左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

5年前のインドの旅(by Hikami)【長文】(その2)

●2005年1月1日 6日目 - 10年越しのタージマハル ?
 インドでも2005年1月1日です。
 朝起きて、さまき隊メンバーに挨拶していたら、真下にいたインド人のおじさんも(前日色々話をしたおじさん)「Happy new year!!」と、かなりハイテンションで挨拶してくれました。なんか国際的な年はじめでした(^^)
 今日はアーグラーです。朝7時頃到着して、まずは今日泊るアーグラ駅のリタイアリングルーム探し。このリタイアリングルームがどこか分からずあちこち探しました。
 そして見つけて階段を上っていくと、管理人室のような一室の前で「予約を入れてから来なさい」と言われ、また駅のホームのへ戻って駅員室(事務所でしょうか?)で予約をしました。ようやく部屋へ入れたのは30分くらいうろうろしてからだったでしょうか。
 部屋は昨日のVaranasiの部屋とは違ってベットが8つもありました。
 そのかわり、貸し切りではなく、「あとから人が入るかもしれない」と言われました。 荷物を全部置いて観光に出る予定でしたが、『他の人が一緒になるなら置いていけないなぁ』ということになり、荷物を持っていくように準備。
 でも昨日洗濯したものはほとんど全部干したので、(部屋の中にひもをかけて)私の荷物の重さは半分くらいになっていました。
 この時、左巻さんとザックにかけるよい鍵を持っていた玉井さんは、荷物を置いていくということでした。(よい鍵を持っていたのは玉井さんだけです)
 ここで左巻さんが「前来たところと違うなぁ…」と。そう、横に見えていた赤茶色い砂岩でできた建物、なんとアーグラー城だったのです。
 そしてこの今立っている駅はアーグラーフォート駅、行くはずだったのはアーグラーカント駅だったようです。
 今日の場合は目的地手前で降りたので電車賃には関係ないのですが、明日乗る区間が多くなることになりそうで…どうなることでしょう?まぁ左巻さんがアーグラーでは嫌なことばかりが記憶に残っているそうで、こっちの駅でよかったねってことになりました。
 確かに駅周辺の雰囲気は聞いていたものと違ってよかったです。
 で、準備をしていたらリタイアリングルームの管理人のおじさんが入ってきて、8つあるベットのうちの1つを他の部屋へ持っていきました。(他の部屋で必要だったのでしょう)そして出かけようと皆で部屋を出ていくと、管理人のおじさんが「自分たちの鍵をかけていけ」と。なんと、自分たちだけで使っていいと言うのです。何と嬉しい!荷物を持っていかないで済むではありませんか。
 でも肝心の鍵(錠前です)がない…。ということで青野さんと玉井さんが鍵を買いにいってくださいました。鍵と言えば…インドはどこへ行っても同じタイプの鍵しか見ませんでした。銀色のかなりごつい錠前です。土産に買ってもよかったかも。
 そういえば玉井さんが鍵を持っていたんですが、ドアにかけられる程大きいものではなかったので、結局買いにいかねばならないということでした。
 青野さん、玉井さんが買いにいってくださっている間、他のメンバーは待機。そして再度出発準備。今度はみんな荷物を置いて軽装で。
 2人が帰ってきてからタージマハルへ出発する時、玉井さんがオレンジなど食べ物の入った袋を持っていたのですが、なんとその袋を猿がパッとやってきてひったくっていってしまいました。一同かなりびっくりしました。
 リタイアリングルーム(2階)から見える屋根には、前に取られた人の荷物でしょうか、薬まで散乱しています。もちろん食べられていました(薬はカプセル型でした)。…あの猿は薬なんか食べて大丈夫なのか?と思いました。
 気を取り直して出発。
 タージマハルに向かって歩いていると、(アーグラー城の周りを歩いていったんですが)かつてシャージャハーンが囚われていた塔を外から見れました。
 息子に幽閉されるってどんな気分だったんでしょうね。
 そういえばアーグラー城とその周辺にかなりインコが多かったです。あまり野生のインコを見たことがなかったので変な気分でした。
 途中道路の横にあった、木が植わっていたり沼があるような歩道(歩道と呼べるものかどうか、、、日本でははっきり言って呼べません。でも歩いている人を見なかったのでやっぱり歩道ではなかったのかな?)に入っていって歩いたんですが、そこにあった木に実がなっていました。
 とても変わった形だったんですが、いつものように左巻さんが『パクッ』って。その瞬間、左巻さんはものすごい勢いで吐き出しました。青野さんによるとキョウチクトウ(でしたっけ?)の種類ではないかと。有毒植物です!何ともなければいいのですが…。
 『こんなところに実がなっていて、それが食べれるものだったら、インド人がほおっておくはずないよね』という結論でした。
 さて、しばらく歩いていると、一人のお客を乗せたサイクルリキシャーが、その先には砂と川以外何もなさそうな道を曲がっていきます。
 『なんでそんなところに?』と興味を持った左巻さん、「行ってみよう」と言って、同じように曲がってみることになりました。周りは砂丘なのか?と思うくらい砂だらけです。ちょっと歩くと横に行く方向と平行に川が出てきました。町からの廃水が流れているようで、どぶのにおいでした。色もすごい!!真っ黒です。
 歩いていると後ろから先頭を歩く左巻さんに「そこら辺気をつけて」と声がかかりました。なんと歩いているちょうど下あたりに、ツバメの種類の鳥が巣穴を掘って棲んでいました(川縁の砂地に巣を作ってました)。それもものすごい数。
 水もこれを飲んでいるんだろうと思うと…。そうやって生きていってるんだなぁと思いました。
 崩れるかも…ということで少し迂回して、隣を流れている川がヤムナー川に合流するところまで歩きました。その道の途中、「タージマハルがうっすら見える」ということでみんな立ち止まりました。でも“うっすら”って…ほんとにうっすらでした。
 見た位置がちょうどアーグラー城とタージマハルの間くらいなんですが、昔が今みたくこんなだったら、絶対にシャージャハーンは囚われの塔からタージマハルが見えないなと思いました。
 大気汚染が進んでこれほど見えなくなってしまったんでしょうか?
 天気が悪いわけでもないのに見えないのはとてももったいないと思います。
 到着したヤムナー川の岸では牛がどこからか歩いてきて移動していきました。放牧だったのでしょうか?イヌもたくさんいたのですが(野良犬?)、ヤムナー川の水をどんどん飲んでました。目の前で飲まれるとすごく気が重かったです。
 また、向こう岸に人がしゃがんで何かしていたのですが、左巻さんと「まさか魚とってるんじゃないよね…」と。ここで『インドでは絶対に魚は食べない』と決めました。
 どこを見てもきれいな水なんてありません。ということは魚も…です。ほんとに最後まで食べませんでした(それまでも食べていませんでしたが)。
 しばらくしてその場を離れ、タージマハルへ向かう道へ戻りました。
 私と左巻さんはずんずん進んだのですが、他の皆がなかなか来なくて途中公園で座って待ったりもしました。公園では色々な花が咲き、クジャクもいて楽しんで歩けました。
 途中たくさんの鳥が道路をふさいでいるのを見ました。何でかな?と思ってよく見ると、エサがまかれていました。こうなるとやりたくなっちゃうんです…。自分だけ写真を撮ってやっちゃいました(^^;)そう、その道路を歩くんです(本当は走りたかったんですが)。
 でも鳥達は気づくのがものすごく早くて、ちょっと近くに行っただけで全部飛び立ってしまいました。その道は進行方向とは違ったので結局通らなかったんですが、しばらくしたら(他の皆が来るのをその道路との分かれ道で待っていたら) 鳥達みんな戻ってきてました。
 そしてとても大きなマメ科の木も見ました。そういえばあれも食べれないんでしょうかね?茹でたりして食べれそうだと思ったんですが。
 誰も取らないところを見るとおいしくないどころじゃなくて、食べれないんでしょうね。
 さてこの公園も通り過ぎていよいよタージマハルです。(公園のゲートはすごく狭くて通りにくかったです。まぁ左巻さんが通れたんで皆通れたんですが、私はでかいウエストポーチをつけていたので…通りにくかったです。でも通れましたよ)
 入り口が見える前ににぎやかな通りが見えてきて、『あぁ、観光地だな』というのが分かりました。リキシャーがいっぱい並んでいます。
 そしてまた客引きの声、声、声。
 こんどは土産物を手に持った人たちがいっぱいです。
 タージマハルの入り口が正面に見える通りでは、とてもたくさんの人がいました。
 "ミニ"タージマハルも売っていました。『やっぱりどこでもこういうものがあるんだなぁ』と思いました。ここで左巻さんは「ここで待ってるから」と。
 もうこれで3回目だそうで(あれ?4回目でしたっけ?)、左巻さんは中へ入らずに外で待っていることになりました。でもその前に腹ごしらえ。今日はまだ何も食べていません。左巻さんは目ざとく(というと言い方が悪いかな?)、「kingfisher beer」と書かれた(のぼりがあったんだったかな?) レストランを見つけました。
 左巻さんはしっかりビール頼んでらっしゃいました。
 他の人はコーラやチャイです。食べたものはと言うと…やっぱりカレーです(^^)v
 まぁ注文したのはカレーでなくThali(ターリー)でしたが。(中身はカレーです。ターリーは定食です。元は大皿という意味だそうです)。私はターリーをここで初めて食べました。今まで単品でカレーやマサラを注文してたので。で、ターリーにはヨーグルトが付いてくるのですが、このヨーグルトがあまり私の口に合いませんでした。いつもカスピ海ヨーグルトを砂糖を入れずに食べているので、甘くないものでも何でもたいていのヨーグルトは食べれるのですが。酸っぱいってわけでもなかったんですが…いまいち。全部食べましたけどね。
 おなかもいっぱいになっていよいよタージマハルへ。
 左巻さんはこのレストラン近くのベンチに座っていると。
 今12時。左巻さんと1時間後に待ち合わせをして、他の皆でいざゆかん。チケットを買う為にforeigner用のカウンターへ。入るのに750R…高い!!高級レストランで4食は食べられそうです。日本円にすると1800円程でしょうか?
