左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

行ってきました!!「休暇村 近江八幡」

 RikaTan誌 http://rikatan.com/ で、4月号から「休暇村」を基点に理科の探検をしていく連載を始めることにした。
 その第一弾で取材に訪れたのが琵琶湖のほとりの「近江八幡」。
 ツレと一緒だったので、ツレにその紀行を書いて貰った。(RikaTan誌には、ぼくがこれも参考に書く予定。)
 

 
 近江八幡市滋賀県中央部にあります。市の周囲は古くから琵琶湖の東西交通の要所として栄えていましたが、戦国時代の天正13年(西暦1585年)に、豊臣秀次八幡山城のふもとに城下町を開きました。以来、国内はもとより、広く海外へも勇飛した近江商人の発祥の地として栄えたということです。
 秀次は、当時の交通幹線であった琵琶湖を往来する荷船をすべて八幡に寄港させるために八幡堀を作ったことでも有名ですが、今も周辺に葦原の湿地帯が広がる八幡堀は、茨城県潮来、福岡県の柳川と並ぶ日本三大水郷の一つとなっています。
■水郷巡り
 葦が群生する迷路のような水路を、昔ながらの屋形船でゆっくりすすむ水郷巡りは、約400年前、豊臣秀次が宮中の舟遊びに似せ、舟に乗って句を詠み茶会を催したことに始まるといわれています。定期船2100円(時間:10時・15時発、4〜11月の毎日)。6人乗りの貸切船8670円〜では、水郷弁当1050円〜など船の上で食事も楽しめるということです。(ただし、貸切船は乗船・食事ともに予約が必要です)長命寺川をさかのぼって西の糊まで行く、全工程約12kmの船旅。1時間程度で、ゆっくり楽しむことができそうです。今回の旅は1月だったので、時期はずれ。残念ながら、水郷めぐりは出来ませんでした。
 でも、屋形船会社の社長さんが、琵琶湖の水の汚れや、ブラックバス等の外来種の魚の増殖に頭を痛めておられるというお話を伺うことができました。この社長さんが若かった数十年前には、八幡堀で泳いでおられたそうです。ここ数十年で、琵琶湖の水は急速に悪化しているのでしょう。
■休暇村 近江八幡
 琵琶湖のちょうど中頃に位置する「休暇村 近江八幡 」は、他の休暇村と同じように、国定公園の中にあります。広々としたロビーから、美しい琵琶湖を眺めることができるので、入館と同時にゆったりした気持ちになります。食事も美味しく、案内して下さった副支配人の大重さん始め、スタッフの方たちの温かな対応も素晴らしいと思いました。
 温泉に浸かってグッスリ休んだ翌朝は、7時から「朝の自然観察会」に参加。参加者私たち二人だけでしたが、若く溌剌とした美人の案内人?の方に、つれあいは嬉しそう。
双眼鏡をお借りして湖畔を眺めると、オナガガモトモエガモの群れが見えるではありませんか。寒さが吹き飛びました。
沖島
 朝食後、「休暇村 近江八幡」から見える沖島に行くことになりました。ガイド役を引き受けて下さったのは、素敵な大重さんです。
 琵琶湖には「沖島竹生島、多景島、沖の白石」の4つの島があります。この中で、人が住んでいるのは沖島だけ。淡水湖で、人の住んでいる島があるのは世界でも珍しいそうです。沖島には、万葉の時代以前から人が住んだようですが、本格的に住みついたのは、保元・平治の乱(1156−1159年)による源氏の落武者だということです。


休暇村から車で10分足らずで「堀切港」に着きました。ここから「沖島漁港」行きの連絡船に乗船します。所要時間は10分弱。連絡船は毎日9−11往復ありますが、昼間は2時間に1回です。値段は片道400円。
 沖島の生活は、漁業に負っているようです。沖島漁港は沢山の漁船で埋め尽くされていました。島民は、1軒あたり1艘以上の船を所有しているそうです。
 島の案内書を読んでみると、かつて、江戸時代から昭和40年代まで、沖島採石場として栄えたと書かれていました。英班岩と呼ばれる良質の石は、明治時代の琵琶湖疎水、南郷洗堰、国鉄東海道線などの工事に使われたのだそうです。
現在の沖島の人口は400人足らずで、小学生は7人。木造の沖島小学校は浜辺に面して建てられており、味のある比較的大きな校舎でした。先生は8人ということですから、何とものんびりしていて、うらやましいなと思いました。大きな道路も商店もありません。小学校以外に目立つのは、郵便局とお寺と神社だけでした。頭上を飛び交うトンビの声を聞きながら歩いていると、何というか、ひと昔前の時代にタイムスリップしたような感覚を覚えました。時には喧騒の大都会を離れて、こうした島を訪れるのも、なかなか良いものです。島を離れる寸前にお会いした島民の中村茂さんは、80歳。源氏の末裔として生きてこられて、様々な苦難を経験されたようでした。お話は尽きませんでしたが、上船の時間が迫ったため、お別れしなければならなかったのが、とても残念でした。
八幡山
沖島を後にして、次に向かったのが八幡山八幡山(標高271.9m)は、豊臣秀次が築いた八幡城の城跡で、本丸跡には京都から移築された村雲瑞龍寺があります。
 八幡山ロープウエーに乗って、山麓から山頂まで、約4分。眼下には琵琶湖、西の湖、旧城下町などが見渡せる大パノラマが広がります。私は山道を歩きながら、ここに祭られている豊臣秀次に思いを馳せていました。
 秀次は、1568年(永禄13年)秀吉の姉とも(白秀尼公)の子として生まれました。そして八幡城を築き、城下町を開いて、近江八幡商都として繁栄するのに大きく貢献した人物なのです。ところが秀吉の養子になり、一度は関白になったにもかかわわらず、淀殿の子(後の秀頼)が誕生したために、自害させられました。1595年(文禄4年)のことです。享年28歳。何という人生でしょう。残された母親の無念な気持ちが、京都からここ近江に、村雲瑞龍寺を移築させたのです。
八幡山散策は、旅の最後でなく、最初であったら良かったと私は思いました。そうすれば、物悲しい気分が、美しい琵琶湖の風景によって癒されたに違いないからです。でも大重さんが旅の最後に案内して下さった洋菓子屋さん「CLUB HARIE 」へ入った途端、なんと私はハッピーな気分になっておりました。若い女性客で賑わう店内で、甘い香り漂う高級バームクーヘンを手に入れ、大満足の旅となりました。大重さん、本当にありがとうございました!!       (2010.1.27 左巻 恵美子 記)

休暇村「近江八幡」の前浜から見える沖島

沖島の道を歩く

裏の小さな桟橋にて

八幡山から見た西の湖