパアショカ王の石柱を見学。ここではどこかの学校の生徒たちが遠足に来ていました。社会見学かな?今日は12月31日…すごいと思いました。
 今日の昼ご飯はチベット料理。さっきのリキシャーのおじさんに勧められて。
 その料理屋さんにはダライラマの写真が飾られていました。左巻さんは迷わずMomoという餃子のような料理を注文。みんな2人1つずつ頼むことにしました。
 そして料理は他にみんな焼きそばを注文。私と相馬さんはハーフサイズ。
 そしてこの店でトイレに行きたくてどこにあるか尋ねると、店の前にあるチベット寺院の中のを借りてくれと言われました。そこで寺院へ行ったのですが、ずっと奥の方へ行って、そしてさらに左の離れの方へずーっと進んだ所にトイレがありました。
 そういえばそこでトイレを教えてくれたおばさんがすごく親切でした。
 店に戻ってきてみると、久美子ハウスで一緒に泊っていた2人の女性がいました。
 注文していたMomoは辛い唐辛子のソースみたいなものをつけて食べたんですが、すごくおいしかったです。焼きそばも。
 食べ終わってリキシャーのおじさんとの待ち合わせ場所へ。1時半ちょうどいい時間でした。また6人乗りをして、こんどはVaranasi駅へ。
 あの6人乗りで30分程。よくもちこたえたなぁ(笑)
 ここで、6時過ぎの電車出発時刻までリタイアリングルームを借りて休みました。
 本当は2人で使う部屋だったみたいですが、無理を言って6人で一部屋を借りました。でもすごく広いいい部屋でした。
 相馬さんから順にシャワーを。この時私はこの度始まってから初めてお湯を触りました。シャワーはお湯が出なかったんですが、洗面器のようなものですくってかけれるだけでも、『お湯が使えて幸せだ』と思いました。
 さて、シャワーして出てしばらくすると、玉井さんが外から帰ってきました。
 シルク屋さんで両替をしてもらったようで、一枚シルクのスカーフか何かを買って来ていました。
 すごく店の人がいい感じだったというのを聞いて、青野さん、小出さん、相馬さん、私の4人で行こう!ということになりました。玉井さんの地図を頼りに出かけたんですが、最初全然道が分からず、迷ってしまいました。
 しばらくしてようやく道が分かり、たどり着くことができました。
 そこでみんなでシルクを見ていたんですが、最初すごく高いものばかりを見せられました。玉井さんが200Rで買ったのを聞いていたので、「200Rで買ったという話を聞いたんだけど」と話すと、ランクの低いものを見せてくれました。
 そして、「4人で30枚買ってくれたら10%ディスカウントする」と。
 最初は「えー、そんなに買わないよ」と言っていましたが、結局4人で35枚でしたね(^^;)
 「サリーあるんですか?」と聞くと、いっぱい布を出してきてくれました。
 すごく鮮やかな水色のサリーを試着させてもらいました。
 で、青野さんに「かっこいー」と言われて、買う決意をしてしまいました。
 ほめられたら弱い…。
 本当に欲しいと思う色はなかったんですが、妥協できるもの(紺色のような色に金の刺繍)を見つけて、買っちゃいました(^^)v
 本当は横に飾ってあったスカーフの色のサリーが欲しかったんですが。
 緑色の地で光の当たり具合で赤色が見えるんです。
 (でも家に帰って着てみたりしたんですが、家族や親戚には好評でしたv)
 満足して3人で駅へ帰りました。
 (小出さんはシャワーする為に先に帰りました)
 6時頃リタイアリングルームを出て電車へ。
 電車へ乗り込むと、すでに子連れの家族が私たちの席に座っていました。席を代わるのは面倒だからか、「子どもがいるから」などと言われ、席を戻ってもらうことを渋られましたが結局戻ってもらいました。席代わってあげなかったんですが、子供と遊んで写真撮って見せてあげたりしてました。
 夕食はカロリーメイトなど。カロリーメイトは高校生ぐらいの時に食べて以来なので…6年ぶりくらいでしょうか。
 左巻さんはエアーシートを膨らませ、アルミシートをシャツの下に着込みだし、車内販売のピーナツを買ってぽりぽり食べていました。
 私は地球の歩き方を読んでVaranasiの復習。
 また頭にヘッドライトつけて読んでいたんですが、読み終わって本を直そうとすると左巻さんに「貸して」と言われ、貸すと左巻さんは本を持って3段目に上がって行きました。上で方向転換をしたいようで、窮屈そうに動いておられましたが、上がって行き方もすごく窮屈そうでした(^^;)
 私が歯磨きをして戻ってくると、左巻さんはすでに寝てました。
 で、青野さんに「あけましておめでとう」と言われました。
 『え?』と思って時計を見ると、8時半。そう、日本では新年です!!
 去年の屋久島では夕方5時には全員寝てしまっていたことが思い出されました(苦笑)今年は左巻さんだけすでに寝てしまってました。残念。
 そして何がきっかけだったのか忘れましたが、隣のインド人の夫婦の旦那さんに話しかけられました。「さっきのヘッドライトはいくらだい?」と。
 あれはたしか3000円くらいで買ったと思ったので、 「んー、1200Rくらいかな」というと、「Very expensive!」と言ってすごく驚かれました。
 そして、自分はこれをもっと安くで買ったよと、カセットウォークマンを見せてインドの曲を聴かせてくれました。かなりノリノリの曲でした。眠かった私の眠気がすっ飛んでしまうくらいに(ーー;)
 そこで青野さんに「iPod見せたら驚きますよね。今持ってるんですけど」と言うと、「見せたげたら」と言われ、曲をかけて聞かせてあげることに。
 私のはiPod miniのpink colorなんですが、おじさんはさも珍しそうにして耳にイヤホンをはめ、曲を聴いていました。聴かせてあげた曲はDo As Infinityの『空想旅団』って曲だったんですが、歌詞はきっと分からないと思い、音楽がいいのをと思って選んだんですが、…眠かった私にピッタリのゆったりした曲を。
 「いい歌だ」とおじさんも気に入ってくれたようでした。
 奥さんにも『聞いてみな』って感じで聞かせてあげていました。
 でも聞かれなかったし、iPodの値段は言いませんでした。言ったら目玉が飛び出るかも。16000Rくらいじゃないかな。こんなR換算してたらもう何も買えなくなってしまいそうです。
 この後、このおじさんに「インド人と日本人の共通点は何だと思う?」と聞かれました。私はちっとも分からず、考えていると、おじさんが「日本人もインド人も自分の国に誇りを持っていて、愛していることが共通点だ」と言いました。
 おじさんには「ほほー」と言いましたが、私自身確かに日本を愛していると思うのですが、誇りを持てているかと言われると、分からないなと思ってしまいました。
 誇りを持てると言い切れるような国にしないといけないなとも思いました。
 そんなことを考えながら12月31日、そして2004年は終わっていきました。
 ほんと、今年はいろんなことがあり過ぎでした。とてもいい1年でした。
 2005年もよい1年でありますように!!