左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

原発に「物言えば、くちびる寒し」の雰囲気があったと思う

 「原発批判は村八分?」という雰囲気が教育界でもありました。「物言えば、くちびる寒し」で、原発批判をすれば「極端な考えを持っている人だ」と思われる雰囲気があったように思います。とくに原発立地県では原発の話題はタブーでした(立地県にもよく理科の講師で行ったときに感じました)。
 安斎育郎『原発 そこが知りたい 増補版』(かもがわブックレット1989)から該当部分を紹介します。この部分は、ぼくにとって安斎さんの本で一番衝撃的なところでした。 彼の講演でも聞いたような…(記憶がおぼろげですが)。


 東京大学原子力系が御用学者の巣になった理由の一端
 http://d.hatena.ne.jp/samakita/20110321/1300700169
 の安斎育郎さんの補足です。


(なお、ぼくのスタンスは
 左巻健男がブログに書いた原発放射線のこと一覧(3/15〜5/11):記事に飛べます! http://d.hatena.ne.jp/samakita/20110516/1305553182 
 をお読みになって下さい。)

 「東京大学で助手を一七年間つとめていた頃、私も国の原発政策を批判する社会的活動に従事していたがために、ずいぶん“村八分”的な体験をしました。

 原発立地地域の住民に呼ばれて講演に行くと、たいてい電力会社の担当者がいてテープをとり、時にはその日のうちに東京の主任教授に届けられました。教育業務からはは
ずされ、ロをきくな、指導を受けるな、一緒に飯を食うな、並んで道を歩くな、同じ写真に入るなと、さまざまな孤立化政策がとられました。

 週刊誌に談話が載れば、肩書きに研究室名が入っていることが問題になりました。人は社会的な存在なのですから、たとえ個人的な見解を述べる場合でも肩書きをつけることは社会一般でなされている習慣にすぎません。ある時には、他に職を見つけて何年以内に出ていくようにといった示唆を受けたこともありました。

 外に職を得ようと他大学の公募人事などに応募すると、おもしろいことに、週刊誌に「原発反対運動のリーダー」といった扱いの記事がタイミングよく掲載され、それが選考委員会に送りつけられるようなことも起こりました。
 二年ばかりアメリカに留学する気があれば金は出すといった「リクルート疑惑」と同じようなパターンのアプローチもありました。
 何とかして私のロを封じ、原発批判の社会的活動を抑圧する必要があったのでしょうか、一介の大学助手にすぎない私でさえもこういう状況だったのですから、なかなか大変なものです。」(引用以上)