 それにしてもまわりでチョロチョロしているお兄さんが…勝手に案内してくるんですがほんと、いりませんでした。ずっと無視してました。
 チケットを購入して入り口へ行くと、身体チェックされました。
 そこで携帯、電子辞書、iPodの3つをdepositしてくるように言われ、外に出されました。携帯はそういえば聞いていた(というか本に書いてあった)気もしますが、電子辞書も預けなきゃいけない意味が分からない…。
 そんなこんなでdepositに並ぼうとしたんですが、すごい行列です。 その行列の中には玉井さんが…タバコが引っかかったそうです。小出さんも何か引っかかったようでした(もう預け終わっていたようですが)。これでは預けるだけで30分くらいたってしまいそうだということで、『左巻さんに預かっていてもらおう』ということになりました。
 そこで左巻さんを探しに通りを戻ってみました。すると左巻さんは…インド人に混ざってベンチに座っていました。小出さんは分からずそのまま通り過ぎるところでした(^^)それくらい違和感なくインド人の人たちに溶け込んでいました。
 この時点で左巻さんと分かれて20分たっていました。
 約束の1時まで40分しかありません。
 左巻さんに『今から一時間後』と、時間を遅らせてもらって4人で再度タージマハルへ入場。
 ただ一人何も引っかからなかった青野さんと合流して先へ。
 入り口を抜けるとそこには中学校の時から憧れを抱いていたタージマハルが…。
 この中学の時からというのはどういうことかと言いますと、中学2年の社会の歴史(たぶん)の教科書にタージマハルが載っていたんです。白黒だったんですが、それはそれはとても美しくて、生きてるうちに本物を見てみたいなぁと思ったのでした。それがサブタイトルの『10年越しの…』って言葉です。中2がちょうど10年前なので。
 でもちょっと拍子抜けでした。私はあんまりにも強く憧れを抱きすぎていたんでしょうね。たしかにきれいだったんですが、空の色が…灰色。
 私の頭の中には『すっきり晴れた青空の下に真っ白のタージマハル』という景色がずっとインプットされていたのです(私の勝手な想像)。
 それでもたくさん写真は撮りましたが。
 驚いたことに、タージマハルの中には靴を脱いで入らなければなりませんでした。
 青野さんが裸足になっていたので『?』と思って聞いてみると、「大理石を肌で感じる為」との返事。『なるほど』と思って早速私も実行。ひんやりしていて気持ちよかったです。
 でもあんまりきれいじゃないなぁと思いました。
 掃除しているんでしょうか?
 中に入ってみると棺がありました。
 でもそれ以外特に何も見るものがなく、ドームからはすぐに出てきてしまいました。
 そのドームの前で青野さん、ハチを発見!! そして青野さん筆頭に玉井さん、相馬さん、私で撮影大会開催!そうやってハチを追い回していると周りの人に笑われてしまいました。
 『こんなとこまできて何やってんだ、この日本人』と思ったんでしょうね。
 近くにいたインド人に「あっちのモスクにハチの巣があるよ」と 教えられてしまいました(^^;)インドへ来てもやはりさまき隊はさまき隊でした。(もとい、さまき隊ってよりもWisdomメンバーですね)
 そうしてるうちに左巻さんとの約束の時間が!急いで左巻さんの元へ。
すると左巻さんはやはりさっきと同じ場所で、インド人に混ざってベンチに腰掛けて目を閉じていました。今度は青野さんが気づかなかったようです(^^)
 携帯など預かってもらっていたものを受け取り、次はどこへ行くか決める為に政府観光局へ行くことになりました。その政府観光局へはリキシャーで行こうということになったんですが、4人乗りでなく、少し大きいタイプのリキシャーで、皆で乗っていこうと話していました。そしてリキシャーの運転手達の言い値を聞いていたのですが、なかなかこちらの言い値が通らない…。
 そしたら1人のおじいさんが1人10Rで乗せてくれると。
 『よし決めた!』とそのおじいさんについていくと…なんと!乗り物はリキシャーではなく、馬車でした。私は馬車に乗るのも初めてでした。
 後ろの席に青野さんと小出さんと乗ったのですが、ちょっと3人はきつかったかな…。でもパカパカと走る馬車はなかなかよかったです。ただ1つ悪かったのはその馬車の運転手さん (って言わないですね騎手でいいのかな?)が道が分からなかったことです。
 土産屋なんかにも寄られたんですが、30分以上乗ってました、馬車に。
 小出さんが変な体勢で乗っていたので申し訳なかったです。
 そして政府観光局に到着。この時、2時くらいです。
 色々と検討した結果、キータム湖鳥類保護区はあきらめ、ファテープルスィークリーへ行くことに。観光局でタクシーを手配してもらいました。
 このタクシーのお兄さんもやはり途中お土産屋さんへ誘います。そうやって他から収入を得ないとやっていけないんでしょうね。
 そうそう、途中クマを見ました。何でも、写真を撮るのに100R、踊らせるのにまた100Rだったかな?(もっと高い値段だったような気も…)
 玉井さんが運転手さんに教えてもらってました(私は後から聞きました)。小さい頃に捕まえられて仕込まれたんでしょうが、『何だかなぁ』という感じでした。
 3時半頃ファテープルスィークリー到着。タクシーの運転手さん達と1時間半後待ち合わせの約束をして観光へ。あちこち見て回りましたが、1番よかったのは、モスク地区のサリームチシュティー廟でした。壁面の透かし彫りは本当にきれいでした。中から見るとよりきれいでした。
 でもやっぱりここでもまわりをチョロチョロと説明して回る人がいて、うっとうしかったです(こんな言い方したら悪いですが)。「私はあなたにお金を渡す気は全くない」と何度か言うと去っていきました。近くに玉井さんがいてくれて話しができたのでよかったです。その人にかなりうんざりだったので。1人だとずっと話されてなきゃならなかったかもしれません。あ、でもこの人が1ついいことを教えてくれました。ハチの巣の場所です(^^;)写真撮りました。
 あと、先に行った宮廷地区ではインド人の子供2人と仲良くなりました。そう言えば私は行く先々でインド人の子供達に話しかけてたんですが、(日本でやると危ない人になってしまうでしょうか?) やっぱりほとんどみんな英語話せるんです(…きっと私よりも)。教育の差をこんな子達と話している時にも感じていました。
 そして駐車場に戻り、タクシーに乗って再びアーグラーフォート駅へ。
 外は結構真っ暗になっていました。トイレにも行きたかったので一度相馬さんと私は部屋へ。他の皆は食堂へ。
 今日の晩ご飯は、メニューがターリーくらいしかなかったので、やっぱりターリーになりました(昼と同じでNon-Vegですが、鶏肉でなく卵でした。私にはその方が嬉しいんですが(^^))でもここのヨーグルトはおいしく食べられました。
 『昼のは何でおいしくなかったのかなぁ??』と疑問が残ります。
 食後、駅のホームにある売店でJunior Scienseと言う本を青野さんが発見。高校生くらいが対象らしいのですが(ヒンドゥー語でなく、英語で書かれています)、内容は…日本の大学院レベルくらいではないでしょうか?すごくハイレベルです。
 青野さん、相馬さん、玉井さんが一冊ずつ買って買い占めてました(^^;)
 そして相馬さんは念願の櫛を購入していました。
 書くのを忘れていましたが、相馬さんは今回の旅行に櫛を忘れてきたそうで、相馬さんの来た日の翌朝、「日上さん、櫛持ってない?」と聞かれました。私は髪が短く必要としないので(手櫛で十分なので)持っていません。「すみません、持ってないです」と言うと、相馬さんは鞄の中から櫛になりそうなものを探し出しました。それは…変換プラグでした。いくら何でも…と思いながら私は見ていました。するとそれはあまりに目が粗かったようで、さらに次に歯ブラシを使っていました。それを今日まで3日…かな?続けてらっしゃいました。ほんと『さすが相馬さんだなぁ』と再確認(^^;)
 で部屋に戻ると左巻さんの様子が少しおかしい。
 とても顔が赤く、体調が悪そうでした。
 「寒い」とも言っていたので皆で心配して、薬も飲んでもらって早く寝てもらいました。そしてそんな左巻さんを部屋に残し、アーグラフォート駅のまわりをウロウロしに行きました。
 1軒の布屋さんで左巻さんの為に皆で毛布を購入しました。緑色の地に赤や茶色のチェックのラインがあるものでした。『早くよくなりますように』と皆の願いのこもった毛布です(^^)
 駅のホームに戻って来ると、今度は玉井さんが何やら食べ物を大量に買い込んでました。部屋について左巻さんに毛布を渡し、そしてまた寝てもらいました。
 左巻さんは「朝食べた実のせいかな」などと言っていましたが、『旅疲れじゃないかな』と私は思っていました(結局何かは分かりません)。
 そう、今日1月1日、インド旅行に来て初めてお湯のシャワーを浴びました。もう感動です。ちょっと熱すぎたんですが、そんなことはそう問題ではありません。もう“お湯”というだけでとても幸せになれます。こんなことにこれだけ感動できてしまうという体験をして、普段どれだけ何も考えないで使ってるかを考えさせられました。
 去年の1月1日、実は携帯落として紛失してしまっていたので (あの時言ってもどうしょうもなかったのでみんなには言ってませんでしたが(^^;)) 結構夜はブルーだったんですが…今年はほんといい年初めです。幸せを感じて眠りにつきました。


