左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

51年ぶりに小学校の恩師と会う

 鬼怒川温泉での小学校同窓会のあと、車に分乗して塩原を回って紅葉を見ていこうということになった。
 今年は未だ紅葉が本格化していない。


 ぼくは、どうせ小山駅で解散なら、年賀状や電話でやり取りをしている恩師に挨拶していこうと思った。ぼくは小学校入学以来教師に褒められたことはなかったが、恩師はあるとき「左巻君は理科ができるね」といってくれた。それはぼくにとって初めての教師の褒め言葉だった。それがきっかけになって、ぼくは理科だけは好きになった。いまのぼくがあるのは恩師のおかげである。
 ぼくは教わったとき恩師は未だ20代初めだと思っていたので70数歳だと思っていた。ところがぼくが教わったとき恩師は30代になっていたとのこと。いま、85歳。でもお元気だった。大谷北小が合唱が全然駄目なので中学校から小学校に2年間呼ばれた。そこで音楽専科で担任をする予定ではなかったが、事情があって担任になった。
 ぼくは小学校4年生のときとばかり思っていたが、5年生だった。
 ぼくを前にしてすぐノーベル賞の話になった、ぼくが「理科」が専門ということですぐに先頃のノーベル賞が頭に浮かんだのだろう。それと「どうして東大に受賞者が少ないか」をぼくに会ったら聞こうと思っていたとのこと。


 「左巻君は、小学校のときは小さくておどおどしていたね。」といわれた。
 小さいのはしょうがないとしても、おどおどしていたのは、自信がなかったということだろう。小学校のときは、運動能力や勉強の面ですぐれていないと目立たないものだ。そのどちらも駄目で、性格も明るくなく、変わった少年だったのだから、まあいいところはなかっただろう。
 同窓会でも一番小学校のときの面影がないといわれた。
 次、恩師に会うときは、クラスで抜群の成績だったW君などを連れて訪問しようと思う。