左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

寺田寅彦は「天災は忘れた頃来る」と書いたか?

寺田寅彦は「天災は忘れた頃来る」と書いたか?が拙編著『素顔の科学誌』東京書籍にある。
隅蔵さん執筆。
寺田の著作のどこにもない。
実は弟子中谷宇吉郎の勘違いがこの言葉を寺田のものとして定着させた。
「天災と国防」という随筆の中には、「天災はきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の顛覆を忘れた頃にそろそろ後車を引き出すようになる」という表現で同趣のことが書かれている。
寺田の没後の昭和15年頃、新聞に依頼されて書いた「天災」という短文の中で、中谷は「『天災は忘れた頃来る』という寅彦先生の言葉は、まさに千古の名言である」と書いた。
このとき中谷は、この言葉が寺田の書いたものの中にあるものと思いこんでいたそうだ。
その後、「天災は忘れた頃来る」は各所で引用されるようになった。
のちに戦争中、朝日新聞が一日一訓なる出版物を編集。
9月1日の分として「天災は忘れた頃来る」が採用されることになり、中谷が解説を頼まれ、同時に出所も示すことになった。
しかしどこにもない。
「天災と国防」の中に同じ意味のことがあるということで、予定通り掲載になった。
中谷がこの顛末を書いた随筆の結びには、「書かれたものには残っていないが、寅彦の言葉には違いない」と。寺田の思想を受け継ぎ血肉化した中谷だからこそ師弟のいわば共同作業を通して現代にまで残る言葉になったのだ。(以上)