●1月2日(日)7日目 - 予定時間って何だろう? -
 電車の出発時間は6時15分なので5時半に起き、皆で6時過ぎには部屋を出ました。
 ところが朝からのものすごい霧のせいで、なんと、2時間も電車が遅れると掲示板にありました。日本だったらあり得ない話(金返せってことになります)ですが、「インドだよ!」だからしょうがないです。
 一度部屋を出ましたがもう一度戻って待つことにしました。
 昨日7時半頃に部屋へ入ったはずなので、その時間まではいてもいいはずです。
 7時半を過ぎたらご飯を食べに食堂へ行こうという話になりました。
 まぁ管理人さんはもう出て行ったと思ったでしょうが。
 かまわず皆で部屋へ戻りました。
 部屋へ戻ると、私の視界に見たことない人がいました。
 『…誰?』
 その人は茶色い服を着て空のペットボトルを2本持っていました。部屋の中でめざとく開いていた7つ目のベットを見つけて寝てしまいました。普通ならあり得ない話なんですが、本当に起こったことです。
 で、日本だったら即追い出すんですが、この時はみんな唖然としてたんだと思います。 皆その人を見たまましばらく無言でした。
 ちょっとして誰かが「何だこの人は」と口を開きました。とりあえず害がなさそうだったからなのかなんなのか分かりませんが、みんな追い出そうとはしませんでした。
 15分くらいしてそのおじいさんはムックリと起き、水を入れようとしたのか分かりませんが、お風呂場の方へ行こうとします。『これはだめだろう』ということで行く手を阻み、英語で話しかけましたが通じないようです。
 (といっても話しかけたのも行く手を阻んだのも私じゃありません)
 そして出て行ってもらいました。
 おじいさんが寝ていたベットを見ると…体の当たっていた所が黒くなってました。すごかったです。
 7時頃、相馬さんがお腹を蚊に刺されたと訴えていました。
 左巻さんはそこですかさずマラリアの話。
 左巻さん、昨日よく寝たせいか今日は調子が少し戻ったようでした(^^)
 毛布は左巻さんのリュックにしっかりと外付けされました。7時半になり、部屋を出て食堂へ行こうとしたのですが、食堂は8時からということでした。
 しょうがないのでホームでチャイを売り歩いている人から買い、飲んで待ちました。
 このチャイ、粘土を焼いた素焼きのコップでした。プラスチックのコップを使う所もあればこの素焼きを使う所もあるようでした。このコップほんとは投げ捨ててしまうのですが、土産になるかなと思い、持ち帰りました。(絶対に鞄の中で割れるだろうなと思ってたんですが、大丈夫でした)
 ここで買ったチャイは3Rでした。日本円で7.5円…。これで紅茶とコップを手に入れられてしまう…物価の違いを感じます。
 チャイを飲んでいたら8時になっていなかったのですが、食堂に入っていていいと言われ、入って注文しました。みんな揚げ物食べてましたが、私は朝から揚げ物はちょっと…受け付けないので、オムレツとチャイにしました。
 食パンにはさんで食べたんですがすごくおいしかったです。でも辛かったんです。なんでオムレツ辛いのよ?と思ってよく見ると、…なんと、青唐辛子入りでした。『そんな気遣い、いらない…』と思いながら完食しました。
 8時半、まだまだ電車が遅れるようでした。食堂で隣に座ったインド人の家族は同じ電車に乗るようでしたが、『しょうがないなぁ』といった感じでした。その家族は4人家族で中学生くらいの女の子と3歳くらいの女の子、お父さん、お母さんという構成だったのですが、この3歳の女の子が可愛くて可愛くて一緒に遊んでました。イスの背もたれを叩いて音を鳴らしたりして遊んだのですが、他の人(と言っても店の中はさまき隊とその家族とあと1組だけでした)には、ちょっと迷惑だったかもしれません。この中学生くらいの女の子もオムレツを頼んでいたようなのですが、青唐辛子が辛すぎたらしく、お母さんによけてもらってました。(『自分でしないの?』と思ったり…)
 子供ですが、インド人でも青唐辛子よけて食べることに驚きました。
 そうそう、このお母さん以外の3人とは後でホームで写真を撮ったんですが、親切にもお父さんが私に3歳の子を抱かせてくれようとしたのですが、この子、抱かれるのは嫌がりました。ちょっとショック。青野さんに「嫌がられた」とはっきり言われたのにも…。他の人の子はだめですね(ーー)
 そして10時過ぎてようやく電車が到着。この時点で4時間遅れです。発車はさらに20分後でした。でもインド人は誰も怒っているような人はいません。
 これが普通…なんでしょうかね?
 そして発車して20分、次の駅です。そしてここでも停車が約30分。ジャイプールに着くまでにいったい何時間かかるんだろう?と不安に思いましたがどうしようもありません。“インドだよ”と言って、“どんと”構えてるしかないのです(^四^)
 ようやく12時頃ようやくアーグラーカント駅へ到着です。本来、ここから乗るはずだったのですが、電車が遅いからと?迎えにいった形になりました(言い訳)。
 ここでも停車時間が長そうなので数人ずつ電車の外へ出て昼ご飯購入。私はドーサーという、豆と米の粉を練って鉄板で薄く焼いたものに、ジャガイモのカレー煮をはさんだ Masala Dosaを食べました。辛いスープみたいなのを一緒に渡されたんですが、周りを見ているとこのスープにつけて食べていたのでまねしました。そして数人が減ったスープを足してもらっていたので、私も同じようにして足してもらいました。
 あとで本を見るとココナッツソースをつけるとおいしいと書かれていたのですが、甘いどころか辛いソースをつけるしかなかったです。でもおいしかったですよ(^^)v
 私が食べているのを見て小出さんも買っていました。
 皆いろいろ買ってましたが、青野さんはここでchikku(チックー)という果物を買っていました。1ついただいて食べたのですが、柿みたいな味でした。で、柿といっても、干し柿みたいでした。干し柿はあの糖分が外で固まってジャリジャリした感じがしますが、それまで同じ感じでした。でも水分は結構ありました。おいしかったです!
 でも相馬さんに当たったものは熟れていなかったようで、固くて味もイマイチだったようです。中の種の色も違い、黒くありませんでした。
 そういえば電車の中も町の中も部屋もそうですが、ゴミ箱がほとんど設置されてませんでした。「ゴミはゴミ箱へ」ではないのです。なかなかこれには慣れませんでした。
 左巻さんはすぐに慣れてポイポイ座席下にゴミを捨てていましたが、途中から玉井さんの座席下にゴミを捨て出しました。
 玉井さん曰く「なんでこっちに捨てるんですか?!」
 左巻さん曰く「そっちにゴミが多いから、ゴミが集まるんだよ」と。
 理解できそうでできない話です。
 でも左巻さんは勝ち誇ったような顔です。
 左巻さんはグアバを買っていたんですが、残念ながらそれらは熟れていませんでした。おいしくなかったようで、線路に入ってきていた牛を窓越しに「カウ、カウ」と呼び(さまき隊皆大爆笑です)、グアバを牛の方へ投げました。でも牛は全く食べませんでした。牛にさえ見向きもされない、熟れていないグアバ…。
(このグアバは結局空港まで左巻さんが持っていたような。最後食べれたのでしょうか?)もちろんそれまでに剥いた皮などは座席の下です。
 そして曰く「掃きに回ってくれる子どもに僕なら○Rあげるなぁ」と。(○Rというのはいくらだったか忘れました)どういう意味かというと、床を掃いて回ってお金をもらっている子供がいるのです。その子供にお金をあげるということです。こないだ乗った電車でもそのような子供がいましたが、周りでは誰もあげていませんでした。
 と、そう言っている間に小さい子供がほうきを持って、床に膝をついて掃いて回りにきました。皆に注目された左巻さん、いくらかあげていました。
 停車して約30分アーグラーカント駅出発です。
 しばらくすると窓の外には一面黄色い花畑になりました。
 左巻さんや青野さんの話からすると、西洋からし菜かアブラナかということでした。
といっても後から分かったのですが、結局どちらかだけではなく、どちらもあったみたいでした。(油を取る用もからしを作る用も)
 そしていきなり何もない所で停車しました。警察の人らしき人が線路に出てきていました。何だか分かりませんでしたが少しの間停車していました。
 発車して少しすると今度は畑ではなくものすごく広い空き地に出ました。子供がいっぱいいましたが何かメンコのような遊びで遊んでいる子もいるれば、ただ走り回っているような子もいました。子供はおもちゃがなくても遊べるんだという話になりました。その通りだと思いました。
 5時半頃、アルワール駅着。ここでなんと今まで全然つながらなかった相馬さんの携帯がつながりました。相馬さんはまず家に電話をかけていました。
 だんなさんに「皆とはぐれていないか」と言われたそうです。
 青野さんに「よくわかってもらっているね」と言われていました。
 そして次に桑嶋さんに電話です。ここで私は代わってもらえたので、桑嶋さんにちょっとリコンファームのことを相談してみました。するとマレーシア航空の予約センターの番号を「とりあえずかけてみたら」と言って、さっと調べて教えてくださいました。
(結局この番号にかけてリコンファームできたのです。桑嶋さんに感謝感謝です)
 相馬さん少し長電話になってすいませんでした。5分くらいはしゃべったかも…。
 このアルワールから左巻さん、玉井さんの話ではまだ2時間はかかるということでした。で、結局ジャイプールに到着したのは8時半。
