新学期が始まった。
ここのところ青春18切符の旅をしたりしていたが、その電車内やホテルでやっていた仕事の大部分は季刊理科の探検RikaTan誌のものだった。
収入的にはほとんど期待できなく、季刊理科の探検誌発行元の「株式会社SAMA企画」は年に数百万の赤字になるだろうと予想されている(来年度は黒字転換を目指したい)。それでも季刊理科の探検誌発行にぼくは向かう。
これまで5年間星の環会、文一総合出版が発行元になってくれたが、今後は発行は「株式会社SAMA企画」、販売は「株式会社文理」で季刊になる。
ぼくもツレも大変なのはわかっても挑戦する事にした。
また全国180人余のRikaTan委員が背中を押してくれた。
季刊RikaTan新委員の一言に支えられて、飛躍を目指したい。
http://d.hatena.ne.jp/samakita/20111117/1321516086
申し込みの際に添えられていた一言。
いい仲間と一緒に、チャレンジができることを嬉しく思う。
そうできるのはガキの頃からの理科好きの心に支えられているからだと思う。
次はあるところに書いた文章。
───────────────────────────
私は、小学生のころ、学校から帰るとランドセルを家に放り投げて、川や山に遊びに行ったものです。採った魚や貝、キノコなどは夕食のおかずになりました。地域でメンコやベーゴマにも興じた。経済的には貧しかったが、いつも毎日が輝いていました。「今日は何がおこるんだろう?」というわくわくとした好奇心をもって、日々を過ごしました。
冒険小説や未知の世界を解説する書物を読んでは想像をふくらませていた。学校の成績はひどいものだったが、探検心や冒険心をもっていたいたずら好きの子どもでした。
大人になっても好奇心をもっていたいという気持ちで、私は理科の教員になりました。
60歳を超えたというのに、今も、理科好きの心がうずき、私を駆り立てるものがあります。学生たちと実験をしたり、子どもたちに理科を指導したり、学生や先生方に理科の指導法を講演したりの毎日を送っています。さらに理科好きな大人を読者対象にする『RikaTan(理科の探検)』(文一総合出版)という雑誌の編集長をしています。
───────────────────────────
そう、ガキの心を持ち続けて収支決算をあまり考えずに乗り出したのだ。
でもまあ理科教育の仕事で稼いできたし、今も(RikaTan以外から)そこそこの収入がある。
RikaTan貧乏になっても暮らしていける。
それに季刊理科の探検誌だって赤字にならずに利益が出るかも知れない。
この1年は本当にチャレンジの年度だ。
ツイッター(@samakitakeo)に次を書いた。
───────────────────────────
来年度は東大駒場で理科教育法を担当する(非常勤)。そのときぼくはどうなっているのだろう。法政にいる、他大に異動、辞めて年金生活(+私設理科教育研究所)。そのどれもがあり得るかな。(ツレはもう余った人生だから好きにしようよって。)
───────────────────────────
2012年度が終わった後、ぼくは何をしているだろうか。
すべては「未知への探究」ではある。
季刊理科の探検(RikaTan)誌について知りたい事はここを見よう!
http://d.hatena.ne.jp/samakita/20120401/1333266852
季刊『RikaTan(理科の探検)』誌の委員募集!(締切2011年11月19日の夜まで)
http://d.hatena.ne.jp/samakita/20111116/1321400382
※すでに締め切っていますが今に追加募集しようかと思っています。
追加募集があったら是非応募したい人はぼくに連絡しておいてください。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
再掲… 「RikaTan貧乏」とは?
ツイッターやブログで「RikaTan貧乏」というワードが時々出てきます。この言葉についてまとまって書いたのは2009年の『RikaTan(理科の探検)』誌5月号でした。
そんなふうなRikaTan貧乏なら私も…という人がいることでしょう。しかし、いまは、RikaTan企画委員を募集していません。これから来年3月末まで普及活動をしてもう少し部数を増やしてから募集したいと思っています。どうしても、という人は連絡して下さい。
見出し…「RikaTan貧乏?いいや、RikaTan大尽だぞ」
最近、内輪のMLでRikaTan委員の一人が原稿執筆のための材料入手でお金がかかり、原稿料を差し引いても大きな赤字なので「完全にRikaTan貧乏です(涙)」と書き込みました。ぼくは“RikaTan貧乏”という言葉がぐっときました。
ぼくも大学の仕事以外では全体の仕事量を100とするとRikaTanで50程度をしめているのに、収入では大学以外からの収入100に対してRikaTanからは1程度です。
そのときからです、ぼくらの仲間の中で“RikaTan貧乏”という言葉が大流行。ぼくらの活動のキーワードになっています。
3月にはRikaTanの企画で、高尾山ムササビ観察会と多摩動物公園観察会をやったのですが、そこに北海道、青森、神戸からも参加した人たちがいます。
Iさんが言いました。「RikaTanは確かに深く関われば関わるほど収支のマイナスが大きくなっていく傾向がありますが(笑)、それにも関わらず、“RikaTan貧乏”なみなさんが、いきいきして楽しそうなのは、お金で計れないぐらい貴重な体験、RikaTanに関わっていなければ、一生できなかったような体験ができて、しかもその体験を共有している仲間と過ごす時間が楽しくてしょうがないからでしょうねえ。
私も当分“RikaTan貧乏”な日々が続きそうです。」と。
お金的にはRikaTan貧乏でも、本当は使ったお金の何倍もの精神的プラスを得ているのですから、“RikaTan大尽(だいじん)”なんですね。
今日も、お昼頃に「RikaTanの企画で“青木ヶ原樹海ツアー”をマイクロバス借り切りでやりますよ」と告知したら、なんと夕方には参加申込がバスの定員に達してしまいました。
RikaTan貧乏第一号の北海道のAさんも早速申し込できました。青森、京都、屋久島、北海道壮瞥からも参加申込がありました。
家族も一緒にRikaTan貧乏、もとへRikaTan大尽ならよいのですが、心配なのは、いろいろ出かけて“RikaTan家族崩壊”、さらには“RikaTan離婚”にならないかということ。そんな心配をするほど、RikaTanを舞台にいろいろなアクティビティが進められています。
そういう委員たちでつくっているRikaTanの内容にRikaTan大尽ぶりが反映されて、読者のみなさんにお裾分けができるように企画・編集をしていこうと思っています。
★『RikaTan(理科の探検)』誌 http://rikatan.com/ 2009年5月号「編集長コラム」から。