左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

左巻健男の原点は工業高校2年生になったばかりの春の決意(その3)【完結編】

 思えば高2の春に「化学者になろう!」と決意して勉強を始め、ゼロから高3の数学(極限・微分積分)が少しずつわかってきていた。
 高3の1学期中間試験が近づいてきたとき、少し勉強の習慣ができてきていたぼくは、試験勉強をした。もしかしたら1日に2,3時間でも試験前に勉強をしたのは初めてのことかも知れない。授業も高1高2のときとは格段に違っていた。高1高2の数学がまったくといっていいほどわからなかったときとは違ってわかるのだ。


 ガリ版印刷をしてクラスの人たちに「数学の試験対策」のポイント・解き方をまとめたプリントをつくって配ったのは、数学がわかってきたことの嬉しさからかも知れない。
 よかったのは、そのプリントを「おい、左巻!なんだよ!これ」といいながらもみんなが受け取ってくれたことだ。クラスの中で、いるかいないかわからない影の薄い存在で、勉強もできない、運動能力も弱い、ひょろひょろしたぼくが何をやろうとしているのか?「あの左巻が数学だってよ!」という気持ちだったろう。


 次の日の朝、クラスはちょっと雰囲気が違っていた。
 「昨日の数学のプリント、すごくわかりやすかったぞ。」読んでくれた何人かが言った。「本当かよ」と言う声。
 次の日、プリントを褒めてくれた声がさらに増えた。「期末もつくってくれよ!」


 ぼくが苦労してやってきたことを元につくったプリント。感謝の声に、ぼくは大いなる達成感を覚えた。「ぼくでも役に立てることがあるんだ!」 社会的意義のある仕事をすることの喜びを知った。
 その瞬間、「数学の教員になろうかな」と思った。数学で落ちこぼれていたぼくが、ゼロから数学を独習して少しわかってきた…そんな経験をもった人が数学を教えた方がいいのではないか。
 しかし、ぼくはすぐに本当の現実を知っていた。工業高等学校で数学が少しばかりできても大学受験の数学には未だ歯が立たなかった。模試を受けに行っても5題あったら、小問集合の1番が何割かできるだけだった。「やっぱり、化学へ行こう!」と思った。


 次々と試験が採点されて戻ってきた。どの教科も高1高2のときと比べて点数が高くなっていた。「今回は成績がいいぞ」と思った。
 ある日の朝のショートホームルーム。
 担任の小川先生は、「昨日は成績会議だった。ぼくは長いこと教員をやっているが生徒がやっと自分の力を出したのが嬉しかった。ある生徒が成績が1番になった。他の先生方から“不正行為があったのではないか”と言われたが否定した。」
 ぼくは、「あー、それはぼくのことだ…。」とわかった。


 これがぼくの原点だった。
 その後いろいろなことがあって、理学部化学科に進学できずに、教育学部中学理科課程に進学し、そこで物理化学教室に属し、さらに大学院で物理化学講座に属した。
 化学者の夢は挫折したが、化学教育、理科教育へ方向転換してから、中学校理科教員→中・高等学校理科教員→大学教員と理科教育を専門に今まで来た。
 講演でぼくはときどき「教員になったとき、教卓の向こう、生徒側にかつてのぼくがいるとして理科授業をやってきた。好奇心があるのに学力的に落ちこぼれてわからないので授業が苦痛で、教科書やノートの余白にマンガばかり描いていたぼくでも楽しくわかるような授業がしたいと。」と言っている。


前々回:2010-06-19
 左巻健男の原点は工業高校2年生になったばかりの春の決意(その1)
 http://d.hatena.ne.jp/samakita/20100619/1276919040
前回:2010-07-09
 左巻健男の原点は工業高校2年生になったばかりの春の決意(その2)
 http://d.hatena.ne.jp/samakita/20100709/1278640989