法政の定年は65歳。元気で、教授会で認められれば68歳、さらに70歳まで。
ぼくは、65歳までは勤めようと思っているが、その後はフリーになろうと思って
いる。
定年まで勤めようと思っていた東大附属にいたら今年の3月で終わりのはずだった
ので65歳まで勤務というのも(東大附属時代からすれば)想定外だった。しかし、
65歳まで勤務できるのは嬉しい。年金空白の年がなく、年金と貯蓄で暮らせると
思うからだ。いま、辞めても十分暮らしていけるのだが、数年前から65歳で辞める
と思ってしまったので、仕事でやりたいことをし尽くしていない気持ちがある。仕事
といっても、ぼくの場合はほぼ著作限定なのだが。この5年間で思い残すことなく
仕事をしてその後は悠々自適に暮らせればと思う。
問題は、この5年間生きられるかどうか。
最近、疲れやすくなった気がする。病に倒れるかもしれない。
それに仕事への必死さもなくなった。単著(新書)を書かなくてはならないのだが、
合間にちょこちょこと雑誌の編集・執筆や本の監修の仕事などが入ったりしてなかな
か取り掛かれない。若いときなら既に書き終わっているだろうに。(明日から書き始
めよう。資料はそろえてあるから。)
…
60歳になったというのにいまもガキのような気持ちで、国内外放浪をしたいと
思っている。
皆既日食は、当日名古屋からトカラ列島上空に飛んでチャーター飛行機の窓から
見ることにした。当日羽田に戻る。
夏には、どこか外国に行きたい。ブータン、ネパール、トンガ王国、インドあたり
が候補地だ。久しぶりに北インドのレー/ラダックはおもしろいかも、と思っている。
旅のことを考えるだけでわくわくした気持ちになる。
大学教員の仕事を辞めればもっと自由に旅ができる。(でも仕事を辞める寂しさも
あるのだろうな。)
…
東大附属の教諭から京都工芸繊維大学教授へも思ってみなかった転身だった。
同志社女子大学教授で小学校理科も専門に、というのもそうだ。
いまの法政大学教授の職も思っても見なかった。
今後も、もっとおもしろい、思ってもみなかった転身があったりして…。そうは、
幸運は転がっていないだろうな。
実は、ある時期、強く引っぱられたら行こうと決意していた某大学がある。東京か
ら離れるし、某大学での仕事がいまより忙しくなるだろうしするから、ちょっと断り
の返事をしたら「そこにいたほうがよい」という返事。それが「いや、こちらに来て
下さい!」と言われたら、そのとき決意してそちらに行くことにしたと思う。
…
あと5年という区切りの間に、どんなことがおこるのか。
また某大学のような機会があったらどうか強く引っぱって欲しい。(^_^)
東京はぼくにはホッとする場所だが、東京にいなくても、いまは何でもできる条件
があるように思う。