左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

【はじめに】と【おわりに】:左巻健男『世界が驚く日本のすごい科学と技術: 日本人なら知っておきたい』(笠間書院)

左巻健男『世界が驚く日本のすごい科学と技術: 日本人なら知っておきたい』(笠間書院 2020年4月)

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【はじめに】

 本書は、日本で発明された技術を歴史的に位置づけてみようと、左巻健男(『RikaTan(理科の探検)』誌編集長)+RikaTan委員有志」の共同で取り組んだものです。

 本書を書こうと思ったのは、わが国の科学技術創造立国の基盤が弱くなりつつあるのではないかという危機感からです。
 わが国の科学技術史の過去・現在の「光」を知ることは、現在・未来を担う人々を応援することになるのではと思いました。

 科学技術創造立国の基盤を強めるには、まず国民全体の科学リテラシーを上げ、科学技術の応援団になってもらうことです。それは、科学技術にかかわる職業に就かない人も、文学や音楽などと同様、科学技術を文化として楽しむような社会になることです。そのためには小学校・中学校・高等学校の理科教育の質を上げることが必要でしょう。

 わが国のメーカーの国際的な凋落も気になります。

 もうだいぶ前のことになりますが(二〇〇五年)、私は、思い立って東京・日本橋を出発点に京都・三条大橋に向けて旧東海道を歩き始めました。計一六日間の日程でした。
 一三日目、一四日目は三重県亀山あたりを歩きました。シャープ亀山工場の前を通ったとき、「ここが世界的な『液晶のシャープ』の高画質・高品質の『亀山ブランド』液晶テレビの工場なんだ」という感慨をもちました。
 液晶は一八八八年にオーストリアで発見され、その材料が米国に渡って一九六八年にRCA(アメリカ・ラジオ会社)の研究所が液晶ディスプレイを発明しました。液晶ディスプレイを実際に電卓に用い商品を市場に投入したのはシャープであり、以降、液晶テレビの事業化、産業化を先導したのは日本のメーカーでした。一九九〇年代後期に韓国や台湾が参入すると、数年のうちに日本は生産量で追い抜かれてしまい、シャープは、二〇一六年、台湾の鴻海精密工業傘下の企業となってしまいました。
 光触媒の項の導入で紹介したように、藤嶋昭の研究グループが中国の大学に移動してしまったのも、わが国の研究状況について示唆的です。

 それでも、私は、生まれてから現在まで(一九四九年~)の生活を振り返ると、すさまじい技術革新の恩恵を受けてきたことを実感します。
 それは、私にとっては、創立一一〇周年を記念して発明協会が二〇一四年に選定した「戦後日本のイノベーション一〇〇選」と重なります(http://koueki.jiii.or.jp/innovation100/innovation.php)。
 何せ、栃木県小山市の貧しい家の生まれで、小学生時代は竈(ルビ かまど)でご飯を炊くのは私の仕事でした。楽しみは真空管ラジオで連続ドラマを聞くことでした。ところが、とくに一九五〇年代後半、白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫の家電三製品が「三種の神器」と言われ、家での労働は非常に楽になり、楽しみが増えました。さらに現在は、ずっと便利で豊かになりましたが、支える技術群にはたくさん日本発のものがあります。

 人類の歴史はおよそ七〇〇万年前に登場した初期猿人まで遡れます。木の上での生活を捨て、地上を二本足で歩くようになり、人の体に重要な変化が起こりました。手足がはっきり分かれ、手は歩くことから完全に解放され、いっそう器用になっていき、道具をつくり出すようになりました。木材や石を材料にした道具づくりは今から約一八〇万年に始まったと考えられています。性能のよい脳、集合知を可能にした言葉、道具づくり、火の使用と技術は、人間の諸能力を拡大していきました。
 日本列島に人がやってきたのは、ウルム氷期(第四紀の氷河時代の最後の氷期。ほぼ七万年~一万年前)の時代のおよそ四万年前から三万八千年前のことと考えられています。その時代は旧石器時代と呼ばれています。
 本書は、旧石器時代の次、日本列島に暮らす人が独自の技術と文化をもっていた可能性のある縄文時代のヒスイ孔開け技術からテーマを設定しました。

