左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

本稿は『理科教室』1985年5月号の特集論文として執筆。

* 先生“おもしろかった!”
 たいへんなテーマの原稿を引き受けてしまった。
 やや精神的な落ちこみがつづいていたある日、同学年の先生に「左巻さん、元気ないわね」といわれてしまった。
 「たいした授業をやっているわけじやないのに、“子どもたちに魅力のある理科の授業”という原稿を書かなくてはならないんだ」
 「ふ一ん。でも、左巻さんの授業は子どもをのせるって評判よ。子どもをのせる授業って、このごろ難しいのよ」
 この言葉で、少し明るくなった。
 新任で埼玉県大宮市立春里中学校に勤めてから、はや10年がたつ。東大教育学部附属中・高校に勤めはじめて2年。本校では勤めてすぐ中学l年生を担任した。授業は、中学1年の第1分野と高校化学を担当。その中学1年生とは、2年間つきあった。その子どもたちが書いた授業の感想も、私を元気にさせてくれた。
《入学してから今まで、本当に楽しませてもらいました。先生、ありがとネ。とくに中1の入学当時の暗かった私にとって先生の授業は学校での楽しみの一つ(オーバーかナ?)だったんですョ!
 先生の理科は、子どもの意見をたくさんとり入れてて、本当、最高。時々、家での出き事、世間話なんかもしてくれたりして、楽しかったァ。教え方も上手だし、おこる時はおこる。もうGOODTEACHERです。
 もしも、私が教師になるとしたら、先生みたいになりたいよ!(おせじじやないからネ)》(○○知子さん)
《私は、テストにおいて理科一分野は得意とはおせじにもいえませんが、へたの横好きというか理科一分野が好きなのです。なぜか、理由はよくわかりませんが、きっと授業の形態だと思います。先生の授業方法は、問題を解き、子どもたちの意見を出し合う、そして答えを・・・または、問題を出して、子どもたち目身の手で実験し、答えを導く。
 もし、ここはこうで、そこはこう・・・という右から左への一方通行の頭痛とねむ気しかおそってこない授業だったら、私はきっと今以上、すてきな点数ばかりという子になっていたでしょう。・・・》(○○紀子さん)
《左巻先生の理科の授業は、中学2年までの小学校の授業を入れても一番おもしろいものでした。小学校の理科は、いつもTVでごまかされ、実験なんてものは、まったくといっていいほどやりませんでした。・・・“ある日、授業で私が手をあげ、左巻先生にさされ、答えたら、先生は、「この説明は高校生レベルの説明だよ」とおっしやってくれた時の感動は、今でもはっきり覚えています。その一言で、私はどれほど救われたか。理科系に進みたいなあと思ったのも、その一言がだいぶ影響しているのです。・・・》(○○陽子さん)
 もちろん、みんながみんな“おもしろかった”といってくれるわけではない。それでも私の授業をたのしんでくれた子どもたちの存在がうれしいのである。
 よしっ、書くぞ!と決意して、いま書きはじめたわけである。
(1) 退路を断つ
 春里中学校の教壇にたった年の夏に開かれた科教協全国研究大会(九州雲仙)への参加が私の自主編成授業への出発点だった。それからというもの科教協埼玉支部の例会に毎回出席するようになった。授業の内容や方法が変わっていった。はじめは、仮説実験授業の授業書をつかって授業をした。それから、自主編成の授業へとむかった。そのなかでわずかずつでも“授業”の力量がついてきた。
 本校での理科の授業びらきは、自己紹介と決意表明だった。
 「小学校のとき、理科がきらいだった人?」
 かなりの子どもたちが手をあげた。彼らの前には、身長180cm、体重80数kgの教師が立っていた。彼らは、不安と期待でいっぱいだったことだろう。
