倉嶋厚さんは理科の探検(RikaTan)誌にも連載してくれた人だ。
倉嶋厚『やまない雨はない 妻の死、うつ病、それから…』文藝春秋を再読開始。
妻ががんで入院後24日後に急逝。「後を追いたい」という衝動、それと「後悔の涙」の連続。幾度となくマンション屋上へ通うが最後の1歩が踏み出せない。ある日ついに柵を越え、跳んだ。
真上に飛び上がり元の場所に着地。精神神経科に入院。
初めての木枯らしは92年に喉頭がんの手術だった。それまでも辛いときは夜泣き。妻はC型肝炎。そして胆管細胞がん。「半年したら再婚してもいいわ。でもあなたの虚名に惹かれての人じゃダメよ」
出会い。私もシンパの活動をしていたが、彼女は中央気象台勤務の時レッドパージに。今後過激な行動はしないと誓約書を書けば人員整理から外すと言われたが書かずに去った。その後ろ姿は清楚で可憐に見えた。彼女は気象台から去ると同時に活動からも去った。
結婚して1年経たないうちに肺結核に。通算3年の病院生活。復職。子供のいない夫婦。
2人の足し算ではなく2人のかけ算で生きてきた。
妻の急逝後、生きる意欲を失った。食べても味がなくなった。気がついたら体重が16キロ減少。失禁することも。自殺願望。
エピローグはそれからの脱出、小春日和。
*前に書いたこと。
『倉嶋厚の人生気象学』中の「まず、その窓を開けたまえ −ある方からのお便りに返信−」
http://d.hatena.ne.jp/samakita/20160112/p1 …
心の病に悩んでいる人から「アドバイスを」というメールに返事。「軽鬱状態」にあり、毎日少しずつ返事を書いて約3カ月がかりで書き終えた。