左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

最初のベトナムの旅15日間(2006年冬)【その1】

●ドクちゃんにお子さんができたというニュースを見て、2005年12月〜2006年1月の15日間、ベトナムを旅したこと、ドクちゃんにも会ったことを思い出しました。
 その後、ベトナムには同志社女子大学のゼミ生たちとホーチミンに行きました。また旅したい国の一つです。(左巻 健男)


ベトナム1日目−ドクちゃんはやんちゃ
12/23/2005


 無事にホーチミンの国際空港に着陸。
 荷物は35Lのバッグ一つに詰めました。未だ余裕があります。
 むっとする暑さです。ぼくの格好はベストにブレザー。ハノイは寒いということでハノイ向けの格好をしてきました。
 ブレザーを脱ぎました。それでも暑いです。
 バイクの行き交う道路を、バスでドクちゃん、ベトちゃんがいる病院に向かいます。デラックスバスに10人。
 ドクちゃんが玄関付近に迎えに来ています。
 まず平和村や病院の説明を聞きました。ドクちゃんはPCを操ってパワーポイントの画面を切り替えていきます。
 平和村はとくに枯葉剤の影響と見られる奇形児をサポートしています。ドクちゃんはその幹部とのこと。
 子どもたちを見ると、とくに水頭症の、体の中で異様に大きな頭など奇形は正視に耐えません。本当に枯葉剤ダイオキシンの影響かどうか議論のあるところだと思いますが、奇形の事実は衝撃です。
 ベトちゃんは寝たきりですが、ドクちゃんはやんちゃです。1本足ですが健常児よりも活発に動きます。いろいろやんちゃなこともやるそうです。帰るときにバイクでバスを先導してくれました。
 市場を見学してから、夕食はベトナム日本友好協会の人なども含めて高級料理店で。
 非常においしかったです。
 いま、日本時間は午後10:50ですがベトナムは午後8:50。これから少し夜の町を散策しようと思います。
 無事にベトナムに着いたことを報告しておきます。
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ベトナム2日目−ベトナム戦争に感じるもの有り


 1日目夜は野村さん、長谷川さんと散策。街はクリスマスの賑わい。若い女性たちがクリスマスツリーの前で写真撮影をしています。
 ドンコイ通りを歩いていくと公園で民族楽器の演奏を始めるところでした。それを聞いて帰ってきました。
 サイゴンホテルの朝食はバイキング方式。まずはフォー(うどん)を。
 他にジャンボタニシならなにやらたくさん食べました。全部がおいしかったです。
 ホテルの料金を見るとこれで3ドル。うーん。安すぎです。(インドでもそうですが日本と比べてはいけないですね。ホーチミン市民の平均月収2万円ほどですから。)
 2日目は、まずベンディン(ホーチミン市西北60km)のクチトンネル見学。ベトナム戦争時にゲリラ戦で大きな役割を果たしました。 デラックス大型バスで向かいます。
 車窓の風景は市内からはずれると田んぼです。水牛が水浴びしていたりします。
 着いたらビデオ視聴。村民が解放戦線の兵士となって米軍と戦う様子です。モノクロで映像は悪いですが、日本語版なのでよくわかります。学生時代、米国のベトナム侵略反対の活動を少しやったぼくとしては解放戦線兵士の戦いぶりに涙が出てきました。
 林の中に入っていくとあちこちに爆弾でえぐられたところや塹壕があります。
 射撃場があるのでその音が雰囲気を上げていきます。
 実際のトンネル内の一部を体験できます。大きな欧米人も体験できるように実際のトンネルよりは広げてありますのでぼくでも入れそうです。それでもぼくはその区間約100mを這って進みました。これ、夏だったら辛かったろうな。
 昼食はレストラン「インドシナ」で。
 戦争証跡博物館は、ベトナム戦争の写真の展示を見入ってしまいました。
 あと、トラの檻(拷問の部屋)。
 バン副館長さん(女性)と戦争体験者(語り部)の話を聞きました。
 国内空港からハノイへ。機内食が夕食。
 ホテルではクリスマスパーティ。お客さんたちがダンスに興じていました。
 わがグループは片隅でブーメランをやっていたな。
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ベトナム3日目−毎日お腹いっぱい


