さっきのぼくの文章は2003年6月のもの。京都工芸繊維大学時代。
その後に次をコメントしていた。
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人はときとして嫉妬の心にとらわれるようです。
ぼくもずっと若い頃「ぼくのように意欲と能力がある者がなぜ活躍できないんだ」と不満をもっていたことがあります。そこには同じ年代やもっと若手で検定教科書の執筆に入ったり、雑誌や本で活躍している人への嫉妬があったと思います。
冷静に考えてみれば相手が同じレベルなのに、と思ったときはだいたい相手のほうがレベルが上です。相手が自分より低めに見て、実は同じレベルです。少し上だな、と思ったら実はかなり上です。
みんな、そんなにたいしたことないんですけどね。
と言いつつ、ぼくは若い頃から理科教育については並はずれた精進をしてきた自負があります。
新任の終わりの頃には雑誌『理科教室』誌の編集委員になりました。そこでの約10年で雑誌の編集をたくさん学ぶことができました。
小学校で教えたことはなくても、ふつうの小学校教員の人より小学校理科教育の成果を知っていると思います。中学校はもちろんです。
しかも、ふつうの理科教育の研究者が、物理教育とか化学教育とかに特化しているとき、物理教育も化学教育も生物教育も地学教育もある程度実践的に研究してきました。だからこそ今回の『新しい科学の教科書』3巻のリーダーができたのだと思います。
こういう自負は自慢でもあり、人によっては高慢で嫌なヤツとされてしまうと思っています。でもぼくはそれくらいしか自慢ができないんです。
つまらない自慢なんですけどね。たかだか科学の啓蒙書を書く時に発揮できる能力でしかないですものね。高度になるとわからなくなるし。
本を出したからえらいっていえないのにね。
それ、自分の力だけで出せた本なの?
それ、一部の人たちだけにでも歓迎された本なの?
理科教育についてはつまらない自慢をしながらも全体的には謙虚になりたいな。
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