来週のスケジュールを手帳に書き込んだ。「分」刻みで動いている超多忙者と比べるとスカスカだと思うが、ふつうの大学教員、ふつうの学校教員と比べると超多忙の部類だろう。本当なら本務の大学の仕事だけでもこなしている(それに研究などもプラスして)だけでも結構充実して過ごせると思う。どうもぼくの場合、大学の仕事の何倍かの仕事を抱えている。いや、それらは大学の仕事と無関係ではない。学校の理科教育、一般人向けの理科教育、科学コミュニケーションなどの仕事だからだ。
中学校3年生の頃、「君はこのクラスで成績が最低だ!」といわれ(本当は下から二番目)、痩せこけて弱々しい少年だった。やっとの思いで工業高等学校工業化学科に入学。
そこでも落ちこぼれていくつかの追試を受けて高校2年生になった。16歳だった。
ぼくは3つの致命的弱点を持っていた。
・学力が低すぎ
・人とうまく関われない・人とうまくしゃべれない・友人がとても少ない
・手先が不器用・体力が弱い
16歳は思春期である。自分の未来を描いてもそこに小さな灯りさえも灯っていなかった。「いったい自分はどうなるのか…。」 不安と恐れが支配していた。本は少しは読んでいたのでイマジネーション力はあったと思う。暗い未来。
そのとき、世の中を知らないぼくはほんの少し足を前に出そうとしていた。「化学の研究者になろう!」
工業高等学校工業化学科にいて、専門の化学をよくわからなかったが、化学は好きだった。実験はとくに好きだった。
世の中を知らないぼくは人とあまり関わらずに一人化学の研究室で試験管などを振っているのが化学の研究者だと思ったのだった。「それならぼくでもできるかも知れない。しかし、ある程度の大学に行かなくてはダメだろう、できれば東大がいいだろう。」とは思った。英語も数学も国語も、専門の化学でさえ、大学受験のレベルではなく、その工業高等学校工業化学科でも下のほうだった。東大は無理でも東工大に、などと考えた。それなら数学を何とかしなくては。
2つの選択肢があった。
「中学校数学からやり直す」というのが普通だと思うが、それだといつまでも高校数学に行き着かないような気がした。「よし、高3の数学を独学しよう!」
できるだけやさしい高3の数学の参考書を買ってきた。
例題が丁寧だった。しかし、ぼくは例題の解き方の1行目から2行目、2行目から3行目に行かないのだ。当たり前に使っている数学のやり方を理解していなかったからだ。
5分もたたないうちに鉛筆を投げ、参考書を投げた。
しかし、数学を何とかしなくては大学に行けない。
いつしか、30分、1時間…と集中できるようになっていった。
(続く)