 今日は、THANH XUAN 平和村を訪問。115人の障害児を預かっています。とくに多いのは知的障害児。ダイオキシンによる塩素挫創(クロルアクネ)が顔面に出ている女の子がいました。日本で二度手術を受けたとのこと。
 ダイオキシンの影響はあと30年は続くとのベトナムの専門家の話も紹介されました。
 野村さんたちがブーメランを一人一人に渡して遊びました。
 ホー・チ・ミン廟を参詣。一柱寺も見学。その後シクロの体験乗車。
 昼食はレストラン「ナムフーン」。各国のVIPも訪れるという名店の一つらしいです。
 そこでベトナムに長く住んでいる小松さんの話を聞きました。痴呆症のお母さんを連れてきてベトナムで面倒を見ています。ベトナムで第二次大戦後に日本に帰らずにベトナムに残った日本人兵士たちを追って「引き裂かれた家族」をテーマに調べているとのことです。
 バスでタインホアというハノイからかなり南に下ったところへ向かいました。
 3時間40分かかりました。着いたホテルは4つ星の高級ホテルであるサオマイホテル。
 ホテルでは明日明後日の打ち合わせをしました。
 前のタインホア市のディエンビエン区の区長は元はベトナムに長くいて家族を残して帰った大阪在住の杉原さんの息子さん。その息子さんが大阪を訪ねたときに父は息子に「何かできることはないか」と言ったところ「小学校がほしい」ということで小学校を贈る活動がなされて小学校が設立されたとのこと。それが明日訪問するディエンビエン第二小学校です。
 その息子さんは今は区長をやめビジネスを行っているとのこと。
 夕食はホテルのレストランで。
 ゆでたお肉を各種の葉っぱで巻いて食べるのが珍しかったです。維管束の丈夫なもの、小枝がついているものなど、本当にこの葉っぱ類は食べてよいのものか迷うものでしたが、ぼくはばりばりむしゃむしゃ食べました、「左巻さんが明日どうなっているのかが楽しみ(心配?)」と言われました。
 今までの中で最もビールの値段が安かったです。2本飲みました。 いやあ、今夜もお腹がいっぱい。(とくに葉っぱ類で…。)
 でも、日本から乳酸菌と納豆菌をふくんだ整腸剤をもってきて飲んでいるので大丈夫だと思っています。
 明日は小学校友好訪問で、いろいろものづくりなどを指導する予定ですが、杉原さんの息子さんのファミリーが結婚式ということでそれにも顔を出すように言われました。ベトナムの結婚式も体験できるとは!
 デジカメを持っていった(ソニーサイバーショット)のにPCにつないで取り込むケーブルに不足があり使えないのが残念です。
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ベトナム4日目−ベトナムの小学校訪問


 外は小雨。この時期に雨が降るのは珍しいとのこと。
 ディエンビエン第二小学校に訪問。ホテルから歩いても近いのですがデラックスバスで。
 着くと子どもたちが両側に整列して歓迎。太鼓隊も。
 校長さんらと打ち合わせをしてから子どもたちと交流。美術の授業を見たりしました。子どもたちは教員の言うことをよく聞き、ぱっと動きます。数十年前の自分の小学校時代を思い出しました。
 ノートにも実にきれいなアルファベットの筆記体が並んでいます。 中休みに歩いて数分の場所で開かれた結婚式に出席。
 ベトナムの結婚式は南と北では(というか地域によって)様子が違うようですが、親族の挨拶やプロの歌手の歌などもあり、ぼくらも日本の歌を歌いました。
 昼食は給食をいただくと聞いていたのですが、給食だけではなく正月料理のチマキなども出、さらにウォッカまでも。校長さんが率先してウォッカを飲んでいました。
 昼食後の日本側の授業では、ぼくは野村さん、長谷川さんのフィルムケースオカリナやブーメランなどを手伝いました。
 野村さんはやり方をベトナム語に訳したプリントを配って、それにフリガナをふったものを読み上げていましたがほとんど通じていないようでした。
 子どもたちは非常に素直に感動してくれます。
 ぼくらは囲まれてサイン攻めにもあいました。
 先ほどまでホテル近くの市場を見てきました。思ったよりも広く、野菜や魚、肉など各種が所狭しと並んでします。昨夜、レストランで出た夕食のお肉が何か話題になったのですが、「ヤギ」ということでした。しかし、市場で一番似ていたのは犬の肉でした。本当は何だったんだろう?
 豊富な食材に圧倒されました。生きたカエルも束になっていました。
 あと1時間ほどで夕食ですが、ディエンビエン第二小学校と明日訪問予定のディエンビエン中学校の関係者10人ほどと交流会にもなっています。
 お腹がすいてきました。
 これからロビーに行ってINETにつなごうと思います。
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ベトナム5日目−中学校訪問