 そうです、今日は約10時間電車に乗ってました。元々は2時頃に到着予定だったのに…もう真っ暗です。予定時間をかなりオーバーです。6時間オーバーです。思い通りにはいかないということがよくわかりました。ホテルは前もってどこにするか考えていたので、とりあえずそこを目指し歩き出しました。
 距離的にはリキシャーで行ってもよかったでしょうが、なんせ今日は全く運動をしていない…ということで歩くことに。ちょっと迷ったりしましたが、9時過ぎにそのホテルに到着しました。
 『Ever Green』というホテルです。(このホテルはこのインドの旅の中で私が一番気に入ったホテルでした)
 9時半夜ご飯はホテルにあるレストランで。
 左巻さんには不服なことにビールがありませんでしたが、なんとカレーでないものがいろいろあります!いくらおいしいといっても、ちょっとカレーでないものが食べたくなっていたさまき隊の皆は、カレーでないものを頼みました。
 私はここのレストランのオリジナルパスタです。何年ぶりにスパゲティー食べたんだろう?って気持ちでした。幅広の麺だったんですが歯ごたえもあってチーズたっぷりで、すごくおいしかったです。
 夕食後さまき隊でネットスペース貸し切り状態でした。(使えるPC全部で6台だったので)みんなメールしてました。
 私も家に『あけましておめでとう』と『見たら返信して』と。
 後者はやっぱりまだ返信がなかったので。
 いくら心配していないといっても返信がないと、伝わっているかいないか分からなくて私が困るので。
 そしてお風呂に入って寝たのですが、このジャイプールのお風呂は昨日のアーグラーよりさらにいいものでした。なんと、シャワーのお湯の温度調節ができるのです!すばらしい!!『日本に帰ってお風呂のお湯に浸かったらまた感激だろうなぁ』と思いました(^^;)


●1月3日(月)8日目 - インドで私は外国人 -
 昨日の夜、私はあまりに眠くて、相馬さんがお風呂へ行っている間に寝てしまったのですが、相馬さんが洗濯をしたらお湯があまりにいっぱい流れて、お風呂から部屋の方まで流れてきてしまったようで、お風呂のドアと部屋の出入り口あたりが水浸しでした。この部屋は排水が悪いようです。
 『今日の夜もここで泊るので気をつけないと…』
 そして朝一番に相馬さんが床拭きを頼みにいってくださいました。
 8時朝食という話でしたが、左巻さんが出てこない…。この間に私は昨日桑嶋さんから聞いた番号に、reconfirmについての問い合わせの電話をかけに行きました。予約センターの大阪支店だったんですが、電話すると、「ではこちらでリコンファームしておきます」と。本当にほっとしました。(後から聞くと現地でないと無理ですと言われる航空会社もあるそうで、ほんと、マレーシア航空でよかったです) これで心配事は何もなくなりました! 思いっきり楽しめます(^^)v
 朝食はパン、ジャム、マーガリン、スクランブルエッグなどがワンプレートに乗ったものでした。なんか…『ナンと食パン以外のパン』ってものを久しぶりに食べた気がしました。
 そして9時に観光に出発予定で準備。途中でオートリキシャーに乗り、City Palaceへ。このオートリキシャーに乗るまでに色々な鳥を見ました。
 ここで見た鳥で私が今名前を覚えているのはヤツガシラだけなんですが…。(青野さんがインドで見た鳥をまとめてくださっているので、http://www.wisdom96.com
の資料集でどうぞご覧になってください)
 城壁に囲まれた旧市街の方は本に載っていた通り、建物の壁が赤っぽい色の土が統一して使われています。『これがピンクシティ』と思いながら辺りを見回していました。
 City Palaceでは武器や布、衣服など色々なものの展示館、今もマハラジャが住む住居、クジャクの装飾が施された扉を見て回りましたが、私が気になったのは、お土産屋さんでした(^^;)
 絨毯や宝石もありましたが、気になったのはそんなものではありません。
 鳥の絵です。
 『…こんなとこに来てまで鳥か…』って自分で思わずつっこんでしまいましたが、すごいんだからしょうがありません。一番気に入ったのはカワセミの絵でした。細かな所までしっかり描かれていてほんとにきれいでした。1800Rだったかな…?結局、頭が円でなくルピー計算になってしまっている私には、高すぎて買えませんでした。
 でも外で売っていたハンコは買ってしまいました。最初おじさんは「250Rで1つ」と言っていました。「そんなんだめ、買わない」と言うと、「いくらなら買うか」と言われ、「20Rだ」と言うと、「それは無茶だ」と言われましたが、結局ずっと交渉して、3つで100Rってことになりました。青野さんと相馬さんと1つずつ買いました(^^)
 シティパレスの外でもハンコ見つけましたが、外での値段を知りたくなくていっさい近寄りませんでした。『…きっと安いだろうから』と(ーー;)
 次はジャンタルマンタルへ。
 私と玉井さん、左巻さんはNDで規模の小さいものを見ましたが、やっぱり『世界最大の日時計』といわれているだけあって、すごく大きかったです。比較できたのはよかったです。日時計の両端にある建造物には登れたので登りましたが、段差がものすごく大きい!『昔の人はどれだけ足が長かったんだろう?』と思ってしまうぐらいです。(大きさがそんなに変わるわけない)
 そしてここでもさまき隊(Wisdomメンバー)は力を発揮。ここではすごく大きなアリを見つけてしまいました。インド人にまた笑われてしまいました。
 バラナシはシルクで有名でしたが、このジャイプールは小さな鏡がたくさん付いている布地が有名だそうで、布屋さんにはそういった布がたくさん並べられていたのですが、とてもきれいでした。欲しかったのですが、『布ばっかりあってもなぁ』と思ってやめました。
 そして次は風の宮殿へ。でもここは思っていたよりも何だか奥行きのない建物で、「見るだけでいいか」ということになりました。で、腹ごしらえに行くことに(^^)
 今日の昼ご飯はバターナンとチーズカレーです。本当は、私は『ほうれん草とチーズのカレー』を頼んだんですが、どこかで間違えられたようでした。いい固さのチーズととろけるチーズの2種類入ってましたが、おいしかったです(おいしければ間違われてもいいです)。あのチーズはなんというチーズなのでしょう?分からないままです。ほんと、おいしかったなぁ。
 それと思いきってバナナラッシーを頼んでみました。左巻さんに薦められたんですが、かなり大きなバナナが入っていておいしかったです。(左巻さんもそうですが、私もバナナ好きです)
 そういえばインドで高級レストランに何度か入っていますが、その中でも『トイレットペーパーが付いているかいないか』というのも店のランクの分かれ目かなと思いました。いいレストランには全部付いてました。
 午後からはアンベール城です。目標はゾウに乗ること!
 風の宮殿前からバスに乗りました。
 この電車の中でなぜか大量に赤唐辛子を持っている女の子が乗っていました。青野さんに「あれすごいですよ」と言って、2人で見てました。あの赤唐辛子はどうなるんでしょうね?…辛いだろうなぁ。
 あと、きれいなサリーを着て、腕輪・足輪をつけた女の子が2人乗っていました。『サリーは買ったけど腕輪も買わなきゃなぁ』と考えたりしていました。
 アンベール城到着(といってもこれから丘の上まで行かなければならない)。
 アンベール城は大きな湖の後ろにある丘の上にどっしりと建っていました。
 これから丘を登るのですが、ゾウで登れるらしいので、『ゾウで登ろう』と決めていました。しかし1頭のゾウに乗れるのは4人まで。
 私たちは5人です。(左巻さんは別行動をすることになっていたので5人です)
 「どうにかして5人乗せてくれないかな?」と話し合いながら、ゾウ乗り場へ向かいました。途中歩いている1頭のゾウを見つけました。
 「5人で乗せてほしい」と言うと、あっさり「いーよ」と。
 しかし、行き先を聞かれて「あそこに見えるアンベール城」と指差すと、「それはだめだ」と断られてしまいました。
 そこでもうしばらく歩くとたくさんのゾウがいる広場が見えてきました。
 ここで相馬さんは車にひかれそうになりました。
 あの車、ほんとに危なかったですね。
 ゾウ乗り場ではきれいにペイントされたゾウが何匹も並び、自分の順番を待っていました。私たちは列に並び、とりあえず順番を待ってから、「5人で乗せてほしいけどいいですか?」と聞いてみました。「無理だ」と、やっぱり断られてしまいました。
 左巻さんはアンベール城には数回行っているため、アンベール城には行かず、30分程さらに丘を登った場所にある、ジャイガール要塞へ行くということで、
 ゾウ乗り場で待ち合わせ時間(5時)だけ決めて別れました。
 他の人との乗り合わせも考えましたが、結局は2人と3人に分かれてゾウに乗りました。私は相馬さんと一緒でした。
 ゾウには一階分くらい階段をのぼった高い所にある乗り場から乗ります。ゾウが乗れるように上手く横付けしてくれます。私と相馬さんはゾウの左側に前後になって並んで座りました。相馬さんが前だったんですが、あとからたくさん鼻水を浴びていました(^^;)
 ゾウはまたウマとは全然違った乗り心地でした。体の上に乗る場所がついていて、その乗り心地も違うんですが、ユッサユッサといった横揺れの感じで山を登っていきます。(ユッサユッサよりもドッシドッシという感じでしょうか?)
