左巻健男&理科の探検’s blog

左巻健男(さまきたけお)&理科の探検(RikaTan)誌

つまらないプライド

  Xさんは地方の高校理科教員で、ある分野の実験には彼の名が冠せられている。
 ぼくは知らなかったが、彼は自分の分野の実験や教材は他の人がやったものは全部彼のパクリだと確信しているふうがあるとのこと。彼の得意分野で、ある自然物の自分が撮った写真を単行本か雑誌に載せた人が「それはパクリだろう!」と何時間も電話で問い詰められたという。その自然物は世にまったく同じモノがないといわれるからパクリだというからにはぴったり一致した証拠を出せばよい。しかし、それをしないで激しく抗議を続けたという。さらに「あの単行本や雑誌はひどい!」とあちこちで言い回ったという。
 きっとそこにはXさんのプライドがある。その写真群はXさんも同様かそれ以上のものを撮れるというプライドだ。そして単行本や雑誌に載るとしたらそれは自分の写真群に違いないとなってしまうのだ。
 この話を聞いたとき、ぼくは「Xさんは、もっと謙虚になればいいのになあ」と思った。高校教員で、全国レベルで有名で、となると「俺はすごい!」となりやすいのだろうか。ぼくにはつまらないプライドに思えるが。


 昨年夏とある研究会で高校教員のYさんに会った。
 Yさんは化学でたくさんの教材開発をしているし、当時実験本を出したばかりだった。残念ながらぼくはその本を読んでいない。この前三省堂本店になかった。
 彼は言った。
 「Sさんの学生時代からのつきあいなんだってね。それがサークルで話題になったときにSさんがみんなに“あんなやつとつきあっているのか”といわれていたよ」と。
 そのサークルの面々は知っているが“あんなやつ”とネガティブにいう人はYさんくらいしかいないような気がする。自分の思いをサークル全員がいっているかのようにしたわけだと思う。Sさんも「サークルで誰もそんなふうに左巻さんをおかしく言ったときはないよ」と。
 そういう言い方はよくあるからね。第三者が言っているようにして実は自分が言いたいことを言っている。
 きっと彼は「左巻健男なんかより自分はずっと上」というプライドをもっているのだろう。ぼくから見ても部分的にぼくよりずっと上であるからそれはそれでいい。それをオブラートに包んで自分の思いをサークルなど組織の思いにしていわなければならない心情を思った。どうも彼の勤務先では自由にやれないらしい。そんなことがつまらないプライドの発露になったのかもと思う。


 Zさんも教材開発で有名だ。Zさんは「俺には全国に100人の弟子がいる」とよく言うそうだ。もしかしたらぼくも彼の弟子かもしれない。
 他人から見てつまらないプライドでも、本人にはきっととても重要なことだ。そのことによって「自分は全国で有名で、とても優秀」と確信できるから。
 プライドを持つことは大切だ。しかし、それは「等身大」のプライドであるべきだ。客観的に考えたらそこまでではない、大したことがない、つまらないものであったらまわりから見て笑われるだけか嫌な奴だと思われるだけだろう。
 

 つまらないプライドでも、プライドがない人に比べれば、それはすぐれた仕事への原動力になるかもしれない。 
 ぼくも、ときとして「○○には負けるもんか」と思い、その悪しき情熱で仕事をしているときがある。そのときぼくはつまらないプライドを原動力にしている。
 他人に攻撃的になったりしないで、それを飽くまでも自分の心の内部にしまい込んでおくべきだろう。
 つまらないプライドを外部に出さなければ誰もそんなことを知らないのだから。
 しかし、つまらない人間は外部に発露することで自分の存在主張をしてしまうものなんだな。