左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

関口さんは10年経ってもぼくを追い抜けない…29年前に左巻健男が書いたもの

 昔、雑誌に書いた文章の一部を入れておきます。
 関口さんは当時は北海道の小学校教員でしたが、今は理化学研究所で電気の技術者として働いています。

───────────────────────────

 はじめに


 関口芳広さんという20代のひとから手紙をもらった.法則化運動に参加している若者である.彼は,私の著書を読んでの感想をくれたのである.
 そこに,「ぼくは,先生より1O歳若い.10年たったら,先生を追い抜きます」と記されていた.

 私は,新任のころ,科学教育研究協議会の“授業熱中中年“の方々に出会った.彼らは,そろそろ定年を迎えたり,定年間近になっているが,今乱授業への意欲はおとろえていたい.いわば,理科授業キチガイである.

 彼らを追い抜こうとは,全然思わなかった.追いつきたいとは思った.彼らのように,いつまでも授業にやりがいを感じられるひとになりたいと思った.そこで,関口さんに,次の返事をかいた.


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ぽくが新任のころ,科教協の先輩たちは“神”のようだった.追いつけない,と思った.今は,何とかくっついているけれど,スゴイ人たちがいることはたしか.玉田泰太郎氏も,その一人である.
 追いつこうとは思わない。ぼくは,ぼくなりの授業をやっていくしかない.
 関口さんは,“追いつく”ことを考えるのですね.
 追いつくとか,追いこすという人生観は,一直線上の競争主義のにおいがします.ぼくなら,その道からはずれて,違った道を歩きます.
 法則化運動は,誰かさんが“新努力主義"と命名した一直線上のおっかけっこを好む人が多いようです.向山氏など,授業では追いつけるでしょう.でも,あのセンスは,時間をかければ身につくものではないと思います.
 というわけで,関口さんは,10年たってもぼくを追い抜けないと思います.ナーンテネ.
(以下略)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 私は,追いつく,追い抜く代わりに,開き直って,“ゴッタ煮精神”をもつようにした.イイものは,イイ.だから,自分にとってのイイものをゴッタ煮にして,授業をつくろうと,というわけなのだ.
 そんな私が,「授業を組み立てる力をどうつけるか」を語るのである.さて,どうなりますか.


  年に一つの単元をがんばる


 欲ばって「アレも,コレも」とやろうとすると,みんなダメになってしまう可能性が強い.
 私は,サークルの仲間だちと「年に一つくらいの単元は,がんばってみよう」と言い合っていた.「焦ることはない,じっくり力をつけていこう」と思ったのである.これが良かった.先ず気分がラクになった,
 担当の学年が決まると,「よし,今年は,この単元をがんばるぞ」と決意する.決意したら,サークルの仲間たちに宣言する.やるっきゃない,と自分を追いこむのである.
 私は,大学でも大学院でも化学と化学教育を専攻した.出が,工業高校の工業化学科だから,化学とのつき合いは長い.だから,はじめは,がんばろうとする単元は,化学分野が多かった.
 次には,最も不得手な電磁気にチャレンジした.
 サークルの仲間だちと,宇宙や生物のテキストづくりもした.
 そんなことを何年か続けていると,中学校の理科のかなりの部分が,一度はがんばうた単元になっていた.
 今では,どの単元も,「こんな授業がやりたいな」という具体的なイメージがおいてくる.イメージがわかない単元は,“骨だけの授業’゛になりがちで,そんなに時間もくわないものだ.それがイメージがわいてくると,“骨にゆたかに肉がついた授業“になって,時間もかかる.時間のやりくりが大変である.


  先ずイイものをマネすることから


 既して,マネをバカにするひとが多い.マネをバカにして,ずっと低いレベルの授業をやっているひとこそ,本もののバカである.
〜(以下略)


左巻健男「授業を組立てる力どう身につけるか【中学校】」『教育科学「理科教育」』1987.12 No.244