 途中写真屋さんが「こんな写真を撮ってやる」と言って、ゾウに乗った写真を見せてきましたが、無視です。お土産屋さんにもたくさん会いました。塀の上に乗って目の高さを合わせようとしている人もいました。
 その人たちがすごいと思ったのは、日本人には日本語、英語圏と思われる人には英語で、『お?!』と思うような変わり身の早さで売り込もうとしていたことです。言語の切り替え早いなーと思いました。きっと『韓国人には韓国語』というように、「前を行った友達も買ったよ」とか、「○個で○Rだよ」というような、売る為に必要な言葉は何か国語も話せるんでしょうね。
 運転手(って言わないよなぁ…なんて言うのかな?)のおじさんは、とても気が利く人なようで、私と相馬さんが景色を見て「きれいー」なんて言っていると、少し止まって写真を取る時間をくれたりしました。
 さっき相馬さんが鼻水を浴びたと書きましたが、ゾウがたくさん鼻水を飛ばしてました。くしゃみだったんでしょうか?
 そしてゾウに乗って数分、アンベール城のジャレブチョークと呼ばれる宮廷の前庭に到着しました。ここでもゾウのタクシーがたくさん並んでいました。(帰り道をゾウで下りるお客の為にです)
 降り場に降りてしまう前に、小出さんに1枚写真を撮ってもらいました(^^)
 そして、降りた時にゾウの運転手のおじさんが一言「ゾウにチップをお願いします」と。(後から青野さん曰く「上手いこと言うなー」って。確かに)
 相馬さんは10R、私は5Rをあげたのですが、ゾウに直接渡してあげたのです。どうやってかと言うと、鼻で受け取ってくれるのです。すごく可愛かったです(^^)v
 相馬さんは紙幣だったので受け取りやすかったようですが、私のコインは受け取りにくそうでした。落としてました(^^;)近くにいた人に拾ってもらって、もう一度あげました。次は大丈夫でした。
 そして鼻を撫でさせてもらい、写真も撮らせてくれました。
 アップで顔と鼻を撮りました。撫で心地ですが、、、ゴワゴワしてました(^^;)毛も生えてました(当たり前なんですが)。そう、初めてゾウに触りました!
 青野さん達にチップを上げた話しをすると、「そんな人がいるからたかってくるんだよなー」とまず一言。
 『?』と思って聞くと、なんと、150Rもチップをくれと金額まで言われたそうです。私たちが上げた金額(合計15R)を聞いて「なんだ、そんな金額なの?」と言われました。
 サービスのことも聞いて、「いい運転手だったね」とも。『当たる運転手で全然違うなぁ』と思いました。
 そしてアンベール城を見学。一番すごかったのは鏡の間です。小さな鏡が所狭しと壁と天井に埋めこまれていました。王様はここでどのような暮らしをしていたのか…。
 奥の方へ行くと、ハーレムだった場所がありました。私は下の広場へは降りずに、2階にあるハーレム周囲をぐるっと囲んでいる廊下から見下ろしていました。一周した所で青野さん、相馬さん、玉井さんに会いました。(みんな適当にバラバラで見学してました)
 左巻さんとの待ち合わせ時間も近づいていたので、そこから一緒に出口へ向かいました。途中、親戚一同で来ているのか、インド人大家族の集団に会いました。1人のお父さんと思われる男性が子供に挨拶しておいでと促していました。そして子供が「Happy new year」と言って挨拶してきてくれました。「Happy new year」と笑顔で返すと、他のお父さん達はうちの子供も!という感じで(^^;)どんどん挨拶をすることになりました。
この時、『あぁ、私は外国人なんだなぁ』と思いました。
 最後に1人のお父さんがカメラを取り出し、子供達と一緒に写ってくれと言われました。私にとっても願ってもないことだったので一緒に撮ってもらいました。
 もちろん私も青野さんにカメラを渡して子供達と写真を撮りました。後で写真を見て数えてみると子供の数は8人。小さい子ばかりでした。やっぱりかわいかったです(^^)v
 あと、1人のお父さんと少し話もしました。これまでの旅の話をしたりしたのですが、最後に「よい旅を」と言われて別れました。
 そろそろ左巻さんとの待ち合わせ時間だから、ここを出て行かないといけないのに、小出さんが見当たらない…。
 ちょうどいた場所から前庭が見えたので見てみると、左巻さんの姿が!左巻さんもこちらに気づいた様子だったので、「小出さんがいないんです」と伝えると、「小出さん、もう来てるよ」と。ということで、4人ですぐに外へ出ました。
 ゾウで来た道とはちょっと違った道(人用の道です)を下りました。こちらでもたくさん土産を売る人がいます。置物を見せて「10個で100R」などと言って、売りつけてきます。全部無視して進みましたがかなりついてきてました。小出さんははがきを買おうと思ったらしいのですが、お金がすぐに出せなくてやめたみたいでした。(あとで買っておけばよかったと後悔したそうです(^^;))結構いいはがきだったそうなので。
 下に降りるとちょうどバスが来て乗り込みました。バスは結構人がいっぱいで、立って乗っていました。結構揺れたりしたので頭を打ってしまった人もいました。
 ホテルについたのは6時を少し過ぎていました。
 今日の夕食はホテルにあるレストランではなく、外へ食べに出て、ビールを飲もう!と左巻さん。6時半頃夕食を食べに出かけました。(小出さんは少し体調不良なようでホテルに残ってらっしゃいました)
 久しぶりに私もビールを飲みました(^^)おいしかったです。で、ここで料理の選択に失敗したのが玉井さんと私でした。玉井さんは「ものすごく辛い」と言われていたのに、「食べてみる」と言って注文していました。
 私も結局同じ料理を頼んでしまっていたんですが、同じものだとは分かってませんでした(セットになっていたので)。そしたらほんとにものすごく辛くて、「食べ物か?」と言いたかったくらいです。今まで食べた中で一番辛かったです。半分も残してしまいました。
 玉井さんはこの後、このせいで体調を崩してらっしゃいました(ーー;)
 最後にチャイを飲んで帰りました。
 とても気を使ってサービスをしてくれるお兄さんがいたので(ものすごく辛い顔をして食べていると、「混ぜるといい」と言って、ヨーグルトなど渡してくれました)そのお兄さんにチップを渡して帰ろうということにしたのですが、渡すと、それはそのお兄さんにというのではなく、お店にということでもらわれていきました。まぁ…そんなもんなのかもしれませんが、あのお兄さんにもらってもらいたかったです。
 ホテルへ戻り、今日もネットでメールしました。
 今日は桑嶋さんへリコンファームできたことの報告とお礼もしておきました。
 部屋に戻ってから、今日はちょっと眠さがましだったので…寝たのは11時くらいでした。


●1月4日(火)9日目 - 懐かしのメインバザール -
 朝の5時半くらいに外で音楽が鳴っているのに気づき、そっからそれがどうしても気になってしまい、結局6時には目が覚めてしまいました。
 今日も8時朝食。今日は昨日と違ってセットではなく、単品で頼みました。
 食べたのは、バナナハニークレープとプレーンオムレツです。このクレープにはバナナを縦半分に切ったものが入っていて(一本分)、たっぷりハチミツがかけられていました。最近辛いものばかりでこんなに甘いものを食べたのは久々だったので、ものすごく嬉しかったです。…おいしかったなぁ。オムレツもおいしかったです。
 今日の予定はサリスカ動物保護区です。ここジャイプルからバスで移動します(帰りはその同じバスでアルワールへ)。
 左巻さんと玉井さんは私がインドへ到着する前に1度行ったので、なんとこの旅の中だけで2回目です。前回はトラが見れなかったようなので、「今回は見たいなぁ」とおっしゃっていました。
 私もとても期待していました。
 私と相馬さんは朝食前に出発準備を終わらせていたので、さっさと外に出て10分ほどひなたぼっこしていました。そうそう、ここジャイプルの空はとてもきれいだったのです。いい気持ちでした(^^)
 バスの時間は10時20分。ジャイプルの中央バススタンドという所から出発します。
 9時半少し前にホテルを出発し、歩いてバス停へ。
 途中何度も地図を見ていったんですが、少し道を間違いました。
 でもバス停には余裕で10時には着いていました。
 バスはすでに来ていたのでカウンターでチケットを購入し、さっさと乗り込みました。そう言えば、バスは指定席でした。インドでバスの指定席があるとは思いませんでした。 いつだったか「こっちに乗れ」と言って、運転手の隣に左巻さんと玉井さんが座ったこともあったし、(普通お客さんそんなとこ座らないですよね)…インド人はみんな小さなすきまでもどんどん座ろうとするし。
 このバスの走っている間の約2時間半(予定)、私はほとんど寝てしまっていました。
(昨晩の睡眠時間は7時間。それだけでかなり健康的です。…このインドの旅で私は寝だめです)
 『周りの風景とかもう少し見とけばよかったなぁ』と、今になって思います。
 さて、サリスカに到着したのは1時20分頃。
 バスはちゃんと時間に出発したのできっかり3時間かかりました。
 辺りは砂地と樹木のみ。建物が見当たりません。
 寝ている間にこれまでとはかなり違った所へ来てしまいました。
 でもここの空はジャイプルよりももっと青くてきれいです。そして空気がとても気持ちよかったのです。(メインバザールは思い出したくないです(^^;))
 このサリスカの動物保護区は、もともと、アルワールのマハーラージャのハンティング場だったそうです。
 ここでは『プロジェクト・タイガー』という、保護プログラムが行われているということでした。ここについてまず何をしたかというと、やっぱり食事でした(^^;)
 タイガーデン(Tiger Den:トラの巣穴)というホテルが近くにあり、そこのレストランで食事をさせてもらいました。
 そのタイガーデンへ行く間の道で、青野さんが何か綿毛のついた実を見つけていました。ガガイモの一種だそうです。
 このタイガーデンホテルは花が咲き誇っていました。たぶんブーゲンビリア(ブーゲンビレア)だったと思うんですが、濃いピンクと白の花がとてもきれいでした。相馬さんは押し花にされていました。
 このレストランの食事はダルマサラ(豆カレー)とパニール(チーズ)のカレーと豆とニンジンのカレーだったかな?のバイキングでした(たぶん)。チャパティー(全粒粉を水で練って薄く焼いたもの)もありました。ナンでもそうですが、焼きたてのがやっぱりおいしかったです。そう言えば後からもう1つ鍋が出てきていましたが、私はそれを食べていないので…何だったか分かりません。
 調子が悪い小出さんと玉井さんは食べていませんでしたが、私はチーズのカレーを少し追加して食べてしまう程おいしかったです。確か左巻さんも何かおかわりしていました。 2時半頃ジープで動物保護区を回る手配をして、いよいよ出発です!
