左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

2つのノーベル賞を受賞したポーリング博士のメガビタミン療法

○サプリ・健康食品問題の旗手の1人小内亨さんの回顧

 私は、『RikaTan(理科の探検)』誌という大人の科学好きに向けた雑誌の編集長をしています。

 2010年のことですが、サプリ・健康食品問題で活躍する1人小内亨医師に、新しく「健康情報を科学的に読み解く」という連載を引き受けて貰いました。

 その連載第1回目は、次の文章から始まりました。
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 今でこそ私はサプリメントに対して批判的な立場にいますが、30年前にはサプリメントにはまっていたことがありました。30年前といえばサプリメントのサの字もないときでしたから、私はさしずめサプリメント利用者のはしりであったともいえるでしょう。

 医学生の頃、ライナス・ポーリング博士の著書『ビタミンCとかぜ、インフルエンザ』(共立出版 1977)に触発され、私はせっせと毎日ビタミンCをとっていたのでした。博士は、その本の中でメガビタミン療法を提唱し、人はより多くのビタミンを摂取すべきだと主張していました。

 ポーリング博士はノーベル化学賞と平和賞の2つのノーベル賞を取った研究者としてきわめて有名な学者です。当時1介の医学生だった私が、彼の仮説を信奉したとしても不思議ではなかったでしょう。博士の主張をきっかけに米国でのサプリメントブームが始まったともいわれています。その後、米国のサプリメントブームは日本に飛び火し、今や日本でもサプリメントは1般的なものとなりました。

 しかし、現在私はサプリメントどころかビタミンCさえも摂取していません。サプリメントのことを知れば知る程、摂取する気が失せてしまったのです。
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 ポーリング(1901~94)は、アメリカの物理化学者です。1931年カリフォルニア工業大学教授、以後カリフォルニア大学を経て、スタンフォード大学教授となりました。
 ポーリングの業績の最大のものは、量子力学を大胆に化学に導入し化学結合論の体系的構成です。炭素原子価の正4面体方向性に関する混成軌道の概念、ベンゼンなどの芳香族化合物の特性を共鳴概念で説明するのに成功、これらの成果が名著『化学結合論』(1939)にまとめられました。
 1954年に構造化学への貢献でノーベル化学賞を受賞。さらに戦後、原爆禁止、核実験反対署名運動などで平和運動に積極的に取り組み、1962年ノーベル平和賞を受賞しました。


 私も彼の『一般化学』や『化学結合論』を学びました。

 小内さんは、その彼が提唱するメガビタミン療法に医学生のころにはまっていたというのです。

○ポーリング博士はメガビタミン療法にはまった!

 以下はポールオフィット著 ナカイサヤカ訳『代替医療の光と闇 魔法を信じるかい?』(地人書館 2015)をもとにしています。


 彼が65歳の1966年3月、ニューヨーク州での講演のとき、「私は『科学者たちが自然の本質について探究し成し遂げた様々な分野の発見について読むのはいかほどかの喜びか』と言い、そして『あと25年は生きてこの喜びを持ち続けたいと願っている』と述べました。

 カリフォルニアに戻ると、その講演を聞いていた生化学者ストーンからの手紙を受け取りました。手紙にあったのは、「もし毎日3000ミリグラムのビタミンCを摂ることをすれば25年どころもっと長く生きられる」という内容でした。彼はその助言に従うことにしたのです。

 「私は、より元気で健康に感じるようになってきた。中でもそれまでずっと毎年何回か悩まされてきたひどい風邪をひかなくなった」と彼はいいました。

 摂取量を増量してついには毎日18000ミリグラム摂取することにしました。その日以来、人びとはポーリングとえいばビタミンCとなったのです。

 1970年には『さらば風邪薬! ビタミンCで風邪を追放』(講談社 1971)を出版。人びとに毎日3000ミリグラムのビタミンCを摂ることを強く勧めました。この本は瞬時にベストセラーになりました。ビタミンCの売上げはどんどん上がりました。1970年代の中頃までには5000万人のアメリカ人が彼のアドバイスに従いました。

