左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」を見た

 水曜日に松江でセミナーの講師を終わって、次の宿泊地出雲に行くのに、ちょうど一畑電鉄の「松江しんじ湖温泉」駅から「電鉄出雲市」駅行きに乗ることができた。
 これは、映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」の舞台だ。
 次のサイトには、映画の粗筋とそのロケ地の場所がある。
 http://www.kankou-shimane.com/mag/mov/railways/
 乗った電車の行程の半分は「しんじ湖」を見ながらである。
 「一畑口」駅でスイッチバックをしたのに驚いた。
 *後で電車内から撮った写真を1,2枚入れようと思う。


 木曜日もセミナーの会場が平田小学校だったので、「電鉄出雲市」駅から「雲州平田」駅まで乗った。
 なお、平田小学校の藤村校長は、全校朝会などで実験をして子どもたちの目を釘付けにしている理科が得意な人だ。


 金曜日(昨日)、松江・出雲疲れが出て自宅で休んでいたが、夕方、ツレと映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」を見に行った。
 まさに前日、前々日にぼくが見た風景だ。


 内容では、ぼくがいつも講演で言っている言葉「いつからでも、人は前に進むことができる。」が印象に残った。
 エリート会社員から「ばた電」運転手への転換は、ちょっと無理筋だと思ったが、無理筋だからこそその落差がガキの頃の夢の実現としてよい設定なのだろう。 


 ぼくの夢は「日本の理科教育に影響を与える理科教員になろう」というものだったが、ほんの少しは実現したかもしれない。高校生の頃は「化学の研究者」だったが、それはすぐに挫折して「化学の教育者」にした。あんな学力劣等なのに、大学と大学院に行き、教員になっただけでもラッキーだった。
 後年、「大学教授になりたい」と思ったが、なれたのもラッキーだった。
 教員になったとき、「自分の本を1冊くらい出したい」と思ったが、それも実現できた。
 さて、今の夢は何だろう。
 後数年走り続けて、その後はゆったりすることかな。(^_^)
 ツレが今朝「一緒にいろんなことをしたり、いろんなところに行きたい」とぼくに言った。家族に迷惑をかけてきたぼくができるのはそのくらいだろう。