左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

南インドの旅

 今回の南インドの旅の道連れは、RikaTan誌副編集長のAさん、彼の息子K君(大学生)、
RikaTan誌編集委員のSさん、それにHさんの5人でした。ぼくとAさんらは12月25日〜1月6日
(成田に1月7日)の日程でしたが、Sさん、Hさんの女性2人は1月2日にインドを離れました。


 ぼくは、今回が6回目のインドです。一回に一番長くインドを旅したのは、3回目のことで
3週間。ムンバイ、エローラ、アジャンタ、デリー、バラナシ、ラダック、カジュラホなどを
回りました。日本に帰国後、腹痛のため病院に行ったら、「血液のデータが非常に悪い。肝炎
だ。即入院!」と医者に言われて入院したことがそのときの思い出です。コーヒー色の尿を
出しながら2週間ほど入院して、幸いなことに肝炎は完治しました。
 原因を思いうかべると、陸路でデリーからマナリー経由でレー・ラダックへ向かったとき、
高山病になりながら2つの5千メートルの峠を越えて、もうすぐレーの町というお茶屋付近に
流れていた川の水を飲んだことのようです。



 毎回、「もうインドには行かないぞ」と思いました。それでもどういうわけか又インドに
行ってしまうのでした。
 いつものように往復のチケットだけを持って、後は現地でなんとかしようという旅です。
インド国内の飛行機はとっておこうかと思ったのですが、出発の日まで毎日あたふたと過ごし、
それもなりませんでした。


 ムンバイ空港について先ずやったのは国内の飛行機チケットをとることでした。
 空港にあったジェットエアウエイズの事務所で、当初予定していたアジアライオンの保護区
を見に行くためのチケットはどうしてもムンバイに戻る席がいっぱいで駄目でした。そこで
コーチンへ向かうチケットをとりました。このときの予定ではコーチンからアレッピー、トリ
ヴァンドラム、カニャークマリ(コモリン岬)、マドゥライ、チェンナイとまわり、チェンナ
イからムンバイに飛ぶというものでした。カニャークマリで年末の日没、元日の日の出を見よ
うと思っていました。

 ムンバイではエレファンタ島に行きました。一番の見所は石窟寺院第1窟。シヴァやヒンド
ゥーの神々の彫刻が素晴らしかったです。第1窟の入り口にあったところでパチリ。


 ムンバイからコーチンコーチンからバックウオーター船の旅をするためにアレッピーへ。
豪華なハウスボートを借り切って船の旅を楽しみました。


 バックウオーター船の旅は、ツアーでアレッピーからクイロンへ行くはずがハウスボート
借り切りになりアレッピーに戻ります。それならペリヤー動物保護区へ行こうということに。
野生の象が「ぱきっ!ぱきっ!」と竹を折る音を立てながら竹の葉を食べているのを見ました。


 ここまでの旅程も始めから決まっていたのではなく、状況判断しながら行き先、宿をその場
その場で決めていきます。
 ペリヤー動物保護区近くの町で2泊してから「どこに行こうか」と南インドの地図を見ていま
した。目に飛び込んできたのは「dindigul」。「ディンディガル!」と大きな声を出しました。
K君も目を輝かして「語感がいいですね。なんかおもしろそう」と言いました。旅のガイド
ブックには載っていない町ディンディガル!バススタンドで女性陣と別れて、ぼくらはディン
ディガル行きに乗りました。
 ディンディガルに近づいてくると左手に大きな岩山が見えました。それはディンディガル岩砦。
地図を見るとディンディガルは交通の要所のようですので、砦があっても不思議ではありません。
もちろん観光に行きました。入り口でガイドに捕まり、結局ガイドされることに。彼はガイドを
始めて9年目だというのですが、日本人は初めてと言っていました。


 その後、ティルチラパッリ、チェンナイ、マハーバリプラムを観光してからムンバイアウトで
帰ってきました。マハーバリプラムには、有名なクリシュナのバターボールがあります。ゾウで
引いても動かなかったということです。


 結局、カニャークマリで日没、日の出を見るのはできませんでした。又の機会にしようと
思います。
 こうした明日どうするかもわからない未知性をもった旅は、なにか理科の探検にも似ている
ような感じがするのです。