左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

左巻健男が若い頃に書いた「知的生産者は発信する」

※どこに書いたものか、わからなくなっているが、今から30年くらい前のことだろう。インターネットではなくパソコン通信が盛んだった。 

 

 自分は知的生産者?

 ぼくは,何十冊の本をつくってきただろう!
 主なものを何冊かあげろ,と言われたら,この2,3年でもざっと10冊はあがる.幸いなことに出たものはほとんど増刷を繰り返しているし,最近出たものも好評である.他に中学理科・高校化学の教科書編集委員(東京書籍)をしている.世に問うている知的生産物があるのだから,ぼくも知的生産者の端くれということだろう.
 ということで「知的生活術」を書く資格はありそうである.
 ぼくは「知的生活」は,やっぱり「ヒト」の問題にいきつくと思う.

 

 何か得意技を!

 何かしらの得意技を持って「○○のテーマだったら誰それ」と言われるようになることだ.たくさんの情報の中で光りをはなってはじめて,「商品価値を有する原稿が書けるのではないか」と雑誌や本などの原稿依頼がくることが多いようだ.
 得意技を持つには,その分野の学習はもちろしだが,問題意識をもって子どもたちと取り組むことが一番だ.
 情報を発信する相手は,ほとんどの場合同業者だ.だから,子どもたちと格闘したことだったら失敗の記録だって共感してもらえるように書くことができる.

 

 仕事は忙しい人に頼め!

 ぼくはよく「何時原稿を書いているんですか?」と質問をうける.「ほとんど学校ですませている」と答えると驚かれる.(どの学校でもぼくと同様にできるとは思えないが.)
 何か原稿を書くことを依頼すると「忙しくて駄目」と断られることが多い.本当に現場は忙しい.それは確かだ.そこに新しい仕事をプラスすれば,どこかで「手抜き」をしなくてはやっていけないかもしれない.雑誌に原稿を書いたり,本を出したからって格別教師としてエライわけではない.ぼくたちは,大学のように「業績」で評価されるわけではない.
 本を出してもミジメな実践しかできていない教師もいるかも知れない.ぼくも授業後反省してしまうことも多い.本を書かないでその分実践に力を入れたほうがよいかも知れないのだ.
 しかし,理科教育などの情報を発信してくれる人もいなければなるまい.
 ぼくは,本をつくることが「趣味」だから,誰かがやってくれるのを待つよりは,「こんな本があればいいのに!」という思いを持ったら,早速実行に移してしまうほうなのだ.
 学校の仕事はできるだけ勤務時間内に片づける.そのためには,仕事に軽重をつけて,かつテキパキと処理しなければならない.
 幸いなことに,ぼくは新任のときから8年間勤めた埼玉県大宮巾立春里中学校時代に学年集団から仕事の処理術を学ぶことができた.「何でもかんでも同じレベルで一所懸命やるというのではなく・・・ダラダラやらないで,4時半ごろには終えて,みんなで帰ったものだった.」(拙著『おもしろ理科授業入門』18~19頁)
 やったのは,教育についての議論である.そこで,ぼくは仕事を手早くやる癖がついた.そのポイントは「100%主義ではなく99%主義」というあたりであろうか.ときにはミスをして笑ってごまかしているが.

 

 発信することでネットワークができる

 人間関係下手のぼくは「会社員ではやっていけなくても教師なら何とかなるのではないか」と教師になった.
 ぼくは大学1年生のころ,工業高校学力劣等生出身としての劣等感のため級友たちと話すらできなかった.そのぼくが今では日本全国に友人・知り合いをたくさん持つようになった.ときには講演もする.
 誰しも自分の存在主張はしたい.「自分はここにいますよ」と.
 ぼくは,それをサークルニュースでやった.それから,サークルに実践レポートを持っていって叩いてもらった.そのとき気をつけたことがある.それは,「他人に読んでもらえる中身にしよう.読んでもらえるように文章もいきいきと書こう」ということだ.
 そうするには自分の理科授業を通り一遍のものではなく,少しは工夫したものにしなければならない.まずは実践の中身だ.教育界には形式的な文章が氾濫しているが,そんなものは書いた本人ぐらいしか読まないのだ.
 サークルニュースのための情報やおもしろ理科投業の情報がほしかったからいろいろなサークルに顔を出したものだ.本もよく読んだ.そうして,科学教育研究協議会埼玉支部はもちろん,千葉支部,東京支部の中心メンバーと顔見知りになった.
 毎年夏の科教協全国研究集会にも拙いながらも実践レポートをもって参加した.そのときには,勇気を出して全国の著名な実践家のみなさんに声をかけてお話するようにした.みなさん,ぼくが,『理科教室』誌にときどき実践記録などを書いていたお陰で,ぼくの名前を知っていてくれた.
 ぼくの発行していたサークルニュースを見て「教師になったばかりなのによくやっ
ている」ということで『理科教室J誌の編集委員に推され,その後約10年間勤めることになった.(最近,中村敏弘著「教育実践検討サークル」国土社)を読んだ.昔も今もすぐれた教師たらんとする若者は,地道に学習しつつ発信していたということがよくわかる.)
 今では,自分の存在主張をずるのにサークルや研究同体の場だけではなく,パソコン通信やインターネットでも可能である.ぼくは,パソコン通信ニフティサーブ)の「化学の広場」の「教育」会議室(FCHEMT2番)や「日常」会議室(FCHEMH6番)「教育実践専門館」の「理科の部屋」会議室(FKYOIKUS5番)に出入りして,たくさんの人と知り合い)になっている.
 そこで「世の中には優れた人たちがたくさんいる」と実感している.何人かとは一緒に本を書いた.今後,電子ネットワークはますます重要になるだろう.これからは,ぼくはこれを利用して本づくりをしようと思っている.