 「ぼくは、これからちょっと変わった授業をやっていきます。教科書はほとんどつかいません。でも、心配しないでください。ここにいる大部分のひとは、ぼくの授業で理科が好きになります。理科の力もつきます。・・・授業というのは、先生もがんばる、君たち子どももがんばる、それで効果があるのです。いっしょにがんばってやっていきましょう」
 この決意表明は、自らの退路を断つものであった。ただし、悲槍な気持ちなどこれっぼっちももたなかった。教師も子どももたのしめてやりがいのある授業をゆったりした気持ちでやっていこうと決意したにすぎない。
(2) 保健室から体童計を運んで
 最初の授業は、「物の質量と体積」である。
 この授業で、私の授業がどういうものかを子どもたちに理解させる必要がある。何事も“はじめ”が重要だ。
 ガラガラ音をさせながら、保健室から体重計を運んでいった。
 「物には質量(重さ)がある。逆に、質量があれば、それは物である。“系”に物がつけ加われば、その物の分だけ系の質量が増える。系から物が出ていけば、その物の分だけ軽くなる。系に物の出入りがなければ(変化がおこっても)系の質量は変わらない」
 という内容を初歩的にでも理解させようとしていたのである。
 私は、ゆっくりとつぎのように話す。
 「これからみんなで考える問題をいうよ。問題は、ノートに問題と書いて、問題文を書いたら、線でかこんでおきなさい。では問題をいおう。
 ここに、体重計があるね。はじめ、両足で体重計にのって目盛を読む。つぎに、片足になる。片足になると、両足のときと比べて目盛の読みはどうなるか?
 問題文の意味わかった?それでは、問題を書き、その下に<自分の考え>と書いて、結果の予想と、どうしてそう予想したか、どんなことでもいいから考えたことを書きなさい」
 教師になりたてのころ、私は書きこむための余自をとったプリントを配って授業をしていた。
 プリントを作る労力はちょっとたいへんだったが、作ってしまえば授業はラクだった。授業展開のレールがしっかりとしかれているからである。だが、私は玉田泰太郎さんの授業をみる機会があった。大いに影響されて、私の授業論は、仮説実験授業の授業論や玉田泰太郎授業論などとのゴッタ煮のようになってしまった。私の授業論をほぐしていくと、みんな借りものかもしれない。しかし、形式をマネようとは思わない。それぞれの授業論の精神をこそ、とり入れたい。私は、“私らしい”理科授業をやっていきたいのだ。
 玉田泰太郎授業論を知ってから、私は資料や読みもの、練習問題のプリントを作っても、授業展開のためのプリントは作らなくなった。子どもたちは、ノートを自分たちで作っていく。
 問題を書き、自分の考えを書き、<他人の意見を聞いて>を書き、実験の内容や結果、わかったこと、教師の説明を書く。ノートは、子どもたちの主体的活動の結果として書かれるものなのである。
 しかし、教師の板書を写すのになれきった子どもたちにとっては、私の授業は突飛なものだったことだろう。
《私は、初めて先生の授業をうけた時、ついていけるかとっても不安だった。なにしろ教科書を使わず、しかも、めったに黒板にかかないとなると、やはり不安になる。・・・だんだんコツがつかめてきたのか、だいぶ授業がわかるようになってきた。そして2年になると、もっとなじんできて、楽しく授業が受げられるようになった。最初のあの気持ちもあまりなくなってきて、この授業が理科一分野のふつうの授業だと思った(はじめはこう思っていなかったりして・・・)。》(○○洋子さん)
 一般に、教師は焦りすぎである。発問してから、すぐに答えさせようとする。1分間も待てないのだ。ノートに自分の考えを書かせるようになって、彼らが考えたり、書いたりする時間に、私は彼らのノートを見てまわったり、つぎの作戦を考えたりした。時にはボーッとして頭と体を休めた。ノートに自分の考えを書かなくても焦らない。ノートを書かせることが授業の本筋ではないからだ。授業は、子どもたちの内なる“常識”を打ち砕いて、科学的認識を獲得させることが主なねらいなのだ。大部分が自分の考えを書けないようなら、問題が適切なものではなかったのだ。彼らが、それまでに授業や体験で得た認識レベルで、彼らなりに解決可能で、とりくむ価値を見い出せる問いかけかどうか、問題の質を再検討しなければならない。
