左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

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 ぼくのような学力劣等生だった者が中高の教員になり、大学の教員になった。「教育学」と
いう分野なので、学力劣等生出身はプラスに働いただろう。
 幸いだったのは現場でおもしろがって理科の授業をやっていたことだ。新任のときから8年
間勤めた大宮市立春里中学校で、同僚に「この学校で喜んで毎日学校に来ているのは左巻
さんくらい」と言われたことを思い出す。春里中学校と東大附属中高での理科の授業があっ
たから、ぼくは今がある。
 大学院のとき国会図書館で米国の理科教育雑誌を読みながら、「横文字を縦文字に直すよう
な研究はしたくない」と強く思った。「現場から現場に発信できるような理科教育の研究を
しよう」と思った。
 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』の「理科教育」の項目を見たら、“理科
の授業は、その性質上、「実験」「観察」が多いという特徴がある。板倉聖宣左巻健男
米村でんじろう達や、現場の理科教諭らの手で、子どもに動機づけをさせやすい、実験を交え
た授業実践・指導方法が考えられてきた。」と名前が出ていた。米村さんが学校の理科教育の
指導方法を考えてきたとはあまり思わないが、少なくてもぼくは考えてきたつもりだ、中高生
を目の前にして。
 この項目を誰が書いているのか知らないが、人物として「有本淳一、板倉聖宣、川勝博、
左巻健男、清水誠、庄司和晃、滝川洋二、森一夫米村でんじろうなど」が挙げられている。
(どんな基準で選択されているのだろうかと疑問。板倉さん、川勝さん、庄司さんは同感する
が。)
 庄司さんには若いときに激励されたことを思い出した。ウィキペディアを見ると今は宗教
教育研究をされているという。


 法政は元気なら70歳まで勤務できる。しかし、ぼくは65歳で辞めようかと思っている。
 最近の新聞記事で就職したばかりの若者が「そこそこ暮らせるだけのお金があればそれで
よい」という考えをもっているという。懸命に働いたって忠誠を誓ったはずの会社から捨て
られる人たちを多く見てきた若者にとって立身出世は目標ではないのだ。
ぼくも若いとき、「そこそこ暮らせるだけのお金があればそれでよい」と思っていた。今
でもそう思う。
 「65歳で辞める」というと、「左巻さん、大学教授の肩書きは強いよ。元大学教授だと
社会の見る目が違うよ」というアドバイスを貰うことがある。65歳からの5年間、教授として、
そしてかなりの額の年収を貰って活動したほうが得だという考えだ。本当にそうなのか。年
1千数百万の収入を捨てるのは勿体ないかも知れないが、年金を貰いながらそこそこ暮らす
には十分な蓄積がすでにある。今から65歳になるまでにもさらに蓄積が増える。その蓄積を
崩しながら好き勝手なことをやってくらして死へ向かいたい。
 大学教授だからって、すごいと思うような人は一握り。だいたいが、つまんない研究、つ
まんない仕事をしているかもしれない。そんな肩書きを捨てたってどうってことないのでは。
 65歳になったときに法政であと5年やってもいいなというなんかおもしろいことがあれば別
だが、今のところ65歳で辞めようと思っている。


 後数年のうちに出したい本を出し、やりたいことをやっておきたい、そして大学を辞めたら
世界で行きたいところは全部行きたいな。