左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

『たのしい授業』2018年5月号を読んでちょっと一言

 『たのしい授業』2018年5月号の「マグネシウムが燃えても重さは増える?」を読んだ。鉄や銅では燃やした後重さが増えるがマグネシウムでは?と。

 

 この教師が(あるいは子どもが)甘いのは、「マグネシウムは燃えるのだろうか」で、燃やすと激しい光と煙を出して、燃えた後はしわしわの紙のようになる、ということをしっかり見ていないことだ。その燃焼系で、系から煙が出ている。この煙は酸化マグネシウムだ。

 

 水溶液中に「にごり」があったらそれは原子・分子の莫大な数の集団だ。同様に「煙」もそうだ。
 この記事の授業では幸い重くなったが、煙として出た量によっては軽くなる。

 

 マグネシウムに酸素がつけ加わることと煙として出ていくバランスの問題なのだ。
 そこを見なければならないのに机上の論理「酸素がくっついたから重くなるのが科学の論理だ」の授業になっている。
 子どもの感想に煙への言及がないのは残念だった。

 

 なお、この号の故板倉聖宣さんの「科学とヒューマニズムと実験」で、ぼくがおもしろかったところがある。
 “「板倉さんは、あれで体制にのっていたらすごい成果を上げるのになあ」なんていう、とんでもない人がいます。”のくだりはおもしろい。つまり、権力の御用学者になっていればもっとすごいことになるのにという人がいたのです。
 板倉さんはそれに対し、“私はもともと反体制的であったから、文部省の方針であろうと組合の方針であろうと、「それが正しいという証拠はあるのか」と考えざるをえない。それで発想が自由になって、いろいろなことが考えられた。私が反体制的にものを考えなかったら東大出のただの人です。局長とか、あるいは所長くらいになっていたかもしれないけれども、せいぜいその程度です。”

 

【追記1】

 この記事がFBの仮説実験授業関係で紹介されていて、コメントに「阿部 とくしょう」という人が次のように述べている。

 

 「左巻さんのことを板倉さんは生前こんなことを言っていました。「彼は,何も研究しない。ぼくのファンだとは言うけど,仮説実験授業はキライだと言っている。」この記事にも,仮説実験授業キライ感と板倉聖宣ファン感がみごとに出ています。」

 

 故人が語っていたということならいくらでも何でも書けてしまうよね。まあ仮説実験授業の信者のレベルがよくわかる揶揄の仕方だなw。

 また、板倉さんが本当にそう言ったとするなら、板倉さんに陰で言わないで本人に言ってほしかったと思った。陰でこそこそは板倉さんに似つかわしくない。(本当にそんなことを言ったのかな…。)

 

 考えてほしい指摘をしたことが「キライ感」になるというのは考えが狭すぎる。指摘されたら問題点の改善策を考えるべきではなかろうか。このコメントにその科学性のレベルがよく出ているかなw。

 なお、ぼくは何度か板倉さんと語ったことがあるが、「何も研究していない」と言われたことはない。「目立ちすぎる」とは言われたがw。

 

【追記2】

 『たのしい授業』誌のこの号の「はみ出し」には科学的に可笑しなのがあるなあ。104p~の「指を切ると痛いのは酸素が触れるから」は可笑しいと思う。27p~の「花粉を水に変えるマスク」の話も科学的には甘すぎる(このハイドロ銀チタンなるものについてはこのブログで扱っているので見てほしい)。

 まあ、適当に載せているんだろうけど。

 

【追記3】

 仮説の本・雑誌が偉いのは発行部数が明記してあること。この5月号は「4000部」とあった。近くに2016年9月号があったので見たら「4700部」だった。以前は万の単位だったと記憶。

 厳しいなあ。

 『理科の探検(RikaTan)』誌は、ずっと多いが、2016年と比べて発行部数は変わっていない。実売部数は幅がある。

 RikaTan誌はぼくの定年と同時に休刊か不定期発行に移行する予定だ。販売元の文理(学研グループ)から「もったいない」と言われるが、そう言われるうちにやめておこうと思った。

 『たのしい授業』誌はどうしていくのかな。RikaTan誌が出ている間は、相互広告して応援しているつもりだ。