ここがロドス島だ、ここで跳べ!
学生時代、議論するなかで“ここがロドス島だ、ここで跳べ!”という言葉がよく出てきた。この出典は、イソップ寓話だ。それを思い出して、さっき「いま、ここで跳べ!」なんて書いてしまった。(^_^;)
ある五輪選手が「ロドス島ですごいジャンプをした、証人もいる」と言ったら、その場にいた人が「そんならここがロドス島だ。ここで跳べ」と言ったという話。言葉よりも事実で示せってことだ。
検索したら、瀬戸伶さんという人のブログに次があった。
http://hicrhodus.blog89.fc2.com/blog-entry-31.html
(引用開始)「その気になったら簡単だ」、「条件が揃えばちゃんと出来る」、、「自分が本気を出せば他愛もないさ」、二千年以上の時がたっても、人は変わっていないが、でも、そういうことはその時代から、みっともなく、恥ずかしいことだった、ということは救いだと思う。(引用終わり)
今回は、市民が不安に思っていることを発信できる科学コミュニケーションの場をつくるのが夢というので、本当に夢なら前へ前へとすでにすすめているはずという、ぼくの思いがあった。
まあ、いちいちMLに書くようなことじゃなかったと、ここまで書いてきて反省。
「遅れている本の原稿を早く書けよ。そのほうが一般の人や子どもたちへ科学をしっかり伝えることになるぞ」という内なる声が聞こえた。(^_^;)
まあ、九割五分くらい体調が復活したということで。(^_^)
某科学教育系MLに投稿:
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左巻健男です。
スレッドを変えました。
生産的な情報交流(MLは議論には向かないと思います。どうも中途半端になりやすい)になるといいのですが。
わが国の問題の一つは大人の科学リテラシーが先進諸国の中でとても低いことですね。知識理解が弱いです。また科学技術への関心も弱いですね。
GMへの不安も他の諸国と比べると不安感が大きいですが、食や農の専門家の**さんが言われるようにそこに遺伝の科学的理解などが弱いということが横たわっています。
その大人は子どものなれの果てですから理科教育を見直す必要も大いにありますね。
ぼくはそういう問題意識で、検定外理科教科書を有志200名でつくりました。また、理科教員でさえも地球温暖化懐疑論のなかの不健全なものにころっとやられたり、ぼくの『水はなんにも知らないよ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)に示したように(朝日新聞読書欄に大きく紹介されました)「水伝」なるものにはまったりしています。
何でも疑えばいいのではなく、健全な懐疑精神が必要と思います。
そして科学コミュニケーション業界は関係者が内輪化しており、理科教育からの科学コミュニケーション以外は、あまりうまくいっていないように見えます。(などということをこの前**さんと話をしました。少しぼくのブログに入れてあります。)
一応、ぼくはJSTの科学コミュニケーション推進会議委員なので気になっています。
ぼくにとっては『RikaTan(理科の探検)』誌 http://rikatan.com/ は、一般の大人との科学コミュニケーションの場だと思います。
ただしそこの参加者は主婦の人でも科学リテラシーが平均より高いですけど。
ぼくは昨年は国立天文台の科学コミュニケーター養成講座の講師もしたのですが、その修了生が何人か『RikaTan(理科の探検)』誌の委員になって記事を書いたりしています。早大でも講師をしたのですが、そちらはアカデミック志向のようです(早大は本を2冊出しました。そこにぼくのも収録されています)。
よくサイエンスカフェや消費者向けの講座の講師に呼ばれますので、科学の基本知識(本物!)を土台にした科学コミュニケーションをすすめていきたいと思っています。
**さんの「場」も夢に終わらせたら駄目ですね。「いま、ここで跳べ!」ってとこですね。(^_^)
自分がやっていることは全体の中のほんの部分だという意識ももちながら、さまざまな方法で、さまざまな場をつくっていくことですよね。
*拙ブログもご覧いただけると幸いです。
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