 6人全員で乗れてよかったです。 2台になると、『1台目は見れたのに、2台目は見れなかった…』ということもあるそうなので。
 ここで色々な動物を見れましたが、…トラは今回も見ることができませんでした。すごく残念です。
 でも、何の動物だったか忘れましたが、トラが近くに来ていることを示す、『警戒音』を発しているのには出くわしました。その声が聞こえる近くまで行ってしばらく待っていたのですが、…やっぱりだめでした。もう一度行って次こそ見たいなぁと思います。
 そうそう、ここでも鳥をたくさん見ました。Indian Pond Heron,Black Stork,Indian Peafowl,Rufous Treepieなどなどです。(これらも青野さんがまとめてくださった http://www.wisdom96.com の資料集に画像があります)
 この中のRufous Treepieという鳥は、ちょうど折り返し地点にたくさんいたのですが、玉井さんが朝ご飯で食べきれず包んでもらってきたパンを、人間の手から食べました。
最初にやったのは左巻さんなのですが、私もやってみました。
 そしてその瞬間を写真にも撮りました(^^)
 引き返している時に行きに見た湖のちょうど反対側を通ったのですが、その時に見た空と湖とがあまりにきれいで、「あれ、飛行機雲ですよね?」と誰にということもなく声をかけました。
 すると、運転手さんは止まってくれて、みんなで撮影タイムになりました。
 湖に雲や飛行機雲がきれいに映って何とも言えない景色です。
 しばらく見ていると、さらに2機の飛行機が雲を作りながら飛んでいきました。
 日も少しずつ暮れてきていていました。雲は少し赤く色づいていました。
 もうすぐ3時間サファリツアーも終わりです。
 今回、サルのハヌマンラングールなど、初めて見た動物も多く、(実はジャッカルも実物初めて見ました。ほんとキツネみたいでした)とても楽しいサファリツアーでした。
 日頃野生動物を見る機会が少ない私には貴重な体験です。でも…やっぱりトラ見たかったなぁ(^^;)
 今回ジープを運転してくれた運転手さんはとてもいい人で、バス停までジープで送ってくださいました。(これが普通なのかな?)
 でも、小出さんも体調が悪いし、時間に余裕もあまりないし、ジープでそのままアルワールへ行ってもらった方がいいかな?という相談をしましたが、すぐにバスが来ました。なんていいタイミング!と思って乗り込もうとすると、なんと超満員。
 朝の通勤ラッシュのようです。玉井さんが乗り込もうとされましたが、6人乗るなんて到底無理なので乗ることをあきらめました。この時5時40分くらいでした。
 6時を過ぎてしまうと電車に乗り遅れてしまう可能性も出てきます。
ここで6時までにバスに乗れない場合はジープで送ってもらうことにして、もう少しバスを待つことにしました。が、来そうにないバスを待つのはとても不安でした。きっとみんなも不安だったと思います。
 誰だったか、「ジープ、もう頼みに行きましょう」と言って動き出したそのときでした。道の向こうの方からバスがやってきました!5時50分ちょっと過ぎてさっきのバスに比べると、すかすかのバスに乗ることができました。
 座っているおじさん達はかなり詰めてくださり、私達を座らせようとしてくださいました。私は一番後ろの座席、途中から左巻さん、相馬さんも横に座り、話をしながらバスの時間を過ごしました。
 途中どこかのバス停にに止まったときだったか、乗客全員総立ちでギャーギャー騒ぎ出しました。何のことだか分からないし、話している言葉も分からないしで、ほんとに怖かったのですが、しばらくして全員座り、何事もなかったかのようにバスは走り出しました。(後から1人前の方の席に座っていた青野さんから聞いたのですが、ワインをかなり飲んで酔っていた男性が周りの人にバスから引きずり降ろされたんだそうでした。その時足はバスの中に引っかかっているのに、無理に押し出されようとした為に頭は地面、足はバスの中という、体が逆さになった状態になったまま蹴られたりしたそうです。あぁ恐ろしい…。インドで酔っぱらっちゃだめですね。酔って電車で寝てしまって終着駅まで行く…なんて、問題外でしょうね(ーー;))
 約1時間でアルワールのバスステーションにつきました。
 が!問題発生です。アルワール駅が分かりません。
 バスのチケットセンターで聞くと、「歩いてではなく、リキシャーで行け」とだけ言われます。でもこの周りにはリキシャーも見当たりません。しばらく明かりの大きな方へ歩いていくと、数台のリキシャーがいました。でもサイクルリキシャーが多かったです。
「仕方ないな」と言って交渉しようとしても、…英語が通じない!!衝撃でした。
 特急が停車するような町なのに英語が通じないなんて。ここにいた人たちだけなのかもしれませんが。
 すると、後ろからきた少し若い人が英語が話せたようで、アルワール駅まで連れて行ってくれることになりました。で、運のいいことにその人はオートリキシャーの運転手でした。ここでサイクルリキシャーだったなら間に合わなかったかもしれません。思ったよりもかなりアルワール駅は遠く離れていました。昼だったならもしかしたらどうにかなったかもしれませんが、真っ暗だし、時間が限られていたので、この人が声をかけてくれてほんとによかったです。
 駅には7時に到着しました。
 私たちの乗る電車は7時半発の予定です。
 駅の待合室のような所で電車を待ちました。電車を待っている間、2人の子供に会いました。この電車のホームで暮らしている様子でした。薄い布にくるまり寒さをしのいでいるような。この子供達に気づく前、私は柔軟体操をしていました。(今日1日ずっと乗り物に乗っていた為に体を伸ばしたかったからです)
 そうしてはっと気づくと、私の後ろでその2人の子供が私のまねをして、柔軟体操をしていたのです(まねていたのは上半身だけでしたが)。その体操をしている2人の表情があまりにも屈託がなく楽しそうで、私は最初『どうしたらいいのだろう』と思ったのですが、その2人は楽しそうにしているのにやめるのもなぁと思い、今度はその子達を見ながら続けて最後の体操までやっていました。腕を回したり伸ばしたり楽しそうな子達を見て、やっぱりどう言っていいのかわからない複雑な気持ちが起こります。
 青野さんが一言、「ただ笑って見てていいのかな?」と。
 本当にその通りだと思いました。『何かできることがあるだろうか?』と考えずにはいられないのですが、この時にこの場で自分にできることを思いつくことはできませんでした。ただ見守ることしかできませんでした。
 この2人のうちの弟の方は私の柔軟体操のまねが終わると、今度は前転をし始めました。これはお金の為ではありません。これまでに後方転回やら色々体操の技を披露して、お金をもらおうとする子供に何人も出会いましたが、今見ているこの子は違います。自分の遊びで前転しているのです。なんて言っていいか分かりませんでした。拍手すればよかったのでしょうか?こんな時にこんな子達になんて声をかければいいんでしょう?何もせず見ない振りするのがいいんでしょうか?私はずっと頭の中で考えていました。
 この子たちのお母さんは最初から布を頭から被って寝ていたのですが、そこに向かって前転してお母さんにダイブしてました。そしてまたニコニコ笑ってました。今度はお母さんの足下へ行って布を引っ張って潜っていきました。
 そうしているうちに電車が来て、その場を離れましたが、最後、この弟とは目が合って手を振って分かれて来ました。この少しの間に色々な事を考えさせられました。
 乗車すると何と席に誰か座っていました。前の席の人や他の席だった人が誰もいないからと勝手に座っていたようです。座って少しして水をペットボトルで持って来てくれました。そう言えばインドのペットボトルはどれもフニャフニャでした。500mlのペットボトルを1本持っていって、ずっと入れ替えて使っていたのですが、インドの人とどこかで話した時にも、「いいペットボトルだ」と褒められました(あ、Vivekでだ!)。
 しばらくして夕食が運ばれて来ました。「Non-VegかVegか」と聞かれましたが、私はNon-Vegにしました。チキンのカレーと豆のカレーでした。
 ここで出されたヨーグルトは今までと違って、日本で言う3個パックのヨーグルトみたいに、ある程度固まっていて甘いヨーグルトでした。おいしかったです(^^)v
 最後デザートにアイスが出たんですが、小出さんが「いらない」と言って私にくださいました。『インドダイエット』という言葉が頭に浮かびましたが、もう無理だなとあきらめましたv おいしかったです。生クリーム冷凍したみたいな味でした。きっとあれは乳脂肪分かなり高いです。
 そしてダイエットの文字とはかけ離れた行動にでます。睡眠です。食べた後、すっかり寝てしまいました。
 ND駅に到着したのは11時半。左巻さん達とインドで最初会った日の到着時間とだいたい同じです。ここまで来たらもう知っている所です。夜中のND駅のホームを抜け、リキシャーのたくさん通る通りを横切り、メインバザールへ。この少し静かなメインバザールは最初1人で通った日と同じ…かと思ったら少し違っていました。
 こちらを出たのは年末でしたが、年が明けて色々な電飾で通りがライトアップされていたのです。きれいでした(^^)
 そして見慣れた我が家…じゃない、Vivekホテルに到着。
 ほんと空気や町の汚さはこれまで行って来た街に比べて、格段とひどくなった気がしますが、 何だか懐かしく、『帰って来たー』って感じがしました(^^;)
 部屋に入って時計を見るともう12時でした。左巻さん達の部屋で明日の予定を確認すると、相馬さんは少し具合が悪いようで先に寝てしまいました。
 私はお風呂に入ってから寝ました。(また水でした…。でも相馬さんが使った朝はお湯が出たそうです。相性が悪いのかなぁ)


●1月5日(水)10日目 - みんながショックを受けたChiken inn ?
