PCは優れた思考の道具で、時間を節約してくれ、仕事の効率化をはかるはずのものだった。しかし、どうだろう、ネットにつなぐようになって1日に100程度のメールを受け取り、10〜数十通のメールを出している。新聞のネット配信記事を読んだりして、ネットにかける時間は増えた。つい空いている時間があるとPCでネットにつないでしまう。
ネットには玉石混淆の情報があふれているがほとんどは“石”だ。莫大なゴミの中を漂流している。中には宝があるだろうと。
本を読む時間が減った。静かにじっくり考える時間が減った。
そんなところにツイッターの誘いが来る。雑誌やネット記事のiPad特集を読むと、ほしくもなる。
ツイッターは、自己顕示欲が強く、自分のことを他人にアピールしようという人にはいいかもしれない。商売に役立つかも知れない。ぼくのように本を出したりしている人にとっては宣伝効果もあるかもしれない。世界の中心にいると思いたい人にはいいかもしれない。
今のメールのやり取りでも時間がとられているというのに、ツイッターでつぶやきながら、他人のツイートに返信することが加わったらどうなるだろう?
得られるのは世界の中心にいるという自己顕示欲の他に何があるのだろうか?有用な優れた情報?多量のゴミの中にはそんなものもあるかもしれない。
失われるのは時間。そして思考だろう。
物事が単純化されて、わかりやすくはなる。
複雑に絡んだ糸をほぐしていくようなことはする必要はなく、単純な思考ですむような情報のなかで過ごすようになる。
それは馬鹿になるということだ。
「ゆとり」教育で多くの子どもたちが馬鹿になったように。
iPadも、ふつうの大人には、娯楽の道具にしか過ぎないような気がする。
ぼくはモバイルPCを持ち歩いているが、それでやっている知的生産がiPadでさらに便利になるような気がしない。
さらに無意味なネット徘徊などに時間を消費するだけではないか。
いや、人には娯楽も必要だからiPadで映画を見たり、音楽を楽しんだり、雑誌を読んだりすることも否定はしない。しかし、ぼくは知的生産者たらんとしているので、今よりももっとだらだらと過ごしてしまうほうを恐れている。