 各テーマは、技術やシステムの発明と関わる人物を中心にして歴史のなかに位置づけ、いわば日本の科学技術史の「光と陰」の「光」を浮かび上がるようにと考えました。

 本書は、どこを読んでもタメになる、おもしろい解説になるように努力しました。
 ぜひお楽しみください。

           編著者 左巻 健男 

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【おわりに】

 本書は、私の『絶対面白い化学入門 世界史は化学でできている』(ダイヤモンド社 二〇二一)を読まれた笠間書院の編集者山口晶広さんから、日本の科学技術と文化にスポットを当てた本の執筆依頼を貰ったことから始まりました。
 企画書は、次のように趣旨が述べられていました。
漆器から奈良の大仏、LEDまで、日本が世界に誇る文化や技術、発明、日本初の科学技術などを、古代から現代の流れに沿って紹介。日本の科学技術の発展を知ることができるとともに、日本の科学技術力がここ三〇年で大きく衰退している今だからこそ、日本の凄い文化と技術を再考し、将来を担う子どもたちの指針になるような企画です。」

 私は、『中学生にもわかる化学史』(ちくま新書 二〇一九)と『世界史は化学でできている』とを執筆した経験から、物事を歴史的に捉えるということに興味・関心をもっていたところでした。
 そのとき単著を三冊同時並行的に執筆しているときでした。
 そこで、共同執筆をいつも一緒に進めている『RikaTan(理科の探検)』誌委員たちに相談。有志で執筆することにしました。執筆者だけではなく内容や表現へと意見をしてくれる検討委員を募集し、ML(メーリングリスト)を設置して進めることにしました。ML設置の二〇二一年九月三〇日から初校ゲラチェック中の二月初めまででその投稿数は二五〇近くになっています。
 その経過を少し紹介しておきましょう。
 ML上で原稿のやり取りを始めたのは九月になってからでした。
 集団執筆でもっとも大変なのは執筆者ごとに本の趣旨・想定読者の捉え方や筆力が異なることです。まず私の分担原稿を出していきました。執筆者が全体の統一イメージを得るためです。
 その後各執筆者の原稿に対していろいろコメントがついていき、テーマによっては何度も書き直しされました。こうして本が完成に近づいていったのです。

「はじめに」に述べたように、本書は日本の科学技術史の「光」に焦点を当てていますが、実際のわが国の科学技術史には、「陰」の部分も存在します。
 わが国が幕末から明治にかけて、蘭学から始まって西洋の科学技術を大いに取り入れることを「和魂洋才」と呼びました。もともとは平安中期に生まれた「和魂漢才」で、中国渡来の正確鋭利な知識(漢才)も大切だが、日本社会の常識に通じ臨機の処置をとれる人柄(和魂)もまた大切という意味でした。
 しかし、鎌倉後期に蒙古襲来から和魂に「日本神国思想」が与えられ、さらに幕末から明治の「和魂洋才」は和魂を「やまとだましい」と読み、国のため生命を惜しまぬ直情な日本独得の精神とされました(「和魂漢才・和魂洋才」『日本大百科全書小学館)。
 西洋から導入した技術は主に軍事工業にかかわる技術でした。製鉄の反射炉、造兵、造船などの洋式軍事工業がわが国に移植されました。
 また、日本の科学技術史として、最近の左巻健男の著作の『怖くて眠れなくなる元素』(PHP)で取り上げたような、森永ヒ素ミルク中毒事件、水俣病イタイイタイ病四日市ぜんそくなどについても忘れてはならないと思っています。
 その中にはまだ終わっていないと思われる問題もあります。

 それでも本書で展開したような、わが国の科学技術史の光が、現在・未来をも照らしてくれることを願っています。

 最後になりますが、MLにも参加して、本書の完成に向かって適宜編集上の的確なアドバイスをいただいた編集者の山口晶広さんに感謝いたします。
 
   二〇二二年四月 左巻 健男