左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

原稿執筆の継続〜新任から8年間で学んだこと〜

 中高教諭の時の話。
 ぼくはよく「何時原稿を書いているんですか?」と質問をうけた。「ほとんど学校ですませている」と答えると驚かれる。
 (どの学校でもぼくと同様にできるとは思えないが。化学教官室にはぼくと助手の人だけで17時以降は助手の人もいないのでワープロやパソコンに向かっていた。)

当時、パソコンがまだ自宅になかった。家には仕事を持ち込みたくない(家では読書をする)。資料もほとんど学校においてあるからである。結局、すき問の時間にちょこちょこ
と書いていくことと集中して書く時間をとることを、うまく使い分けているつもりである。しかし、そうは言っても、ぎりぎりまで取りかからないことが多いのはいっものことだ。だから、原稿執筆で、締切りが迫ってくると休みの日にも学校に行くこともある。


 何か原稿を書くことを依頼すると「忙しくて駄目」と断わられることが多い。本当に現場は忙しい。それは確かだ。そこに新しい仕事をプラスすれば、どこかで「手抜き」をしなくてはやっていけないかもしれない。雑誌に原稿を書いたり、本を出したからって格別教師としてエライわけではない。ぼくたちは、大学のように「業績」で評価されるわけではない。


 本を出してもミジメな実践しかできていない教師もいるかもしれない。ぼくも授業後反省してしまうことも多い。本を書かないでその分実践に力を入れたほうがよいかもしれないのだ。


 しかし、理科教育などの情報を発信してくれる人もいなければなるまい。ぼくは、本をつくることが「趣味」だから、誰かがやってくれるのを待つよりは、こんな本があればいいのに!」という思いを持ったら、早速実行に移してしまうほうなのだ。


 学校の仕事はできるだけ勤務時間内に片づける。そのためには、仕事に軽重をつけて、かつテキパキと処理しなければならない。「時間がない」のではなくて「時間はつくる気があればつくれる」と思っている。


 幸いなことに、ぼくは新任のときから8年間勤めた埼玉県大宮市立春里中学校時代に学年集団から仕事の処理術を学ぶことができた。
 「何でもかんでも同じレベルで一所懸命やるというのではなく…ダラダラやらないで、17時ごろには終えて、みんなで帰ったものだった。」(拙著『おもしろ理科授業入門』18〜19頁)
 そこで、ぼくは仕事を手早くやる癖がついた。それも我ながら大変な集中力で。それでも
文書だったら、誤字・脱字が1,2か所あるかないかである。そのポイントは「100%主義ではなく85%主義」というあたりであろうか。(ときにはミスをして笑ってごまかしていたが。)


 学校の仕事はどこかで妥協して打ち切らない限り時間的に無限とも言える。問題のない完璧なできあがりを100%とすると、1時間かけると95%仕上がる仕事があったとする。これを2時間かけると98%に、3時間かけると99%に、5時間かけると100%になったとする。多くの教師は、そのまじめさゆえに3時間、5時間かけてしまうようだ。しかし、時間をかけるほど「時間と仕事の密度」から見た能率は下がっていくものだ。
 
 
 学年集団でやったのは、教育についての議論である。そんな職場、そんな学年集団で過ごせたことは実にラッキーだったと思える。