前のエントリーは、この前島根県旭温泉の懇親会の折、K校長さんからいただいたお酒を飲みながら書いた。
4合瓶が半分くらい空いた。肴は母が作った鯖ミソ。
さっき『週刊現代』7/3号を読んだ。
一番おもしろかった記事は「85歳すぎてもピンピンな人の「生活と意見」」。
合計年齢882歳の10人の著名人に自らの経験に基づいてアドバイスしてもらったという。
共通しているのはしっかり睡眠をとっていること。
ぼくはこれはクリアしている。12時くらいに爆睡状態に入り、6時頃か7時頃に目が覚める日々。寝られないというのは苦しいだろうなと思う。ぼくは幸いなことに寝られないということがない。爆睡して泥のように眠っていると思う。
そしてみな、よく出かけよく人と会っている。
まあ、ぼくも今のところそれはクリアしている。
いや、すごいのはそんな年齢になっても「生きているのが楽しくてたまらない」というほど好きな仕事をちゃんとやっていることだ。
ぼくは「早く年金生活に…」などといっているが、大学は辞めても何らかの理科教育の仕事は続けていったほうがいいかもしれない。
実は今日ツレに「冗談なんだけどある科学館の話の中で、○○科学館の館長というのはどうだなんていう話になったんだよ。大学教授と館長、どっちがいいかな」と笑っていった。
ぼくを玄関から送り出すツレが「館長さん、行ってらっしゃい」といった。
出雲市科学館の館長だった曾我部さん(いま、名誉館長)は「学長とかなるより科学館長がいいと思ったんだ」といっていた。島根大学教授から館長へ。
ぼくもそんな転職がいいかもしれない。
ぼくの家系は男は短命だから「90代になっても夢がある」なんてことがいえるまで生きないと思うが、できれば「70代になっても夢がある」といえるまでは生きたいものだ。
ツレは「あなたは体温が高い。きっとガン細胞ができても死んでるわよ」という。
父がなくなった55歳を過ぎたから、できれば70歳くらいまで生きられればいいのだが。