 朝食は久々のDiamond cafe。
 トマトとチーズの入ったホットサンドとオムレツを頼み、オムレツもホットサンドに入れて食べました。かなりおいしかったです(^^)v
 今日は国立博物館へ。
 左巻さん、玉井さん、私は一度行きましたが、私には全部回れていなかったので良かったです。今度は全部見れました。
 朝、調子の悪い左巻さんと小出さんは、後からオートリキシャーで博物館まで来るという事で、博物館の方で12時に待ち合わせをして、
 他4名は10時半頃に徒歩で出発しました。
 途中コンノートプレイス近くの本屋へ寄ったのですが、ここでみんなで探し物です。
もちろん探し物は『When there is no doctor』です。でもここにはありませんでした。
そして私はここで一冊の本を衝動買いしてしまいました。この前バラナシでサリーを買った時に『リキシャー代をケチったりしても、こんなとこでパーっと使ってたらだめだよなぁ』と思っていたんですが、今回も買ってしまいました。
 買った本は『A Photographic Guide to the BIRDS OF INDIA』という、インドの鳥類図鑑です。写真と簡単な解説付きで、英語で解説がたくさんあるわけではなところが、私にちょうどいいと思って購入しました。…約1000Rでした。(マレーシアで乗り継ぎの時に空港で同じ図鑑のマレーシア版を見つけ、あやうく衝動買いする所でした。こちらは踏みとどまりました(^^;))
 このせいでいきなり貧乏になってしまいました。もう両替しなくていいかも…と思っていたのですが、しないといけなくなりました(ーー)
 コンノートプレイスからの道のりは思ったよりありました。30分程かかったでしょうか。途中エアーインディアのビルの赤砂岩の壁を見たりしながら歩きました。
 私たち4人が国立博物館へ辿り着いたのは12時半頃。
 左巻さん達2人の姿は…ありませんでした。しばらく博物館の玄関ホールで待っていたのですが、来ないようだったので、『もしかしたらもう入っているのかも』と思って博物館へ入りました。
 博物館では2時半に中庭で待ち合わせをして、バラバラに見学をしました。
私は前に見た所は行かずに、見ていない2階から見始めました。
 1階と同じような神像があったり、武器や民族衣装の展示がありました。
 今回私が気に入ったのは楽器の展示です。1つ取り出して弾かせてもらいたいなぁと思いました。Varanasiでシタールを勉強しているという人や、モルチュンと呼ばれる口琴(金属でできた笛のようなもの)を吹く人、太鼓(タブラでした?でも見たのは2個組じゃなかったと思うのですが) を叩く人、といろんな楽器をする人に会いましたが、その人達の持っていた楽器もありました。
 私が一番弾いてみたいのはシタールです。でも弦が20本程もあるので、6弦のギターも弾けない私には無理ですね(^^;)小出さんはあの太鼓が気になっていましたよね。
結局買わなかったようでしたが。
 本当はバラナシで私は口琴を買って帰ろうと思っていたのですが、移動する日、すっかり買う事を忘れていました。残念。
 だいたい全て見終わった頃に左巻さんに会う事ができました。12時半頃は博物館の外を見て回っていたそうです。(私たちが全然来なかったので(^^;))
 みんなが見学を終えた後、ガーンディーの博物館へ行こうということになったのですが、その前に…腹ごしらえです。
 もう3時になっていました。今日の昼食はChiken innです。
 そういえば前回来た時には気づかなかったのですが、Chiken innに行く前、博物館の外に出た時に大きな木造のreligious chariot(だったかな?山車のようなもののようです)が置かれていることに気づきました。これは宗教的な行事に使われていたようなのですが、壁面にはカジュラーホーにあるような彫刻がたくさん彫られていました。(私はカジュラーホーには行っていませんが、左巻さんが「ここにあるようなものがある」とおっしゃっていました)車輪もついていたのですが、あまりに大きいので、動いている所を想像できませんでした。乗ってみたかったです。
 さて、Chiken innですが、このレストラン、かなり分かりにくい場所にありました。
 『歩き方』の地図の上ではとても分かりやすく、大通りに面しているように書かれているのですが、実際にはとても入り組んだ所にありました。
 かなり辺りをウロウロしてそこら辺にいるインド人にも尋ねたのですが、結局自分たちでは見つける事ができなかったので、オートリキシャーに乗って(また6人で乗って)行ってもらいました。行ってみて、『あの地図の書き方はないよなぁ』と思いました。
 私はここではチキンカレーを頼みましたが、他の人はバターチキンを頼んでいる人が多かったです。なぜか…もうみんなカレーを食べたくなかったからです。
 『バターチキン』は『チキンをバターで焼いたもの』が出てくると、信じて疑う人はここにはいませんでした。そして出てきたものは…なんと、カレーでした!私はそれを頼んでないので『カレーだったの?』と、びっくりはしましたが、まぁ…他人事でした。
でも当事者はかなりのショックだったみたいです(^^;)もうカレーはいらないと思ってそれを頼んでいたんですから。『どんなものでもちゃんと聞いて頼まなきゃいけないなぁ』と思いました。
 ここで食事をしている間に、ガーンディーの博物館の閉館時間になってしまいそうだったので、そこへ行くのは明後日に延期になりました。
 5時に店を出て歩いてインド門へ向かいました。
 Chiken inn の外ではたくさん土産物を売る人たちがいて、それを撒くようにして急いで歩いたのですが、青野さんが一言「子供がついてきている気がする」と。ご名答で、「1Rちょうだい」と言う子供がついてきていました。何度出会ってもどうにもならない気持ちになります。結局あげる事なく振り切りました。
 しばらく歩いてインド門近くまで来ると公園がありました。とてもきれいに整備されていて、遊具もたくさんありました。中にいるのは当然、とても裕福そうな子供達です。
駐車場も完備です。車で来る人しかいないかもしれません。
 さっきの子供と公園の中にいる子供を見てというのではなく、インドに来てずっと思っていたのですが(口には出すことはありませんでしたが)差別があまりにも当たり前にあることが衝撃でした。『どこをどうすればいい…』なんて、簡単に片付くものではないと思い知らされました。
 インド門近くでもお土産を売っている人がたくさんいました。ここで青野さんがおもしろいものを見つけてしまいました。プロペラにゴムを引っ掛けて空高く飛ばすおもちゃです。そのプロペラはクルクルと回りながら降りてくるのですが、売っていた人がものすごく高く飛ばしていたのです。
 青野さんはこの時とてもいい顔(売り手に明らかに『いいカモがきた!』と思われるような顔)をしていました。早速青野さんは売り手と話をして8つで100R払っていました。払ってすぐ他の同じものを売っているお兄さん?2人がもの申してきました。「自分達は同じものを25個100Rで売る」と。青野さんはすぐに辺りを見回したそうですが、さっきの売り手がいるはずがありません。さっさとどっかへ逃げたそうです。そうやって稼いでいるんでしょうね…。私はこの25個100Rと言っている人から購入しました。25個も買ってどうしよう…とも思いましたが、クラスで遊べばいいか。と思って。青野さんもまたこの人から買っていました。そして相馬さんも買いました。
 これだけ買うとその人は調子に乗って「もっと買え」と言ってきました。「もう25個も買ったよ」と言うと、「今度は30個で100Rでいい」と言います。「さっきは25個だったじゃない、おかしい」と批判すると、3個くれました(^^;)インド門を観光している間、彼らはずっとついてきていました。もういらないと言い続けていたのですが、その後も彼らは数を増やしながら売ろうとしていました。
 最終的には50個になったのですが(青野さんが最初に買ったのがどれだけひどいかよくわかります)青野さんと話し合って半分ずつ買う事にしました。この時歩きながらでしたが50数えて入れてもらいました。見た感じ何か少ないなぁとも思ったのですが、そのときは気にしませんでした。
 そうそう、玉井さんは上手に買い物してました。このおもちゃを1つと縦笛、横笛1本ずつ購入してました。
 この後ここから帰るのに、バスに乗ろうと考えていたのですが、ちょうどインドの人たちも帰宅時間のようで、帰宅ラッシュでとても私たちが乗れるようなバスの状態ではありませんでした。それでもインド人の皆さんは乗っていましたが。『あれは降りられない』と思いました。
 そこでリキシャーを探しました。が、全然捕まえられません。通るリキシャーは全部人を乗せています。かなり時間が経ってようやく1台捕まえる事ができました。私と左巻さん、小出さんが乗り、先にメインバザールへ帰りました。Vivekに辿り着いたのはもう6時半もとっくに廻って、7時になろうとしている頃でした。
 しばらくして青野さん達も戻ってきました。
 そこでホテルのロビーで青野さんと買ったおもちゃを分けたのですが、確かに50個入れてもらったはずだったのに、数えてみると、37個しかありませんでした。(最後にお兄さんが手に持っていた2個を、「それもおまけで入れてよ」と言って入れさせたので、35個しかなかったことになります)相手はかなり上手だと思いました(ーー;)この後部屋に戻ってちょっと休憩したのですが、荷物を見て『やばい』…と。このおもちゃがどう考えてもかなりかさばります。『持って帰るの大変だろうなぁ』とは思っていましたが、リュックを見ると状況は深刻でした。サリーやらなんやら色々お土産がいつの間にか増えています。
