左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

串田地震予知を信じて東京を逃げ出した人らがいた

 かつてぼくの知っている物理教育者らが串田嘉男氏の地震予知を信じ、大地震が来ると東京から逃げたことがあった。


 彼らは、岩石が破壊されるときに電磁波が発生する事実から、地震前に地表に静電気→電離層に影響→FM電波が電離層を反射。

 これで8割以上の確度での予知だとした。有馬朗人氏も仲間だったと思う。
 それで、「2003年9月16,17日前後にM7.2前後の地震南関東に起こる可能性がある」という串田地震予知を信じた。


 ガリレオ工房の本を読んでいて思い出した。


 それをややクールに見ていた人が当時次を書いている。
 http://www.geocities.jp/suzukitakeoypc/ypc186/ypc186.htm
 「ガリレオ工房は16日に予定していた例会を、この情報のために1週間ずらしたそうです。」


 しかし、2003年9月16,17日前後にM7.2前後の地震南関東に起こらなかった。


 串田予知はどうだったか。理科の探検(RikaTan)誌2017年4月号で上川瀬名さんは「メディアを賑わす「地震予知」のニセ科学性」を執筆。


 上川さんは早川正士氏の地震解析ラボ、村井俊二氏のMEGA地震予知木村政昭氏の地震の目を検討しているが串田氏についても言及。


串田嘉男
 地震予知研究の草分けとして有名な串田嘉男氏は、北海道南西沖地震(1993年)が起きたとき、地震の前にラジオ電波が乱れることを発見したと言っています。
 しかし串田氏は、その後に起きた兵庫県南部地震(1995年)、十勝沖地震(2003年)、中越地震(2004年)、中越沖地震(2007年)、岩手宮城内陸地震(2008年)、東北地方太平洋沖地震(2011年)などの数々の被害地震を、どれも予測できませんでした。

 串田氏は、著書『地震予報』(PHP新書)で、これらの地震を全て予測失敗したと明言していますので、間違いありません。
 また串田氏は、2012年からずっと「近畿でM7台の内陸地震がすぐにでも起きる」と警告し続けていますが、近畿ではなく熊本で地震が起きてしまいました。


 なお、気象庁が2005年に、串田氏の予測を入手して検証し、「M6以上の地震予測52件のうち的中は3件だけ」「防災情報としての有効性は認められない」と結論しています。(引用以上)”


 ぼくは物理教育者らが串田予知を信じたとき、余りにも騙されやすいことに愕然とした。そこには、RikaTan特集で菊池聡さんが述べている「否定への懐疑」があったのだろう。これは科学に詳しい人が嵌まりやすい考えだ。科学的に「可能性」は完全に否定できない。
 経験的に可能性を否定できないので正論とはいえるのだが行きすぎれば信奉の方向も促進されるのだ。
 風が吹けば桶屋が儲かるかのような論理の連鎖を単純に信じてしまったことになる。また科学を肯定すればするほどその信奉が強まるだろう。


 ツイッターに「串田氏はいつまで地震予報を続けるのか検証します。 」という傾きねじりまんぽ @dozugawa1さんがいることを知った。
 “傾きねじりまんぽ‏ @dozugawa1
 串田氏やアマチュア研究者も間接的被災(停電)にあっていながら、なぜ自分の無力さをしって予知をやめないのか不思議でありません。
 他の方法(M井氏、H川氏、N尾氏)などは、全て3.11以降「私の方法は正しい」と出てきた方ですから話にならないですね。”


 ぼくは、串田氏は、“前からの信者さんらがいてFAX情報にお金を払っているから生活のために続けているのかな?”と。


 上川瀬名 @Yokohama_Geoさんは当時の様子を教えてくれた。
 “上川瀬名 @Yokohama_Geo
 有馬さんは、阪神淡路大震災のときに田中真紀子・科技庁長官に「地震予知を何とかしろ」とプッシュされて、串田予知法になだれ込んでいったのですね。当時64歳。そのキッカケはともかく、その後はとにかく残念な印象。


 ついでに言っておくと、ぼくの中では、有馬朗人氏は「ゆとり教育」のときも非常に残念だったし、原発擁護過ぎて3.11以後も残念な人のままだ。


 “愛国獅獅@日本第一党‏ @motokazuchan1
 関東地方では太平洋プレート内やプレート境界で主に地震が起きていますが、近畿地方ではアムールプレートと北米プレートとが押し合って歪みを溜めています。
 そのような岩石に加わる圧力で電気が発生することは知られていても、それで地震予測が出来ないことを串田氏が「証明」してしまいました。