左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

最初のベトナムの旅15日間(2006年冬)【その2】

ベトナム7日目−カットバ島でトレッキングと猿の島訪問


 朝食はミニフランスパン2個。うーん、お腹がいっぱいにならないなあ。
 岡本さんがフォー(うどん)を3杯食べたと言って満足げな顔をして現れました。
 8時頃西欧人らに混じって車で国立公園トレッキングに出発。これは45ドルにふくまれています。
車から降りてしばらく歩いて犬がたくさんいる人家で休憩。もう一台の後続の車のメンバーを待ちました。どうも犬を見ると「今に食べられてしまうんだろうな」と思ってしまいます。
 後続と合流して10数人で登っていきます。このガイドさんは男女2人だったのですがふつうのゴムサンダルですいすい登っていきます。
 腕時計をはずして気温を見ると25.8℃。山道ですが軽いハイキングという感じですが汗ばみます。
 頂上(?)に立つと眼下に海と村が見えます。反対側は山が幾重にも重なっています。
 眼下のくぼみにメーメーと啼きながらヤギが何匹もきて草を食べています。
 村に降りて少し休んでから車でホテルに帰りました。歩いた時間は実質3時間くらいでしょう。
 ホテルで昼食をとりました。テーブルはデンマーク人のカップル。少し話をしました。
 タコの天ぷらのようなのがおいしかったです。
 昼寝をしてから午後は猿がいる島(モンキーアイランドと言っていました)にクルーズ。一人5ドルでした。
 港の周りには水上生活者の船でいっぱいです。犬を飼っている家(船)も多いです。
 途中漁船と思われる小舟を見ましたが釣り糸をしゃくっています。大きな魚が釣れるのでしょうか。
 猿の島に渡りました。カットバ島には金色の猿がいるとガイドブックにありますが、そういうのは全然いなかったです。ニホンザルみたいのがいてバナナをあげると寄ってきます。
 猿とたわむれてからミニトレッキングと称して少し高いところに登りました。太陽が出てきて、海と島々がきれいでした。
 昨日から今日まで日本人と全然会いませんでした。
 ほとんどの日本人観光客はせいぜい半日のハロン湾クルーズで終わりなのでしょう。
 夕食はイカ、魚、ゆで野菜、ジャガイモ。スープ類がなくどうもお腹が満足しません。そこでフォーを追加注文。ビールもあいまって、さすがにお腹がいっぱいになりました。
 散歩をしてからホテルに戻り、これを書いています。
 明日はハノイに行く予定です。
 カットバ島にゆっくりしたい気持ちもありますが、早めにハノイに行って1月1日に市村さんを迎える準備をしたいと思います。
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ベトナム8日目−ハノイに戻る


朝食を食べてからチェックアウトをしました。
 ハロン湾の奇岩群を眺めながらハイフォンの港に向かいます。
 神戸高校でALTをしているカナダ人のブライアンと出会いました。岡本さんの行動範囲と近いところにいます。再会を約束していました。
 3年半勤めた会社をやめて新潟から上海に出て南下してきた「おおやさん」という人にも会いました。これから長時間のバス旅でラオスに向かうとのこと。
 11時頃に着。港のレストランで昼食。おいしかったです。
 岡本さんはガイドのNamさんに騙されて、朝、ランチ代を2ドル取られました。その分、かなり食べていたかな。
 ミニバスで欧米人たちと混じって一路ハノイへ。
 しばらくINETが日本語でできなかったので、それができるホテルということで「クラシック1」に。ちょっと探す間たくさんの人に岡本さんは圧倒されていたようですが、インドの人混みを知っているぼくにはまだまだ…という感じでした。
 これから水上人形劇を見て、豪華な(?)夕食をとろうと思います。→チャーカー・ラボンで雷魚料理。ビール2本プラスで2人8万4千ドン。(1000ドン=8円弱) 
 1月1日に、このホテルで市村さんと合流したら3人で少数民族の村に行こうと思っています。その計画は明日ゆっくり立てようと思います。
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ベトナム9日目−バイクタクシーで交通事故