 これから香辛料を買いに行かねばなりませんが、ちょっと少なめに買った方がいいかなぁと、この時はそう考えていました。8時頃、香辛料を買いに、左巻さん以外の5人で出かけました。Metropolisの斜め前辺りにあるスパイス屋さんなのですが、店のおじさんがかなり恰幅のよい人でした。店にはとても色々なものがおかれていて、私には初めて見るものがかなり多くありました。とりあえず青野さんが「日本じゃ買えない」と言っていたもの全部買ってしまいました。さらに『マサラ』という、ここのスパイス屋さんのオリジナルブレンドのスパイスを、カレー用400g、チャイ用100g買ってしまいました。
 最初『少なめに買おう』と思っていたことは、いつの間にやら忘れてしまっていました。(やっぱり)結局スパイスは1000R以上買ってしまい、もうこの日の宿代も払えなくなりました…。そして一度宿へ戻り、Diamond Cafeで最後の晩餐です。(といっても私はビールしか飲まなかったですが)長い長いと思っていたインドの旅も明日には帰る人がいます。『いつの間にそんな時間が経っていたのか…』でもとてもいい時間の流れ方でした。日本ではこんなにゆったりとした時間の流れをなかなか経験できません。さすが『インドだよ!』です。少々時間にルーズでも気にならなくなりました。(学校が始まるとこれではDon't!ですが(^^;))
 お風呂は今日もお湯が出ませんが、もうお湯が出ないのには慣れてきました。
 相馬さんと一緒の部屋で寝るのも今日が最後。『明日は一人かぁ』と思いながらシュラフに入りました。


●1月6日(木)11日目 - インド最後の夜 -
 今日は青野さん、小出さん、相馬さんが日本へ帰国します。
 『インドさまき隊も解散かぁ』と思うと、少し寂しい気持ちになりました。
 相馬さんは朝早くから帰る用意をしていました。
 私は自分の身支度だけでよく、早く用意ができました。なので、昨晩宿代を払うお金もないほどお金がなかったので、先に部屋を出て、朝一番で両替をしました。(宿代は相馬さんに立て替えてもらってました)朝から両替所のお兄さん(おじさんだったんでしょうか。年齢分かりません)はすごく元気でした。「日本のどこから来たの?」に始まり、「これまでNDにいなかった間にどこへ行っていたの?」や、『歩き方』の本を見ながら「このインドの地名は日本人はどう読むの」など、かなり長い間話したように思います。
地名の読み方を日本語読みして、なぜかものすごく笑われました。Old Delhiを「オールドデリー」というように言っただけなんですが。でもとても話し好きな人で話せて楽しかったです。
 朝食はDiamond Cafeでハニーナンを食べたのですが、甘すぎました(><)甘いものは好きですが、朝からこれはいらないと思いました。(でもこの旅で朝からカレーを食べられるようになってしまいました)そういえば、小出さんがハニージンジャーティーを頼んでいたのですが、とてもおいしそうで、明日はこれを頼もうと密かに決心してました。小出さんはジャイプルで泊っていたホテルのレストランで飲んでから、これにはまっていたそうです。
 今日帰国組とは午前中でお別れです。最初にラールキラーへ行って、チャンドニー・チョークで解散という予定になりました。帰国組は大荷物を持っての観光です。
 9時半頃、メインバザールからオートリキシャーに乗って出発。滞在組の左巻さん、玉井さん、私は先にリキシャーを捕まえ、一足先にラールキラーへ。このラールキラーへの途中の道で、ジャマー・マスジッド(とても大きなイスラム教のモスクです)も見る事ができました。今日は木曜日なので集団礼拝はありませんが、(『歩き方』によると金曜が礼拝の日だということです)あたりには多くの人がいました。
 ラールキラーへは15分くらいで着きました。リキシャーを降りてすぐに地図を売り歩く人が「買ってくれ」と寄ってきました。いつもなら無視して歩いて行く左巻さんが、地図が必要だと感じたのか、その地図を買っていました。
 帰国組の到着を表の広場の大きな木の下で待ちました。木にはたくさんのリスがいました。インドへ来てからこの光景が当たり前で、もうリスを見慣れてしまいましたが、『日本へ帰るとこれも見れないんだなぁ』と思って見ていました。
 そういえば写真は撮り損ないましたが、ここにはトンビがたくさん飛んでいました。
 しばらくして帰国組と合流してラールキラーへ入りました。ラールキラーでの集合時間は12時という事にして各自見学しました。入り口のラーホール門で身体検査されました。これもこの旅行中に色々な所でされたのでもう慣れたんですが、日本ではどんな博物館や観光地へ行っても身体検査なんてないので、『治安の問題だろうなぁ』と思っていました。日本は安全な国である事をこんなところでも再認識させられました。
 門を入って行くと、すぐに90度曲がった通路がありました。これは万国共通の城門建築の定番なのだそうですが、今まで気にした事がなかったので、そのことを初めて知りました。
 この通路にはお土産屋さんが立ち並んでいました。宝石やネックレス、腕輪を売る店が多いように思いました。(自分が『腕輪が欲しい欲しい』と思っていたからかもしれませんが)するとこの通路、かつては宮廷の女性達の為のショッピング街だったそうです。この通路を抜けると、一般謁見の間です。(これまでにたくさん見てきたので、この言葉のヒンディー語『ディーワーネ・アーム』と、貴賓謁見の間の『ディーワーネ・カース』は覚えてしまいました)『歩き方』の中に写真があったシャー・ジャハーンの玉座は、実物を見て、その大きさに驚きました。少し大きめのイスの大きさを想像していたのですが、座るところで『オシリの大きさぐらいだろう』と思っていたところは畳2畳分程の大きさがありました。高さも結構ありました。
 このディーワーネ・アームの後ろには、ディーワーネ・カースや博物館が並んでいました。
 この博物館ではムガル時代の衣服、武器、絵画などがあり、インド人も多く見学していました。
 何だったか忘れましたが何かの展示の前で、インド人夫婦と一緒にその展示を見ていたのですが、その夫婦に見ていた展示についていきなり話しかけられました。「これは細工がきれいですよね」というような感じで。その後も話をして、最後はさよならと日本語で挨拶して分かれました。知っている日本語「こんにちは」「さようなら」など、とても嬉しそうに話してくれました。私も嬉しくなりました。
 また、ここでも私は分からない単語を電子辞書で調べていました。(“ivory”が“象牙”だとか)すると、いくつぐらいでしょう?6人程のグループで来ていた10代半ばくらいの男の子達が、珍しげに電子辞書を見てました。結局この子達とずっと一緒に展示を見て回りました。私が辞書を引くたびに辞書を一緒に見てました。私が「なるほどね」というのをおもしろそうに聞いてました。『…すいませんね、英語分からなくて』と思ったり(ーー;)あと、英語でですが説明もしてくれました。(下に書いている事とかでしたが(^^;))こんなことも楽しかったです。
 そして庭園をぐるっと回って入り口の方へ向かいました。待ち合わせの時間にはまだ20分あったので、ナウバート・カーナという大きな門があったのですが、上にいけるようだったので階段を上がって行きました。するとここも展示室になっていました。ここには武器の他に昔の電話や通信機、手榴弾の起爆装置等がありました。この起爆装置はまっぷたつに切られたものが展示されていたのですが、こんなものを見た事がなかったのでおもしろかったです。
 『この門の上からディーワーネ・アームが見えるかなぁ』と思っていたのですが、周りは全く覗ける窓がなく、見えませんでした。一応窓らしきものはあったのですが、警備員の後ろだったので見に行くのはやめました。
 ここから降りて行くと、ちょうどみんなが出口の方へ戻ってくるのと出会いました。
 みんなでここから出て、次にチャンドニー・チョウクへ向かいました。
 ここでは正月だからか、パレードが行われていました。タンバリンを持って踊りながら進んでいる子供達や山車を引く大人、着飾った子供の乗ったハリボテのクジャクを押す大人達などなど、いくつかの団体がありましたが、色々な学校が出し物をしているように思いました。(…でも大人だけのところもあったかな?)
 片方の車線でのみパレードが行われていたのですが、私たち、さまき隊メンバーは中央分離帯の所まで行って見ていました。そうしているうちに12時過ぎになって、帰国組の3人とここで分かれました。
 残留組は帰国組と分かれた後、このチャンドニー・チョウクの電気用品店街を歩き、来た道をまたパレードを見ながら戻って、今度はまたオートリキシャーに乗って自然史博物館へ向かいました。ここでさっき左巻さんの買った地図が役に立ちました。リキシャーのおじさんが国立博物館と間違いそうだったので。この地図には地図だけでなく観光地の住所録も載っていたのです。今回も的確な判断でした。
 さてこの博物館では4階にわたり、展示があるのですが…全然更新されてないんだろうなぁと思いました(^^;)展示物のガラスがくもっていたり、階段が中庭のようになっている所にあって、