左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

研究者の「発表か死か」についての本の書評

 次の本が出たばかりの頃、あるところに書評を書きました。
 そのときの一次原稿を載せておきます。
 

山崎茂明『パブリッシュ・オア・ペリッシュ 科学者の発表倫理』

みすず書房 四六判 タテ188mm×ヨコ128mm/192頁

定価 2,940円(本体2,800円) ISBN 978-4-622-07334-5 C1040

2007年11月19日発行


 書名の「パブリッシュ・オア・ペリッシュ」はどんな意味なのだろうか。本書を手にした人は、まずそう思うに違いない。副題に「科学者の発表倫理」とあるから、パブリッシュは、科学者が論文を発表することだろうとすぐに推測できる。ペリッシュは、「死ぬ、死滅する、消え去る」というような意味だ。つまり、「発表するか、それとも死か」という意味なのである。


 学術研究は発表なくしては存在しない。大学人であれば、研究をし、その成果を発表すべきという価値が普及するなかで、パブリッシュ・オア・ペリッシュという言葉で論文発表が鼓舞されてきたのだ。よりよいポストを得たり、学会で認められるためにはパブリッシュ・オア・ペリッシュという言葉どおり、多くの論文を発表しなければならない。


 だが負の側面もある。業績至上主義がはびこり、誰にも読まれないような論文が量産される。また数を稼ぐために一つの論文ですむところを小さな断片的な論文に分割させるなどの傾向も助長した。このようなことを放置すればパブリッシュ・アンド・ペリッシュ、つまり科学研究は、発表して死滅することになる。そのなかで大学の市場化への流れは、科学研究で「特許で成功」の方向性ももたらしている。


 著者は、「特許で成功」は科学研究の公正さを欠くとし、公正な科学研究が私たちの生活を支えるという観点から、発表倫理を探究していく。そのために、発表倫理がいかに破られたか、発表倫理を脅かすものは何かということをいくつかの事件を通して具体的に検証する。私は、とくにA医師の告白メールが印象に残った。そこにある医学のある研究室の風土は、多かれ少なかれ科学研究の場にあるのではないか、と感じた。


 発表倫理をどう確立するかという提案では、レフェリーシステムの再構築とともに、近年のインターネット環境の下で、読者からの声も質のフィルターとして重視している。科学コミュニティ内だけでは不正行為は防げないだろう、オープンなシステムにしようという提案を科学研究に関係する全ての人びとが聞くべきだろう。