左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

お尻が痛いよー(自転車で京都→東京の途中です!)

○4月29日、京田辺同志社女子大学で置いてあったものを整理。その後、置いてあった自転車(サイクリング車)で京都駅まで向かいました。途中で川にヌートリアを発見。カメラに収めました。
 夜はオフ会。
○4月30日。岐阜まで距離があるので京都を7時10分に出発。
 19時頃岐阜駅付近につきました
 食事や休憩で2時間として自転車に10時間ほど乗っていたことになります。
 道に迷ったりしてすんなりは行けませんでした。
 夜はオフ会。
○5月1日。岐阜から名古屋なので楽勝。出発も9時半とゆっくり、途中昼寝をしたり、鰻料理の店でゆっくり「二重丼」を食べました。
 名古屋には15時ころついた。名城大学附属高校の近くを通ったので、寄ってIさんに挨拶と思ったのですが、教室を見ると校内は未だ授業中のようでしたのでホテルへ。
 夜はオフ会。
○5月2日。いま、知立(ちりゅう)の松並木で休憩中。
 メールを見たら、友人からRikaTan1月号の編集前記を読んだ感想がありました。
 「(RikaTan誌)の1月号の〔編集前記〕“本号が出る頃、ぼくはネパールの空の下で休養中”を、今、10時のお茶で妻に読んで聞かせました。
 妻の第一声、「あら、左巻さんて意外にナイーブなのね!」でした。
「そうだよ、一見イキガッテいるが、内面はみんなそれぞれ、悩みの一つや二つを持っているのだよ・・」と返しましたが。僕の正直な感想は、とてもさわやかな文だと思います。」

 それで次にその原稿をあげておきたいと思います。(掲載文は少し変更があるかも。)
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 本号が出る頃、ぼくはネパールの空の下で休養中

 編集長 左巻 健男

 最近、あることで気が重い日々を送っていた。よかれと思ってやったことが自
分にマイナスになって帰ってくる。もがけばもがくほど状況は悪化していく。ネ
ガティブなループにはまってしまったようだ。そういうときは仕事への熱意も失
せる。本誌編集長の任務も重荷になる。
 でもよく考えたら、今を最悪の状況と思っていたが、本当に最悪だろうか、と
疑問がわいた。小さな村の中でいくら理不尽で辛い思いをしたとしても、ぼくが
生きているのはその村の中だけではない。いつだって村から抜け出ることもでき
る。最悪の状況の一つは地震のような自然災害だろう。そう思うと、こんなつま
らないことに悩むのは、もっと最悪の状況に身を置いている人に失礼だと思うよ
うになった。

 でも時には悩むことが必要だと思った。ぼくは、これからどう生きていくかと
いうよりどう死ぬかを考える時期にさしかかっている。自分が最悪の状況と思っ
た出来事もそんな人生を考えるきっかけになった。
 ツレアイは今年度で退職だが、彼女の希望は南の島への移住だ。自宅は今のま
までも年に半分くらいは南の島で暮らしたいという希望である。ツレアイの希望
を聞いて、ぼくも南の島を調べ、ブログなどで移住者の暮らしを読み、ツレアイ
と移住を語り合った。そんなことで辛い気持ちを振り切っていた。南の島への移
住は数年後には実現するかも知れない。それまでに何度かいくつかの島で短期で
も暮らしてみることにしよう。
 本誌がそのときも続いていたとしたら、南の島で、海が見えるテラスで打った
原稿を送ることになるかも知れない。

 本号が出る頃、ぼくはネパールで冬休みを過ごしている予定だ。ネパールに冬
に行くというと「寒いでしょ」と言われるが、実際は温暖だ。乾期なのでヒマラ
ヤの山々がよく見えると思う。久しぶりのネパールの旅にちょっとわくわくして
いる。
 2月や3月には屋久島や上に書いた南の島の候補の西表島久米島などにも遊び
に行くことだろう。

 悩んでいるとき一番支えてくれたのはツレアイであり友人たちだった。
 人は、そういう人たちの存在があるから幸せに生きていけるのだな。
 『RikaTan(理科の探検)』誌も、そういう人たちの支えで発行できている。
 そして大自然はいつも心をいやしてくれる。