○科学界医学界の反応を拒絶し、メガビタミン療法啓蒙にひた走った

 ところがポーリング博士のメガビタミン療法への科学界医学界の反応はクールでした。

 風邪の予防のためのビタミンの研究からは、風邪の予防や治療に有効という結果は得られませんでした。研究に次ぐ研究が彼が間違っている事を明らかにしたのです。

 にも関わらず彼は研究結果を拒絶し、講演や1般向けの記事や本でビタミンCを推薦し続けました。

 明らかに風邪の症状があるままメディアの前に現れることがあったが、「アレルギーがひどくて」と言っていました。

 さらに彼は「ビタミンCは風邪を予防するだけではなく、がんを治す」と言い出しました。

 1971年、彼はビタミンCでがん死を10 %減らせると宣言。

 1977年には、「私の現在の推測ではビタミンCだけで75 %の減少を達成できる」としました。「そして他の栄養サプリを合わせて使えばさらに減らせる」とし「寿命は100から110年になる。やがては最高150年になるかもしれない」と予言しました。

 彼のメガビタミン療法は強い影響をもたらしました。

 がん患者は主治医にビタミンC大量投与を要望しました。

 当時の医師は言う。「あれには苦労した。意見を言うと、先生はノーベル賞を持っているのか?というんですよ」

 もちろんがん研究者たちは検証実験することにしました。研究はビタミンCはがんを治癒しないという結果でした。

 彼は諦めませんでした。

 次に「ビタミンCは大量のビタミンAとビタミンE、さらにセレンとベータカロテンと1緒に摂れば、風邪を予防し、がんだけではなく事実上ほとんどすべての病気を治せる」と主張したのです。

 1992年4月6日の『タイム』誌は、メガビタミンの驚異についての記事が出ました。内容は、根拠の無い・反証済みの彼の主張を肯定的に記事にしたものでした。この記事はビタミン製造業者の政治圧力団体である全米栄養食品協会(NNFA)にとって幸運なものでした。

○ポーリング博士にメガビタミン療法を信じさせた「抗酸化仮説」

 彼は自分の主張に研究の裏付けがなくてもビタミンとサプリメントが万能薬となる1つの特性があると信じていました。それは「抗酸化」です。

 研究では果物や野菜をより多く食べる人はがんや心臓病になりにくく、寿命が長いことが判明していました。その理屈がそれらが体内で生じる活性酸素をつぶす抗酸化物質をふくんでいるというものでした。それなら抗酸化物質サプリを摂る人も同じように健康になるはずだというのが彼の考えでした。

 抗酸化物質サプリとは、ビタミンA、C、E、ベータカロテンなどです。これらの成分は野菜や果物に含まれています。

 野菜や果物をよく摂る人と摂らない人では摂る人が健康状態がよかったのですが、「抗酸化サプリで健康」という仮説は大規模な試験研究で否定されました。対照群として抗酸化物質サプリを摂ったグループ、摂らないグループを比較すると、摂ったグループのほうがよりがん死したりして死亡率が高かったのです。複数の研究でそうなりました。

 マルチビタミンを摂ったグループ、摂らないグループの比較でも摂ったグループの方が2倍、末期の前立腺がんで死亡していました。ビタミンサプリはがんと心臓病のリスクを高めたという研究結果も出ました。

 実は活性酸素にはいろいろな種類があって、DNAを傷つけてがんや老化の原因になると共に免疫の武器として新しくできたがん細胞を消滅させる働きもしています。これも仮説ですが、大量の抗酸化物質を摂ると、いろいろな活性酸素のバランスを崩し、免疫システムが働くパワーを弱めてしまうと考えられます。

 このような研究の結果が出てもビタミンの売上げは落ちないどころか上がったのです。

 1980年12月、彼の妻は77歳で胃がんで亡くなりました。

 1994年、彼は前立腺がんで亡くなりました。93歳でした。

 65歳のとき、「あと25年は生きて…」という願いは達成されました。「寿命は100~110年になる」には及びませんでした。

 

 こうして、ポーリング博士は、素晴らしく正しかったために2つのノーベル賞を受賞しましたが、素晴らしく間違っていたために世界一のインチキ療法士と言ってもよいかもしれない人になったのです。

 

 科学的な証拠では、メガビタミンは安全ではありません。それなのにアメリカ食品医薬品局FDA)はなぜ警鐘を発しないのでしょうか。

 『代替医療の光と闇 魔法を信じるかい?』のオフィットは言います。
 「答えは、そう金と政治である」