左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

オーセンティックな知を学校で教える

 オーセンティックな知を学校で教える
    H14年1月 某フォーラムでの講演の一部
    左巻健男(当時京都工芸繊維大学教授)


 私が最近、このオーセンティックな知というのを言っております。これは本物の、あるいは日本語では真正というように訳します。今はこのオーセンティックあるいは、その本物性ということで、オーセンティシティという言葉がありますが、これを考えなくてはいけない。それはどういうことかというと、学校の中だけで役立つ知識というものをかなり学校教育というのは、やっています。つまり学校の外に出たら役に立たない。よく『生きる力』などということが言われますけれども、本当にそれは学校の中では生きる力になる。それでもっていい学校に進めるとか、中間、期末試験の点数が取れるとか、そういう点では学校の中では役に立つ。しかしそれでいったん外に出て、自分が学んだことと自分との関わりというものを意識し始めようとすると、学校で学んだことというのは学校に置いてきちゃっている。僕はこういうのが今のいちばんの問題ではないかと。
 つまり子どもたちは何のために勉強するのか。これは本来的な子どもの内的なものというのが浮上して出てきているのに対して、学校教育はやはりまだ応えられていないのではないかということであります。僕は最近はこの知のオーセンティシティ、知の真正性ということと、知の総合化ということを一応キャッチフレーズに話をしております。
 本物の知というのは学校から出ても使えるものです。ですから、理科で学んだこと、社会科で学んだこと、国語で学んだこと。国語で学んだことというのは何か。本物の知というのはリアルな課題に適用が可能です。現実的に意味ある人生のリテラシーに関わる知です。
 私は専門が理科教育でありますので、基盤の自然科学、社会科だったら社会科学とかいろいろあると思いますが、その知をコアにして教えていることがどのくらい現実の問題に触手を延ばしてもっと絡んでいるかどうか。
 僕はそれぞれの教科そのものだって総合だと実は思うのです。教科が何かに分断された蛸壺のようなことを教えているわけでないです。だいたい理科といっても自然科学そのものをそのまま教えているわけではないです。そこには自然科学を例えば社会との関連で見るとかというのもかなり入っています。
 そうすると、実は理科なら理科という科目、コアとしては自然科学がありますけれども、実は触手を伸ばして社会科と結び付いたり、国語と結び付いたり、算数、数学と結び付いたり、様々な教科と結び付いています。その結び付きというものを理科の教員は意識しなくてはいけない。逆に、社会化の教員が何かを教えるときに理科の教育ともやはり触手を絡ませたい。
 ですから、僕は一つひとつの教科でさえも総合教育なのだ、総合学習なのだというふうに思います。それが生活ともつながっています。産業ともつながっています。いちばん重要なのは「人生とつながっていますと言えるようなことを教えていますか」ということです。