朝食はいつものようにフォー。
 今日はあてもなくハノイをぶらぶらしようかと思いました。決まっているのは昨日見られなかった水上人形劇を見ること。
 水上人形劇場に行き、チケットを予約。14:45だけが空きがありました。
 昨日知り合ったシステムエンジニアの高松さんも確かこの時間に予約していたと言っていました。
 ホアンキエム湖の岸から紅色の橋がかかっているのを気になっていたので、渡って見ることに。道教のお寺のようです。門柱の著名な儒学者の書「福」を横に記念撮影。もう一つ「禄」(豊かさ)という書があるのですが、幸福のほうを選びました。
 中にはホアンキエム湖で1968年に捕獲された大きな亀の剥製がありました。
 その後、ハノイ最大のドンスアン市場に行きました。さまざまな品物が並んでいます。
 食堂が並ぶ路地を通り、「クオリティ」というカフェでビールを飲んで休憩。
 旧ハノイ城の門の一つ、東河門を見て、また市場へ。ぼくは市場の東側にある魚、肉、乾物の路上市場がおもしろかったです。(しかし、魚や肉ではタインホアの市場のほうが種類、量で圧倒していたと思いました。)
 チュックバック湖、鎮武観(道教寺院)、ホーチミン廟などを歩いたのですが、旧市街に戻ろうと歩いていたら、また鎮武観に出てしまいました。同じところをぐるぐる回ったのを知ると気持ちが弱くなりますね。
 気を取り直してまた歩き始めたのですがどうも自分の場所がわからないので、バスに乗ることにしました。しかし、そのバスがどこを走っているかわかりません。乗客のほとんどがいなくなって、運転手と車掌が「どこへ行くんだ?」と聞いたと思います(ベトナム語)。「ロンビエン!」と答えると、降りる場所を教えてくれました。ドンスアン市場の近くのようです。
 少し歩いているとバイクタクシーの運転手に声をかけられました。道の名前を教えてもらいました。(ベトナム語で)「乗っていかないか」と言ったと思います。場所を地図上で示して「ハウマッチ?」と聞いても通じません。ガイドブックの「いくらですか?」を指したら一人5万ドンとお札を見せます。駄目!と言うと、下げてきました。一人3万ドン。駄目!と言って歩き始めると追っかけてきて2人で5万ドンになりました。これでも高いと思うのですが、もう歩き疲れていたこととバイクタクシーを経験するのもいいかなとそれで手を打ちました。
 しばらく走るとガーンと女性のバイクにぶつかりました。ぼくの右膝がバイクのバックライトにぶつかったのです。痛かったぞ。女性のバイクのバックライトは破損。しかし、そのまま運転手は行ってしまいました。ぼくがぶつかったのを知らぬはずはないと思うのですが。でかい音もしたし。まあ、ぼくは少しだけ体が頑丈だからよかったものの弱かったらどうなっていたことか。
 ハイフォンからハノイに戻る道路でバイクの事故をよく見ました。バイクタクシーは怖いですね。
 それでもかなり走って目的地(水上人形劇場)に着きました。バスで通った場所をかなり走りましたからもっと早くバスから降りればよかったのでした。
 ビールを飲みながら観劇。どうやって人形を操っているんだろう?音楽に合わせてかなり精緻に動いています。幕の向こう側からパイプのようなものが人形に繋がっているようでしたから、そのパイプの中に何本ものロープが入っていてそれで動かしているんだろうか。
 高松さんがいたので、一緒に食事をすることに。
 ぼくが「ヤギ料理がいいな」と言ったら、結局、またドンスアン市場の近くの地元では有名なヤギ料理の店に行くことに。地元のベトナム人ばかりですがお客は多いです。英語も通じないので注文が大変でした。ヤギの鍋や焼き肉を堪能。
 ホテルに戻ってメールをチェック。
 部屋で休憩後、市村さんと合流後の計画を立てました。ブーさんに電話してハノイのマンさんを紹介してもらい、2日夜からサパに向かい6日朝にハノイに帰ってくる計画で列車の切符が取れるかどうか明日連絡をくれることになりました。切符がとれるといいなあ。
 テレビはNHK紅白をやっています。
 岡本さんは夜食を食べに出ていきました。
 ぼくもそろそろこれをブログに入れようと思います。そして路上で一杯10円のビールを飲むかなあ。
 こうして2005年が終わっていきます。テレビでは「川の流れのように…」って歌っています。昨年はインドで、今年はベトナムでお正月を迎えます。
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ベトナム10日目−今日も食べたなあ


