今日は、ツイッターのTLに「嫉妬」とか「憎悪」とかの言葉が目立った。そこで、ぼくがこのブログに書いたものをまとめておく。
●2011年6月15日
嫉妬 嫉妬 嫉妬…
何か自分がどう考えても理不尽なる評価をされているとしたらそこには「嫉妬」が渦巻いているかもしれない。
そう言ったのは故竹内均氏だった。
嫉妬が背後にある個人攻撃はよくあること。
ぼくのような地味な分野(理科教育)の一匹狼的研究者でも嫉妬されることがある。嫉妬が透けて見える場合がある。
と、さっきツイッターに書いた。
それでいくら嫉妬が背後にあっても、ぼくへの個人攻撃的な物言いの中に、ちょっと自分の反省部分を見いだせるといいなと思う。
●2010年10月25日
「男同士のケンカの端緒には、嫉妬心や劣等感がある。」
『宝島』誌12月号をぱらぱらとめくっていたら出くわした言葉だ。
ぼくはかつて、次のように述べたことがある。この言葉で思い出した。とくに故竹内さんの言葉。
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最近、ぼくが「ぼくはいわば“出る杭”なんで、いろいろ叩かれるんだ」と言いましたら「左巻さん、“出過ぎた杭”になりなよ。出過ぎれば叩かれないよ」と言われてしまいました。(^_^)
故竹内均さん@地球物理が、以前「どうして理不尽な仕打ちを受けるか分からない時には、裏に“嫉妬”がある」というようなことを言っていました。
最近、ニワトリを殺すな、という本が話題になっていますね。
集団に1羽傷ついたニワトリがいると、よってたかって傷口をつついて殺してしまうという寓話です。
そう言う集団では創造性に満ちた仕事はできないってことです。みな、「大過なく」すごそうとします。
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↑のぼくの文章は2003年6月のもの。京都工芸繊維大学時代。
その後に次をコメントしていた。
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人はときとして嫉妬の心にとらわれるようです。
ぼくもずっと若い頃「ぼくのように意欲と能力がある者がなぜ活躍できないんだ」と不満をもっていたことがあります。そこには同じ年代やもっと若手で検定教科書の執筆に入ったり、雑誌や本で活躍している人への嫉妬があったと思います。
冷静に考えてみれば相手が同じレベルなのに、と思ったときはだいたい相手のほうがレベルが上です。相手が自分より低めに見て、実は同じレベルです。少し上だな、と思ったら実はかなり上です。
みんな、そんなにたいしたことないんですけどね。
と言いつつ、ぼくは若い頃から理科教育については並はずれた精進をしてきた自負があります。
新任の終わりの頃には雑誌『理科教室』誌の編集委員になりました。そこでの約10年で雑誌の編集をたくさん学ぶことができました。
小学校で教えたことはなくても、ふつうの小学校教員の人より小学校理科教育の成果を知っていると思います。中学校はもちろんです。
しかも、ふつうの理科教育の研究者が、物理教育とか化学教育とかに特化しているとき、物理教育も化学教育も生物教育も地学教育もある程度実践的に研究してきました。だからこそ今回の『新しい科学の教科書』3巻のリーダーができたのだと思います。
こういう自負は自慢でもあり、人によっては高慢で嫌なヤツとされてしまうと思っています。でもぼくはそれくらいしか自慢ができないんです。
つまらない自慢なんですけどね。たかだか科学の啓蒙書を書く時に発揮できる能力でしかないですものね。高度になるとわからなくなるし。
本を出したからえらいっていえないのにね。
それ、自分の力だけで出せた本なの?
それ、一部の人たちだけにでも歓迎された本なの?
理科教育についてはつまらない自慢をしながらも全体的には謙虚になりたいな。
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●2011年1月23日
ある有名教授Uさんの最終講義
そこでどんなことをしゃべったのかを聴きながらツィートしてくれた人がいた。
ぼくは、その人は有名なのは知っている。しかし、本を読んだことがない。養老…、茂木…などと同様、胡散臭いと感じていた。
超有名人やベストセラーは胡散臭いと思っている。もしかしたらこれは嫉妬なのか。いや、嫉妬するほど、興味も関心もないと思う。
雑誌でいくつか記事を読んでいて、ピンと来るものがなかった。
Uさんは、定年前の60で大学を辞める。ぼくは最終講義しないで旅に出るだろうな。旅を考えて生きているから。
講義のツイートにコミュニケーションを「波動を出しあっている」みたいに表現していた。ああ、駄目だな、と思った。言葉を選べよ。波動という言葉を使わなくてもいくらでも表現のしようがあるだろう。
ぼくが読むとよい本を薦められたが養老…本と同じく編集者がおもしろく(?)まとめ直した本らしい。そんなの薦めるなよ、と思った。
ぼくは、小さな世界でひっそりと生きられればよい。等身大の自分としては、今はなんか背伸びしすぎ、という感じだ。
ぼくは、バカで、理科しかできなくて(中3のとき9科目の中で一番得意。評定は5段階で3)、理科教育で生きてきた。これからもそうだろう。
ツイッターではフォローする人を大幅に減らした。
『RikaTan(理科の探検)』誌、理科教育、教育、科学コミュニケーション、雑談…で、ぼくでもなんとかついて行ける人にした。