左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

学習指導要領が試案だった頃の精神を(『理数力崩壊』日本実業出版社に書いた一部)

 元々学習指導要領は、今のように強い拘束性をもっていたのではなかった。


 第二次大戦後、わが国に新しい教育制度をつくろうと文部省内に教科課程改正準備委員会が発足して教育課程改革の作業をすすめた。その中で、各教科別の学習指導要領の作成もすすめられた。1947年3月には、学習指導要領・一般編 (試案) が刊行された。
 その際、アメリカの各州が独自につくっているコース・オブ・スタディーCourse of Studyなどを参考にした。
 (試案)とついたのは、「これまでの教師用書のように,一つの動かすことのできない道をきわめて,それを示そうとするような目的でつくられたものではない。 ……教科課程をどんなふうに生かして行くかを教師自身が自分で研究して行く手びきとして書かれたものである」からである。一般編の「下の方から、みんなの力で、いろいろとつくりあげていく」というように戦争以前と戦争中の教育の強い反省が、そこにはあった。


 当初は、教育課程は、地域や学校単位で自主的につくるべきもの、とされたのである。法的拘束性など考えてもいなかった。
 だから、当時、各地域や学校ごとに、さまざまな教育プランがつくられた。


 しかし、1950年代後半から学習指導要領の性格は大きく変化した。改訂された学習指導要領には「試案」の表示がなくなった。
 以後、学習指導要領は、作成主体は文部省にあると明記されて、順守すべき性格をもたされたのである。


 文部科学省は、これからは随時見直すと言っているが、これまでは基本的に約10年間にわたって学習指導要領で、わが国の小学校から高等学校までの教育が強く規定されてきた。「ゆとり教育」も、学習指導要領によって1980年から、わが国の教育のメインストリームになってきたのである。


 この試案の精神に、学習指導要領を戻らせることはできないだろうか。
 そして試案は、一部の者の密室作業でつくるのでなく、国民各層に投げかけてつくっていくのである。余裕をもっった期間を設定してである。
 少なくても、国公立、私立を問わず、教師一人一人に試案を作成するプロセスに参加してもらう。教師だけではない、さまざまな個人やグループからの意見を寄せてもらうようにする。教育を国の未来構想と合わせて考えていく国民規模の一大運動として試案をつくっていくのだ。
 教育学の専門家の力量も大いに試されることになるだろう。
 自分の教育課程として、それぞれ国民一人一人が受け止めたら、権力的に上から押さえ込むことをしないでも、教師たちはその本来の優秀性を発揮して、目の前の子どもたちに合った、地域に合った教育課程をつくり、いきいきと教育に取り組んでいくことだろう。