朝食後、久しぶりに(2日ぶり)シャワーを浴び、下着やシャツを洗濯。
 今夜からは市村さんが合流するので3人部屋に移りました。
 お腹がすいてきたので昼食に。
 成美堂出版ベトナム』にあった「クアンアン」に行きました。お腹一杯食べて飲んで2人で24万5千ドン(日本円で1700円くらい)。
 食べたのは、カニと魚のスープ、揚げ春巻き、揚げ魚、カエルとキノコ炒め、野菜スープ、ライス。「カエルとハトを食べよう!」と岡本さんに言いましたら、「イヤです!」と言います。まず野菜スープを「これはハトのスープ」とちょっくら騙したら信じました。「ハト、おいしいですね!」って。この勢いで岡本さんはカエルも。そうしたら「左巻さん、ラビットもいきましょうよ!」だって。
 2日の夜からサパへ行き、5日の朝に帰ってくる予約をしました。 豪華寝台しか残っていなくて少し費用をプラスして全て込みで一人77ドル。
 19世紀半ばから現代までのベトナムの革命について展示してある革命博物館を見に行きました。地図をよく確認して歩いていきました。
 帰りの大劇場の前では花嫁さんが2人家族友人らと記念撮影をしていました。
 ハンザ市場近くのカニチャーハンがおいしいという大衆食堂まで行き、席に座ったら「やっていないよ」(?)と言われて、高級レストランのハノイ・ガーデンに。
 岡本さんは一番高いコース料理を頼んでいました。それは、エビ野菜スープ、エビ料理、海鮮焼きそば、焼きバナナ。ぼくは上海ガニのようなやわらかい殻のカニ、野菜焼きそば。
 2人とも、とくに焼きそばでお腹がいっぱいに。ビール4(「333」という銘柄を注文)と合わせて23.5ドル。今回は岡本さんが20ドルを支払いました。
いま、ホテルに戻って休んでいます。
 今日も元気に歩き回れました。交通事故の後遺症もないようです。 NHK国際で「養鶏場や市場に立ち寄らない、死んだ鳥に触らない、など鳥インフルエンザに注意…」とやっています。サパに行ったときが要注意かな。
 「外務省は海外旅行保険をかけるようにと海外旅行客に呼びかけ」というのも。うーん、ぼくはかけてこなかったなあ。
 市村さんが11時過ぎに来ると思います。
 今夜はどこで飲もうかな。一杯10円の路上ビアホールが遅くまでやっているといいのですが。
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ベトナム11日目−市場の食材


