左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

2chで左巻健男の博士号無、工業高出身など学歴をバカにしているものがあったが…ぼくにはそれが誇りなんだよ

 一緒に東京学芸大学大学院修士課程を過ごした滝川洋二さん。彼は物理学の研究者を目指していたが、結局、ぼくに影響されてと言うことだが理科教育に転じた。彼から一緒に当時理科教育の博士課程があったICUへ行こうと言われた。しかし、当時ですら博士課程修了後、理科教育で研究者になるのは難しいといわれていた。
 ぼくは、現場に出て現場で理科教育を実践しながら研究する立場をとった。
 幸いなことに公立中学校教諭から東京大学教育学部附属中・高等学校教諭になり、研究しやすい環境にいた。東大で理科教育法の講義をもったり、集中講義でいくつかの大学で教えた。
 ぼくは東大附属で定年になればいいと思っていた。

 
 若い頃から“一匹狼”的で、日本理科教育学会などの活動や「査読付き論文」書きをしようとは思わなかった。戦後日本の理科教育の研究史をみても、学会の論文などほとんど現場に影響を及ばしているように思えなかったし、歴史に残るような人もいないし、論文もないように思った。学会の外にいる板倉聖宣さん、高橋金三郎さんや真船和夫さんに魅力を感じた。


 ぼくは具体的な理科授業や実験などの本を書いた。学会の「査読付き論文」など誰が読むのか、読むのは数人レベルではと思っていた。そんな論文を書いて大学教員になる必要も無いと思っていた。ぼくは現場にいて、お金を出して読んで貰える本を書こうと思った。


 しかし、東大附属中等教育学校になろうという議論が起こり、年齢も上の方になって教務主任などの校務分掌をさせれるようになった。博士号も査読付き論文の業績も無いが、それでも採用してくれたら大学に移ろうと思った。
 中国地方の理系の某私立大学の科学教育の教授に応募しないかという話がきた。ぼくのために条件から博士号所持をはずしてくれた。だが結局は2人から博士号所持の教育学で有名な某国立大学から生物学の定年者が採用された。
 次の年、理科教育ではないが、それを土台にできそうな、理系の京都工芸繊維大学アドミッションセンター教授に採用された。完全公募だった。京大の理科教育法をもつようになった。
 ちょうど国立大学が独法化されるという日から同志社女子大学に移った。ここも完全公募だった。新学科が4年間を終えたときに現在の法政大学に移った。家が千葉県にあるので機会があったら東京に戻りたかった。(法政に移る前に東京の有名私大の初等理科教育の教授に応募しろといわれて応募して最後の2人に残ったが駄目だった。) 


 まあ、2chで話題にされるということは理科教育でそれなりに意識される存在になっているからだろうか。それなら嬉しい。


【以下はツイッターの投稿】


検索で2chでぼくが博士号無し、工業高出身など学歴などをバカにしているのが引っかかった。ぼくはそれを誇りにしているんだよw。教育学で論文とやらや博士号にどの程度の意味があるのだろうか。
ブログ:ぼくに「誇り」がある。左巻健男の原点は工業高校2年生になったばかりの春の決意(まとめ編) http://d.hatena.ne.jp/samakita/20110724/1311480638


元々大学教員になろうと思っていなかった。学会活動も査読付き論文を書こうという気もなかった。現場教員で定年までと思っていた。それがひょんなことから大学3つ目。うち2つは高倍率の完全公募による採用だった。ラッキーだったんだな。


ぼくは安藤忠雄さんのような凄い人では無いけど、「学力劣等生」だったからわかることがあると思って理科教育をやっています。 RT @Shigeru_Romeo: 安藤忠雄も工業高校卒(しかも大学は行かず)ですね。