左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

新理科教育ML(左巻健男代表)で投稿に注意

 登録者1600名の新理科教育MLで、どうもコメント相手に感情的な言葉を投げつけるような投稿があったので注意をしました。
 忙しいときに限って、こういうことが起こるんですよ。
 その注意を書き始めたのは昨日、間近に重要な会議が控えている時でした。焦って書きました。人を注意すると、時には自分にもはね返ってきます。また、人を注意するのは、なんだか自分が高いところから相手を見下ろす感じもあって(ふつうでも、ぼくにはそういう面があるかもしれませんし)、書きたくはないものです。
 でも自分が代表をして、私費で運営しているMLで、そんな感情的なやりとりがなされるのは嫌なのでしょうがなく書きました。

 
 新理科教育MLに参加されていない人にはわかりにくいと思います。
 話題は、小学校5年の「種子の発芽の条件」で、条件の一つ「温度」を、ふつう教科書では、冷蔵庫内とふつうの温度で比べていますが、子どもから「高温でもやったら」という声を受けて、何をどう使って高温のときを調べるか、という質問から始まりました。
 全面的にそのスレッドの内容をあげられませんので、わかりにくいとは思いますが、ぼくの注意を名前は伏せて出しておきます。
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 左巻健男です。
 小学校理科教育も研究範囲です。


1.Aさんは、小学校教諭向けの書籍に書いた経験をお持ちということで、その「児童の発想を生かしながら、混乱せずに実験で結果が確かめられるように指導に工夫を凝らした」という指導の概略を教えていただければと思います。
2.種子の発芽の温度条件はいわれるように多様ですね。まあ、あまり低い温度でも、またあまり高い温度でも発芽が起こらないですね。それで、個々の種子ごとに「最低 適温 最高」の温度条件を考えるようです。科学的かどうかとか思考力育成とかの話が出ていますが、小学校5年生に追究させるとよい問題なんですかね?
 ぼくは、過去の発言ではBさんのコメントがしっくりきます。
 教科書が冷蔵庫内と常温あたりにしていますがその程度でいいのでは?
3.Aさんは学習指導要領解説をあげていますが、5年生で条件制御の能力を育成するのが最適時であるという根拠はどこにあるのでしょうか?
 戦後、ころころ変わってきた学習指導要領の内容ですが、いつも根拠があったようには思えません。
 ぼくは、条件制御の能力といった機械的な、形式的な能力より、自然をきちんと見て、自然を豊かに科学的にとらえられる能力のほうがずっと大切だと思っています。
4.Bさんが言いたいのは、5年の発芽までにもいくつかの植物(といっても栽培植物ばかりですが)で種子から育てる経験をしています。その経験知を活かせば、「高温では?」という条件は無理筋だと思います。やってもいいが、Bさんが言うようにシンプルに、やりとりでもいいような感じがします。
 精選と厳選をくり返して、小学校植物教材は以前よりはまとまりがあるようになってきましたが、内容が脈略無く細切れな面があります。種子の発芽も、本来なら(ぼくが言っています)、植物の生活と結びつけてとらえるようにさせたいものです。そうすると、植物にとっての種子の意味を問うことになります。機械的なことをやって科学的だとするようなのは科学的自然観・科学観として問題有りとぼくは思います。
子孫を残すという繁殖の学習の中に位置づけたいと思います。 
5.Aさんは学習指導要領の文章を出せばよいと思っているようですが(世の中にはその程度の指導主事がたくさんいますが)、これまでの理科教育における学習指導要領の内容を問い直すことも必要と思います。
 ぼくは、小学校〜高等学校のこれまでの学習指導要領理科に対して批判的に見てきました。内容が酷いので、有志と検定外理科教科書を世に問うたりしました。
 今後の理科教育にも危惧をもっています。
 元文部科学省のえらいさんから「これからは、左巻さんの理科教育の考えが主流だよ」と言われたりしていますが。


 どうも最近、Cさんの#*****の「** **」(略)みたいな感情的なもの、今回のAさんの学習指導要領は金科玉条みたいな迫り方のもの、など気になる投稿があって、ちょっと書いてみました。


 ぼくは、Aさんは、上記のぼくの1について書いてくれればそれをもとに情報交流が進むのに、つまらないことを追究しているなというのが感想でした。(引用以上)