 プリントをつくる労力からは解放されたが、問題(主発問)を考えること、それを系列化することに頭をしぼらなければならなかった。時として、私は問いかけのまずさから途中で立往生してしまうような苦境に何度も立たされた。さて、体重計をつかった問題は、
 「体重計にふんばってのっているときと、静かにのっているときでは?(選択肢)」
 「A君は体重50kg。では、A君が体重30kgのB君をおぶって体重計にのったら、目盛は何kgを示すか」とつづいていく。
 そのうえで、「体重50kgのA君が食べ物や水を1kg食べたり飲んだりしたら体重計の目盛は何kgを示すか」という問題をだす。
 「ちょうど1kgふえて51kg」という子どももいれば、「ほとんどふえない」とか「0.5kgくらいふえる」とか、いくつかの予想がでる。全員が51kgという予想だったら、「そうなる」と本当に自信がある人に手をあげさせ、手をあげていない人に「どんな点で自信がないの?」と聞いたりする。 少数意見から子どもたちの意見を発表させ、討論をする。
 実験では、実際に1kgの水を飲んでもらう。どのクラスも、やってくれる子どもがいるものだ。実験結果と、わかったことをノートに書かせる。
 さらに、私が“おすもうさんの新弟子試験は体重の基準があって、少し足りないと水を飲んで試験にのぞむ”とか人間の1日の体重変動について説明する。
 ここまでで体重計をつかった授業は終わる。この先、まだ「物の質量と体積」の授業はつづくのだが、どんな授業かを一応イメージされたであろうか。 その後2年間で、「密度」「状態変化」「力」「圧力」「純物質と混合物」「金属」「化学変化」「電流回路」の単元をやっていった。
* 授業運営について
 私は、授業運営でとくにつぎのことを大切にしたいと考えている。
(1) 何でもいえる雰囲気をつくる
 学校には、正答主義という、おかしな考えがいきわたっているような気がしてならない。
 正答主義とは、正しくないと答えとして認めず、まちがいをバカにする考え方だ。ハイッ、ハイッといきおいよく手があがるが、さされた子どもがまちがうと周囲から笑いがおこり、まちがいをいった子どもは下を向く・・・なんて光景がよくみられるのである。
 日頃から「教室はまちがえるところ」「間違えながら大きくなっていく」ということを言い、まちがいの発言に対しても、教師は、具体的に、その考えのするどさを見い出してほめたり、条件が違えば、そのまちがいが正しくなることや昔のェライ学者の名をあげて同じまちがいだと説明してやったりして、正答主義におかされている子どもたちに「間違いのすすめ」をしよう。たとえば、「結果として間違いだったけれど、Aさんがその考えをいってくれたので、みんなは、問題をずっとよく考えたよね。みんなの頭のなかにもAさんと同じ考えもあったんじやないかな。それをはっきりいってくれたAさんてエライね」などと。
 このことと関連して、少数意見を大切にし、ある意見をバカにするような笑いや言葉にはきびしく対応し、ひとそれぞれの精一杯の意見をしっかり聞くようにさせる。まわりにうまく伝わらない意見は、その意見を読みとった子どもに助け舟を出させて、代わって説明してもらう。いちいち教師が要約して解説してやると(時には必要なこともあるが)、子どもの発言をしっかり聞かなくなる。
(2) 全体に気を配る
 この問題を学級集団全体で考えていこうと、教師が問題(主発問)を提示する。問題の意味を、全員にわからせなければならない。問題の意味がわかったかどうかを確認する。時々、質問によって条件を限定しなければならないこともある(問題があいまいだったということ)。