 朝食はいつものフォー。ただしこのホテルのフォーのスープはインスタントっぽい。
 市村さんが水上人形劇を見たいというので予約しに。しかし今日はどの時間帯も満席でした。サパから帰った5日の席を予約しました。 月曜日なので博物館はほとんどが休館。ガイドブックに土日休館となっていた地質博物館に行くことに。昨日の革命博物館の近く。
 しかし、やっている気配がありません。他と同じ月曜休館になっているのかもしれません。ガイドブックに「学校の理科室といった雰囲気だ」とあるので期待していたのですが。(5日に再度行ってみます。)
「12月19日市場」にはドンスアン市場にはない高級食材もある、ということで見学に行きました。生きたラビットもいました。かわいい!
 一番印象に残ったのは犬の肉でした。頭をカットされて、内臓を抜かれた肉が何匹も。
 ワンダラー!と言われたので、一匹が1ドル?未だ肉の付いている犬の頭がボウルに何個かありました。頭骨標本用にほしいなあ、と思ったのは理科教員の性ですね。市村さんも同じことを考えたとのことです。「肉を剥いで貰って10個くらいお土産に持ち帰りたいなあ、でも税関か検疫でひっかかるかなあ」などと言い合いました。
 ホテルに戻り、チェックアウトして、荷物をあずけて昼食に。市村さんがいるので雷魚料理の店に。
 その後、ドンスアン市場で雷魚やカエルを売っているのを見ようと市場に向かいました。その道はヤギ料理の店に行く方向です。ヤギ料理を食べようと思っていたわけではないのですがそういうわけでヤギ料理店に入ってしまいました。
 岡本さんが「ヤギはイヤです!」と言いましたが市村さんにヤギ料理を経験させようと思いました。今回は焼き肉だけにしました。岡本さんは見ているだけ。本当に好きではないんだな。
 ドンスアン市場を見学してから、「アンシンホテル」という名のホテルを見に行きました。これは高松さんに「空港からタクシーに騙されて連れてこられてぼったくられる」という話を聞いていたのでどんなホテルか興味がわいたのでした。小さなみすぼらしいホテルでした。(なお、本当にぼったくられるかどうかは知りません。)
 サパに行くために午後8時半にホテルに集合なので、時間が十分あります。
 ホアンキエム湖に行き、ベンチでぼんやり。市村さんは玉山洞を見学。
 「甘いものを食べよう!」と「リトルハノイ」に。お目当てのカラメルクリームは無し。ぼくはグァバジュースを飲みました。
 夕食は水上人形劇場近くの定食屋さんでチャーハン。あと路上の焼き鳥。
 市村さんが「雷魚とかヤギとか特別な料理ではなくふつうのベトナム料理が食べたい」と言っていました。昨夜着いたばかりなのに特別料理で歓待し過ぎたかな。
 ホテルに戻って時間まで路上ビール。ぼくは4杯飲みました。すでに食事でビールを3本飲んでいます。ぼくの場合はビールは水代わりです。
タクシーでハノイ駅に行き、ラオカイへの寝台列車に。一部屋4人の寝台。
 一緒にトレッキングをするオーストラリア人の女性2人とお話。養護学校の教員とのこと。
 午後10時に出発。ぼくだけ隣の部屋でイスラエル人らと一緒。いびきで迷惑かけなかったかな。
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ベトナム12日目−サパのトレッキング1


 ラオカイ駅に早朝についてホテルの車でサパへ。
 ホテルはサパの中心から少し外れたところにある「グリーン バレイホテル」。
 ベトナム11日目を書いて、朝食をとってからモン族・ザオ族のラオチャイ村へトレッキング。
 オーストラリア人女性2人と一緒。ガイドさんは英語教師をしているとのこと。
 青空が広がった下、山の裾野には棚田の連続。
清冽な流れの川もあり、村人の生活を垣間見ながら村道を歩きます。
民族衣装を着たモン族の女の子たちらが物売りに寄ってきます。どうもぼくは物売りには弱いです。学校に行かずに物売りをしている子どもたちの生活を考えてしまいます。目を合わせないようにしてやり過ごします。
 ぼくらは買いそうもないと察知するのでしょう。物売りはオーストラリア人女性2人に群がります。(市村さんは自分のクラスの子どもたちへのお土産と言うことで、編んだ腕バンドを38本、19万ドン[日本円で1300円程度]で買っていました。)
 ランチはミニフランスパン2個にスパム、バター、キュウリ、トマトで。
 果物はバナナ、梨とリンゴ。これに水代わりのビール。
 10時20分から歩き始め、午後2時半頃に終わり。晴天の中のウォーキングだったので日に焼けました。終点にホテルの車が待っていました。
 岡村さんは疲れた顔をしていましたが「ハロン丘に行くぞ!」と出発。
 階段やゆるい登り道を登っていきます。この丘は広く、道も縦横にあります。下から頂上に鉄柵に囲まれた展望台があるのが見えたのですが、そこにたどり着けなかったのであきらめて帰ろうとしました。ぼくは直感的に声がするほうかな、と歩いていったらその頂上に着いたのでした。スパの街が一望できました。
 夕食は野菜炒め、ポーク炒め、ピーマンとヤギ炒めをライスで。おいしかったです。もちろんビールも。(ヤギを3日連続で食べたことになります。)
 アップルワインをワンボトル買って部屋で飲もうということに。
 ぼくはシャワーを浴び、シャツや下着の洗濯をしました。しかし、市村さんが寝てしまっています。疲れが出たのでしょう。岡本さんは携帯に日記を打ち込んでいます。
 そろそろ市村さんを起こして飲もうかな。
 明日はカットカット村とシンチャイ村に午後2時頃までトレッキングをしてからラオカイ駅に向かい、寝台列車ハノイに向かう予定です。
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ベトナム13日目−サパのトレッキング2


