左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

湯川秀樹氏の詩「原子と人間」1949年

 原爆が落ちてから4年後の1949年、少年少女向けの雑誌『少年少女の広場』に、湯川秀樹氏が「原子と人間」という詩を発表しています。
 米国でも日本でも未だ原発の話は、現実のものとして議論になっていない時代。


原子と人間


人間はまだ この世に生まれていなかった
アミーバもまだ 見えなかった
原子はしかし既にそこにあった
スイソ原子も あったし
ウラン原子も あった
原子は いつ できたのか
どこで どうして できたのか
だれも 知らない
とにかく そこには 原子が あった


原子は たえず 動きまわっていた
ながい ながい 時間が 経過していった
スイソ原子と サンソ原子が ぶつかって 水が できた
岩が できた
土が できた
原子が たくさん 集まって ふくざつな 分子ができた
いつのまにか アミーバが 動きだした
しまいには 人間さえも 生れてきた
原子は その間も たえず 活動していた
水のなかでも 土のなかでも
アミーバのなかでも
そして 人間の からだの中でも
人間はしかし まだ 原子を知らなかった
人間の目には 見えなかったからである


また ながい時間が 経過した
人間は ゆっくり ゆっくりと 未開時代から 脱却しつつあった
はっきりとした「思想」を持つ人々が あらわれてきた
ある 少数の天才の頭の中に「原子」のすがたが うかんだ
人々が 原子について 想像を たくましくした時代が あった
原子のすがたが 見うしなわれようとする時代が あった
人々が 錬金術に うき身を やつす時代があった
そうこうするうちに また 二千年に近い歳月が ながれた
「科学者」と よばれる人たちが つぎつぎと登場してきた
原子の姿が きゅうに はっきりしてきた
それが どんなに ちいさなものであるか
それが どんなに はやく 動きまわっているか
どれだけ ちがった顔の原子が あるか
科学者の答は だんだん細くなってきた
かれらは しだいに 自信をましていった
彼らは 断言した
錬金術は 痴人のゆめだ
原子は永遠に その姿を 変えないものだ
そして それは 分割できないものだ」


かくて 十九世紀も おわろうとしていた
このとき科学者は あやまりに 気づいた
ウラン原子が じょじょに こわれつつ あることを 知ったのだ
人間のいなかった昔から すこしずつ こわれつづけていたのだ
壊れたウランから ラジウムができたのだ
崩壊の さいごの残骸が ナマリとなって堆積しているのだ
原子はさらに 分割できる事を知ったのだ
電子と 原子核に 再分割できるのだ


やがて 二十世紀が おとずれた
科学者は何度も 驚ろかねばならなかった
なんども 反省せねば ならなかった
原子の ほんとうの姿は 人間の心に描かれていたのとは すっかり ちがっていた
科学者の努力は しかしむだではなかった
「原子とは何か」という問に こんどこそまちがいのない答ができるようになった
原子核は さらに 分割できるか
それが 人間の力で できるか」
これが 残された問題であった


この最後の問に対する答は 何であったか
「然り」と 科学者が 答えるときが きた
実験室の かたすみで 原子核が 破壊されただけではなかった
ついに 原子バクダンがさくれつしたのだ
ついに 原子と人間とが 直面することになったのだ
巨大な原子力が 人間の手に入ったのだ
原子炉のなかでは あたらしい原子が たえずつくりだされていた
川の水で しじゅう冷していなければならないほど 多量の熱が 発生していた
人間が 近よれば すぐ死んでしまうほど多量の放射線が  発生していた
石炭の代りに ウランを燃料とする発電所
もう すぐに それが できるであろう
───────────────────────────


湯川秀樹氏の詩「原子と人間」について高木仁三郎氏は「ウラン核分裂からほとんど無限のエネルギーが作られるのではないかという、ほとんど神話に近い、あるいは憧れに近いようなものが、半ば原爆の恐怖と結びつきながら発展していったのだと思」うと述べている。(『原子力神話からの解放』光文社2000.8)