左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

風船爆弾 ジェット気流が運んだ日本軍の秘密兵器

by左巻健男『面白くて眠れなくなる地学』PHP文庫 2021

ジェット気流が運んだ秘密兵器

・日本軍の秘密兵器
 第二次世界大戦中、敗色こくなった日本軍が採用した戦術の一つに「風船爆弾」があります。アメリカ本土を攻撃するため、気球(風船)に爆弾をつり下げ、ジェット気流(偏西風の流れ)に乗せて、数日かけて飛ばす無人気球兵器でした。「風船爆弾」は、日本軍にとって、アメリカ国内の攪乱をねらった秘密兵器だったのです。世界でも例を見ないこの兵器は、後に「ふ号」兵器と呼ばれました。
 1944年の秋から1945年の春にかけて、約9000個が放たれました。そのうち、数百個がアメリカ本土にたどり着いたとされています。
 秋から冬にかけて日本上空を強い西風が吹くことは、当時から知られていました。現在のつくば市にあたる場所に高層気象台があり、気象台の台長であった大石和三郎らは、軍部の要請を受けて不眠不休で上空の大気の流れを研究しました。
 その結果、日本の上空から北アメリカ大陸の上空に向けて、上図のように2種類の経路で冬期に時速200キロメートルを超える西風が吹いていることを確認しました。
 この西風を利用して、風船爆弾アメリカ本土を攻撃する作戦、「ふ号作戦」が計画されたのです。

風船爆弾放流地跡の碑文
 今も、風船爆弾放流地跡の碑が、茨城県北茨城市大津町、五浦の海岸線沿いに建っています。 碑文には、風船爆弾がどのようなものだったかが詳しく書かれています。(碑文に句読点とルビを加えています。)
 “この辺一帯は、昭和19年11月から昭和20年4月の間、アメリカ本土に向けて風船爆弾を放流させた地です。
 背後の低い丘と丘にはさまれ、現在は田んぼに復元されている幾つもの沢に、放球台や兵舎、倉庫、水素タンクなどが設置されていました。
 これは極秘の「ふ」号作戦といわれ、放流地はほかに福島県勿来関麓と千葉県一の宮海岸、あわせて3か所でしたが、大本営直属の部隊本部はこの地にあり、作戦の中心でした。
 晩秋から冬、太平洋の上空8千メートルから1万2千メートルの亜成層圏に最大秒速70メートルの偏西風が吹きます。いわゆるジェット気流です。
 風船爆弾は50時間前後でアメリカに着きます。
 精密な電気装置で爆弾と焼夷弾を投下したのち、和紙とコンニャクのりで作った直径10メートルの気球部は自動的に燃焼する仕掛けでした。
 第二次大戦中に日本本土から1万キロメートルかなたのアメリカ合衆国へ、超長距離爆撃を実行したのはこれだけであり、世界史的にも珍しい事実として記録されるようになりました。
 約9千個放流し 3百個前後が米国到達。
 アメリカ側の被害は僅少でしたが、山火事を起したほか、送電線を故障させ原子爆弾製造を3日間遅らせた という出来事もあとでわかりました。
 オレゴン州には風船爆弾による6人の死亡者の記念碑が建っています。
 ワシントンの博物館には不発で落下した風船の1個が今も展示され、深い関心の的になっています。
 しかし戦争はむなしく、はかないものです。
 もう二度とくり返さないように努めましょう。
 この地で爆発事故のため、風船爆弾攻撃の日に、3人が戦死したことも銘記すべきでしょう。
 永遠の歴史の片隅で人目を偲び、いぶし銀のようにささやかに光る夢の跡です。

 昭和59年11月25日建之”

・本体は和紙をコンニャク糊で貼り合わせた
 気球の球皮は、楮(こうぞ)を原料とした和紙を、コンニャクを原料とした糊で5層重ねて貼り合わせたものが使われました。
 最もつらく、手間がかかり、緻密さが要求される貼り合わせの作業に動員されたのは、女子学生たちや女子挺身隊でした。
 当時、コンニャクは食用には回らず、おでんのネタに使うなどということはできなかったといいます。

・飛び続けるために必要なもの
 偏西風が確認されたからといって、気密性の高い気球に水素を入れ、爆弾をつるして空に上げればアメリカに届く、という単純なものではありません。
 気球を遠くまで確実に飛ばすには、夜をどうやって乗り切るかが重要でした。夜になると、上空は気温が低下して気球が縮み、浮力が小さくなります。水素も、少しずつもれていきます。
 そこで、風船爆弾には、浮力が小さくなったら自動的におもりを落とし、高度を維持する装置がつけられました。気圧計で気圧変化を検知すると歯車1個分ずつ回転板がまわり、一定以上の高度が下がる(気圧が上がる)と電気スイッチが入り、砂のおもり(バラスト砂)のひもを焼き切って落とすしくみです。
 アメリカがもっとも恐れたのは、風船爆弾から伝染性の細菌などがばらまかれることでした。そこで、地質学者にバラスト砂の分析を依頼し、砂に含まれている鉱物の割合から、砂の採取地を日本の5カ所にしぼりこみました。
 アメリカは偵察機を飛ばし、ついに放流地を探り当てます。そのため、戦争末期には、風船爆弾は上昇中にほとんどアメリカの戦闘機に打ち落とされてしまいました。

・平和へ向けて
 1945年5月5日、アメリカのオレゴン州で、ミッチェル牧師夫妻と日曜学校の子どもたち5人の計7人が、森にピクニックにでかけました、夫のミッチェル牧師が車を広場に止めようとしていたとき、6人は歩き出していました、子どもの一人が、木に引っかかっていた不発の風船爆弾を触れてしまいました。地面が揺れるほどの大音響とともに、大爆発によって6人が亡くなるという事故がありました。
 当時、アメリカは、完全な報道規制をしいていたため、事故後、ずいぶん年数が経ってから日本に伝わりました。戦時中に球皮を貼り合わせる作業に従事していた元女子学生たちは、その事故を知って心を痛め、アメリカに慰霊に訪れました。
 現地を訪れた彼女たちに、アメリカの遺族は「お互いに許しあうことが、平和に通じる」という言葉をかけてくれたということです。

 

https://www.amazon.co.jp/%E9%9D%A2%E7%99%BD%E3%81%8F%E3%81%A6%E7%9C%A0%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B%E5%9C%B0%E5%AD%A6-PHP%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B7%A6%E5%B7%BB-%E5%81%A5%E7%94%B7/dp/4569901743
面白くて眠れなくなる地学 (PHP文庫) – 左巻健男 2021/9/10