 今日は中学校訪問。
 ベトナムは小学校5年、中学校4年です。
 中学校1年生(日本では小学校6年生相当)は連立方程式が板書されていました。
 中学校3年生の数学の教科書には二次方程式の根の公式の導出展開が載っていました。結構レベルが高いです。
 地理の授業を参観した後、宮さん@長岡技科大 が指導者の「万華鏡づくり」を手伝うことに。
 80%グリセリン水溶液の中をビーズ玉が落ちる様を角度30度で(つまり360度が12分割)見るものです。結構贅沢なもの。
 終わった後、真鍮製の額縁に入れられた子どもたちが描いた絵を貰ったのですが、旅を続けるにはそれをどうしたものか悩んでいます。 お昼を食べたら5時間バスに揺られてハイフォンに向かいます。
 バクダンホテルで岡本さんと落ち合う予定です。
 明日からはホテルを予約していません。まあ、何とかなるでしょう。
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ベトナム6日目−ハロン湾クルーズをしてカットバ島へ


 昨夜はバクダンホテルで夕食後、落ち合うはずの岡本さんを待っていたのですが、待てども現れません。うーん、カンボジアに行ってからベトナムに来ると言っていたので、アンコールワットの近くで行方不明になっているかもしれません。
 ツアー最後の夜なので有志の懇親会に出ました。宮さんの万華鏡がベトナムにとっては非常に高価な材料を使っていると言うことで批判的な意見を述べてしまいましたが、でも工作ものは終わった後結局はゴミになることが多いのに、あの万華鏡なら宝物にするだろうなと思いました。
 さて6日目はハロン湾クルーズです。非常に穏やかな、波もない湾。その奇岩群の中を貸し切りの船で航行します。残念なのは空が曇っていたことです。真っ青な空の中で奇岩群を見たかったです。それでも墨絵の世界でした。
 高さ20m、幅数十mの鍾乳洞であるティエンクン洞を見学。日本三大鍾乳洞は山口の秋芳洞、高知の龍河洞、岩手の龍泉銅ですが、引けをとらない規模です。
 水上生活者の船に訪問。そこでタコとカブトガニをゲット。Oさんが「日本では法的に問題」と言いつつカブトガニの代金20ドルを支払いました。
みんなカブトガニをもって記念写真。
 船上での昼食時に料理をして貰いました。野村さんはカブトガニの解体をビデオに収めていました。いやあ、どんな味がするのやら。
 昼食はシャコ、ワタリガニなど海鮮料理。カニを食べているときは皆無言。
 さて、カブトガニはというと、可食部分が少ないです。味もよくわからなかったです。味は無いのではと思います。
 12時頃に港に戻ってきました。
 そこでツアーのみなさんとお別れ。一人になると不安になります。ガイドのブーさんが紹介してくれた人に案内されて船に乗り込みました。入場料の3万ドンにプラスして運転手さんに10万ドンを支払いました。10万ドンは会社を通さないので関係者で山分けするのかな。
 今までは日本語ガイドもいましたし、ツアーの人たちとわいわい言いながらやってこれたのですが、これからは一人。周りには英語が飛び交っていますが、ぼくは英語は苦手です。
 今度はスンソット洞に寄りました。ティエンクン洞よりも広いかもしれません。
 カットバ島に行く船なのですがのったりしていて本当に行くのか心配になりました。船にはベッドもあり、そこで宿泊する人たちもいそうです。
 結局、夕闇が迫る頃にカットバ島に到着。
 今日は午前午後ともハロン湾クルーズを堪能したなあ。(午後は不安感もあったけれど。)
 ガイドさんが寄ってきて、ホテルに2泊3日プラス食事、トレッキングや手こぎボートでのクルーズ、3日目には午後4時にハノイに、というのが込みで45ドルと言います。不安感もありその話に乗ることにしました。
 ギアング ソンホテルは、ちゃんとお湯も出ました。
 宿泊の韓国人一家に混じって夕食。夕食はエビの天ぷらがおいしかったです。
 落ち合えなかった岡本さんがメールに入れてくれるか、ブログにコメントを書いているかと思い、インターネットにつなごうといくつかその種の店に入ったもののパソコンに日本語が入っていなくて駄目。 まあしょうがないかと道を歩いていると前から何か見たような姿形が。
 おー、まさかの岡本さんではないか!
 ぼくが今日はカットバ島に行く予定ということだったし、おもしろそうな島なのでやってきたとのこと。『地球の歩き方』にある港周辺では最も高級なミニホテルにいるそうです。ぼくも45ドルの話がなければそこに泊まるつもりでした。
 ぼくのホテルのロビー(といえるほどの空間ではありませんが)で話し込みました。
 それで明日からぼくと一緒に行動することに。
 いやあ、よかったです。
 別のバクダンホテルに泊まっていたそうです。(同名のホテルがいくつかあるとは思いませんでした。)
 明日は7時半にホテルに集合して国立公園トレッキングの予定です。