朝食はエッグ+タマネギ炒めにパン。
 今回は少しトラブルがありました。帰りの寝台列車のチケットのレシートがないのです。オーストラリア人のほうにはあったのでわかりました。
 もともとぼくらのほうには付いていませんでした。
 昨日は朝食の時間と出発の時間を間違えて20分遅れましたが、今日もこのトラブルで20分遅れ。結局、オーストラリア人2人のレシートは5人分ということで(同じツアー会社ですから)トレッキングから帰るまでには何とかすると言われて出かけました。
 昨日はほとんど下りの道でしたが、今日は下ってからはずっと登りです。
 このモン族のカットカット村とシンチャイ村のトレッキングはサパから近いこともあってガイドブックには参加者が多いと書いてありました。それで、物売りも多いかな、と思っていました。
しかし、トレッキングの人も昨日よりは少なそうでした。また物売りも。物売りさんたちはサパの市場付近で売っているようです。
 今回は物売りではない、ふつうの子どもたちにたくさん会いました。オーストラリア人は子どもたちにチョコボールをあげていました。子どもたちの喜んだ顔…。家の様子も垣間見えました。
 自分の子ども時代、家には田畑を耕す労働力としての牛がいました。鶏を放し飼いで飼っていました。そのころと同じような暮らしです。
 日本はその後急激な経済成長をとげ、農村から牛はいなくなりました。
 昼食場所は近くの小学校の先生の家を借りました。テーブルの上には教科書類がありました。算数の教科書には分数の計算などがありました。
 さらに歩いて折り返したのですが、オーストラリア人はバイクタクシーに乗って市場に行ってしまいました。ぼくは、運転手にゼスチャーで「デカイ!」と言われたようで、気に触ったこともあり、歩いて帰ることに。もともとの計画では歩いて帰るのが正規でした。
 市村さんはお腹の調子が悪く(とくに胸がムカムカする)歩くのも遅れ気味でしたが市場に着きました。10時20分に出発して午後3時頃でした。
 市場ではオーストラリア人は物売りに囲まれていました。いろいろ買ったようです。(後でホテルで買ったものを見せてくれました。) ホテルに帰ってしばらくしたら夕食。岡本さん、市村さんは牛肉のフォー。でもぼくは春巻きにしました。(岡本さんはその春巻きを2個[さらにオーストラリア人から1個]を食べ、さらにライスだけを「日本人はご飯ですね!」と言いつつぱくぱく食べていました。)
 ラオカイ駅行きのミニバスは補助席まで含めて満席。そこに荷物も。
バスの車窓から夜空を見るとオリオンがぎらぎら光っていました。 ラオカイ駅に着き、無事にチケットも貰えて、寝台に乗れました。
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ベトナム14日目−ついに下痢、そして回復


