ぼくは今年の3.11大震災を西表島ジャングル横断を終わってからのバスの中で知った。ラジオのニュースと運転手さんの話から。
つまり、地震のときジャングルの中を歩いていたのである。
その記録は以下にある。
アラカン夫婦のテント担いで西表島ジャングル横断1〜3
http://d.hatena.ne.jp/samakita/20110404/1301868731
http://d.hatena.ne.jp/samakita/20110404/1301870954
http://d.hatena.ne.jp/samakita/20110404/1301903216
この横断がしたいと思ったのは、伊藤碩男『西表島 森と生きものたちの詩』(そしえて 1983)という小さな本を読んだことからだった。20年余以上前のことである。
その本に「3 西表島横断」「古見から山道をたどって西表島を横断できるコースがあると聞いた。足の早い人で10時間ほどかかるという。」文章から始まる横断記があった。軽装の3人はイノシシ道と人の道が交錯する中を歩いて夜中に川にぶつかる。ちょうど満潮時で魚のエサを採りに来ていた小船がいて、里まで乗せて貰ったという記録だ。
「そうか。今にぼくも横断してみよう」と思った。
実は、古見から入る道は廃道で使われていない。隣の集落、大原から入る。(あるいは逆コース。)そして、軍艦岩で遊覧船に乗る。
何度も西表島に行っているのに、西表島横断がしたいと思いながら時間が過ぎていた。もっと若い頃なら体力も有り、朝出て夜には横断が終わる日程がとれたかもしれない。
今は体力も弱くなり、肥満体の身体になった。
「これ以上、挑戦を延ばしたら、もう横断は無理だろう」と思って2011年3月10日にテントを担いで挑戦したのである。
いま、ツレとぼくの夢は西表島に移住することである。
障害は、ツレとぼくのそれぞれの80歳代の母親の存在である。
どうせ、初めは千葉県の家と西表島とを行ったり来たりする生活をすると思うので何とかなるだろう。それから西表島メインの生活になり、健康状態などが悪化したら千葉県に戻るということになるだろう。
今年小さな会社をつくろうと思っているので、西表島の家は会社の保養所として借りてもいい。西表島にいても原稿執筆はできるだろう。
今年の夏は西表島に行って、物件をちょっと探してこようと思う。船浮の民宿「ふなうき荘」の奥さん(3月まで小学校教諭)が「なくなった母親の家が残っている。見てみますか」と言っていた。いまでも空いているだろうか。