『理系の子』文藝春秋の書評
左巻健男です。時事通信社から依頼されて書評を書いていたことを思いだしました。その一次原稿が次でした。(新聞に掲載の折りには表現を少し手直しされていたと思います。)
何事でもトップグループの一員になる人の背後には様々な物語があることだろう。芸術やスポーツではその物語が伝説化している場合も多い。では、地味な、一般の人がとっつきにくい科学の分野ではどうなのだろうか。
しかも、高等学校までの理科教科書に出てくるような科学者ではなく高校生だったら。 米国で開催されているインテル国際学生科学フェアという、高校生の自由研究を競う科学オリンピックがある。各地の科学フェアを勝ち抜いてきた高校生千五百人以上が自分のブースで色々なタイプの審査員や一般客を前に丁々発止とやりとりする。入賞者は十七分野の各四位以上と後援の企業や学術団体の受賞者。狭き門だ。さらに最優秀科学賞があり、さらに受賞者の頂点として三人しか受賞しない、青年科学賞がある。優秀な成績ならさまざまな賞金や大学の奨学金を受け取ることができる。
本書には十三組の少年少女たちが登場する。たくさんの一般客が群がった原子核融合炉。それを2年がかりで作り上げた少年は十四歳。彼のような科学オタクだけではない。まさに自分の周りから問題を設定し探究していった結果の出場者も多い。貧しい家で廃品からソーラーシステムを作り上げた少年、自分がハンセン氏病に感染したことで治療後もらい菌は体内に残存するのかを徹底的に調べた少女、自閉症をもつ従妹のために画期的な教育プログラムを開発した少女。どれも、読みながら涙腺が緩くなるような物語だ。
小さい頃から女優になる道を進んでいた科学嫌いの少女は、事情でとらざるを得なかった実験中心の理科授業でミツバチに興味をもち、その大量死・大量失踪(蜂群崩壊症候群)について仮説を立て調べ上げていった。
その過程で彼女は女優への道ではない進路を選ぶ。
平均的には科学の学力がわが国より低い米国だが、「科学ってカッコいい」と思い、探究心を持続する高校生たちがいる。
わが国でもこのような熱い物語が続々生まれる条件が作れないものだろうか。