 早朝ハノイ駅着。車内は暑くて寝苦しかったです。なんか体調が悪い感じ。
 駅のトイレに行ったら水様状の便。うーん、ついにきたか。
 原因は思い当たりません。ホテルの夕食以外に食べたのは市場で買ったライチ。土色の皮をつるんと剥くと透明な部分が出てきます。これが甘くておいしいです。しゃぶって硬い部分を吐き出します。こいつのせいではないだろうな。
 向かったのはホーチミン廟。下痢になっていることで歩きにも元気が出ない。でも地図を見て、方位磁石を使ったりしてしっかり連れて行けるのはぼくしかいません。ホーチミン廟の見学前に一柱寺を見学。
7時頃、バーディン広場にいると、拡声器から音楽が鳴り響きました。ホーチミン廟に向かって衛兵の行進が。国旗掲揚の儀式でした。 2人はホーチミン廟とホーチミンの家見学。お腹がすいたので残っていたライチを全部食べました。ぼくは今度は衛兵の交代を見ることができました。
 合流してから軍事博物館へ。フランス軍、米軍との戦いの写真、武器などの実物、模型やジオラマが展示されています。
 国旗掲揚塔(旗の塔)はハノイ城跡の一つらしいです。上まで登ってハノイ市内を眺めました。
 サイゴン陥落のときに大統領官邸に突入した戦車も実物が展示されています。
 ホーチミン作戦のジオラマは映画と連動して場所が点滅します。ベトナム軍の若い兵士たちが研修でしょうか、たくさん見学に訪れていましたが彼らと一緒に映画を見ました。
 ここのトイレでも水様状。でもしげしげと眺めて、少しは改善されたかな、という兆候を探します。
 次はホアロー収容所見学。半分以上は取り壊されてハノイタワーズになっていますが、一部を保存、公開しています。
 19世紀末にフランスによってつくられた監獄。政治犯が収容されて拷問にかけられたりしました。その様子が人形やレリーフで再現されています。
 ホテルに行き、ぼくはメールチェック。2人は疲れで寝ていました。
 その後、両替をして食事に。ぼくが食べたのはカニと魚のスープ、エビと野菜炒め。他にチャーハンを2人から少し分けて貰ったのとシェアしたカエルとタマネギの炒め物。ビールを2本。ホテルに戻ってトイレに行くと水様状ではなくなっていました!うん、ちょっと疲れが出て下痢しただけなんだな。
 安心したら眠ってしまいました。起きてNHK国際を見ていたら「ベトナムで銃犯罪が増加。けんかの場所などに近づかない」などとやっています。実はホテルに来たとき、近くの建設現場で大声でけんかをしていました。人垣もできていました。つい「何喧嘩しているんだろう」と近づいてしまっていました。(^_^;)
 2人は「リトルハノイ」でお腹一杯ケーキなどを食べたそうです。市村さんは水上人形劇の観劇へ。
 いま、現地時間で午後8時。明日は古都ホアルー、タムコックへの日帰りツアーです。その後、空港へ、そして日本へ向けて立つ予定です。
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ベトナム15日目−ついに最後の日


 ベトナム最後の日です。
 予定通り、古都ホアルー、タムコックへの日帰りツアーです。
 ホアルーはお寺を2つ見ました。当時の王様を祀ってあります。最初の王様が毒殺された後、奥さんが新しいダンナと結婚。そのダンナが次の王様になったということです。
 近くに水牛がいたので、ガイドさんが「水牛には上顎に歯があるかと?」と聞いてきました。うーん、牛には無かったな。
 彼の話によると…。背に乗ったひ弱な人間に操縦されている水牛に、虎が「お前は何でそんな弱いやつに支配されているんだ」と言いました。水牛は「いや、人間は力は無いけど知恵があるんだ」と答えました。虎は、「それなら知恵があることを見せてみろ」と言いました。…この間の話がよく聞き取れませんでした。…牛は口を石にぶつけて歯が無くなったのでした。…
 小さい頃、母親に聞かされたということです。英語ができないと話もわかりません。(^_^;)
 タムコックは陸のハロン湾のようです。奇岩群の中、穏やかな川を、手こぎ小舟で進みます。ガイドブックにボート上でテーブルクロスの押し売りや物売り小舟が寄ってくるなどとあります。こぎ手は2人。行きは何もなかったのですが、帰りは物売り小舟が近づくのを助けるし、クロスを出し始めるし、買わないと見るや「チップをおくれ」と何回も言うし…で、静かに終わったらチップを上げようと思っていた市村さんも怒っていました。生活がかかっているんだからしょうがないとは思いますけど。
 ハノイに戻って、夕食は雷魚料理。最初、市村さんに「岡本さんが雷魚料理を食べたいって言っているけど」と言ったら、「いやあ、未だお腹の調子が…。雷魚料理は脂っこいのでイヤだなあ」という答え。しかし、近くには他によい店もなく、「悪いけど雷魚料理にするよ」と言うことに。市村さん、ごめん。
 雷魚料理の店でビールで「よー!」というかけ声で乾杯。隣のテーブルでもベトナム人が「よー!」ってやっていました。
 ホテルに帰り、ぼくと岡本さんは最後ということで3人で路上ビールを。
 午後9時にタクシーで空港へ向かいました。
 市村さんが1人残りました。彼は明日ハロン湾クルーズをしてから帰ります。
 1月7日朝には成田空港に着きます。こうして正味15日間の冬のベトナムの旅が終わります。