 問題が子どもたちの内面にとどいているか、内面をゆり動かし考えようという気にさせているか、そのへんをよくみつめたい。
 限られた子どもたちどうしで討論が流されて他の子どもたちがわからない顔をしだしたら、「他の人は、今の意見、わかったかな?」とさそい、「みんなにわかるように意見をいってごらん」と、討論をみんながわかるレベルにひきもどす。
(3) ワンバターンをさける
 子どもたちは多様である。みんなと意見を言いあうことにおもしろさを感じる者もいれば、自分たちで実験することにおもしろさを感じる者もいる。子どもたちの多様な要求がどこかで満たされるような授業をやりたいと思う。
 授業のねらいを達成するのに、内容によっては討論に時問をかけたり、あるいは実験に時間をかけたりする。内容にふさわしい形態があるはずだと思うのだ。
 お話や読みものをとり入れたり、子どもたちの読みものづくりをさせたりといったことが効果的になることもある。
 「化学変化」の単元の授業が終わったとき、好きなグループをつくらせて、2時間、化学に関する自分たちがやってみたい実験をやらせてみた。子どもたちは、カルメ焼き、熱気球、化学カイロ、火山、三ヨウ化窒素の爆発、ラムネ等々にとりくんだ。宿題もワンパターンをさけた。
 “今考えると、浮沈子作りや、結晶作り、一番苦労したカルメ焼き作りは、とても楽しいいい思い出です。先生の宿題にはいつも悩まされましたが、面自いものばかりでした。”(○○恵理子さん)
 各単元の終わりに、高校入試問題レベルの問題解説を行ったこともある(「浮力」「電流回路」など)。
(4) 実験の効果を高めるのは教材構成
 子どもたちは実験が好きだ。ただし、“実験をやらせさえすればたのしい、おもしろい”ということにはならないだろう。実験の意味がわかり、その実験そのものにおもしろい要素があり、実験から何かがわかる、あるいはその実験から認識がさらに深まるという条件をそなえた実験をやりたい。
 そして、たとえば、液体窒素でいろいろな物質を冷やす実験のように、子どもたちが目を輝かすような実験は、単にそれだけで終わらせるのではなく、授業の流れのなかに適切に位置づけて最高の効果を発揮するようにしたい。塩化ナトリウムを融解してみせるとか、液体窒素でいろいろな物質を冷やして気体を液体にしたり、液体を固体にしたりしてみせる。それを教師の単なるお話と結びつけてやるのはもったいないと思うのだ。
 子どもたちが融点・沸点を物質界に切りこむ認識の武器として獲得していくような教材構成、問題の系列をつくる。授業の一連の流れの中で「塩化ナトリウムを液体にすることができるか」という問題がだされる。日常生活では、食塩の液体なんて見たことはない。それまで融点・沸点を学んできているので、「融点から考えて800℃以上にすればできる」という者と「食塩水を熱して塩が残ったが塩は融けなかった」という者。それで実験してこそ、無色透明の美しい液体に感動し、そして融点・沸点についてさらに深く理解していくのだと思う。100ccのビーカ一に20ccほどエタノールを入れて液体窒素をそそいでガラス棒でかきまぜると、ガラス棒に固体のエタノールがついてくる。このような実験は、融点・沸点についての認識を確固としたものにするためにやりたいのだ。
 どうやったらよいか、皆目見当がつかない単元も多い。
 でも、私は思う。子どもが学習の主体者なんだという立場にたって、子どもの発想、意見を大切にしながら、彼らなりの認識にゆさぶりをかけて科学的認識をどうつくっていくかを考えつづけていけばいいんだと。一挙にすごい授業なんてできるようにはならないのだ。
 気持ちが晴々としてきた。今年度は、高校化学の授業をやりがいのあるものにしたい。さあ、教材研究をしよう。(左巻便男)